震災後、実家の家族は何度かわたしの家を訪ねてきました。

その時、母が携帯電話を忘れて行きました。

どうせ不通のままなので、手元に置き

母の電話に着信があれば わたしが対応していました。


3月27日 震災後、はじめて実家へ向かうことになりました。

主人と私 息子2人と 親戚夫婦が乗り込みました。

友人と息子一人は家で留守番です。


あの日からすでに16日 道路を塞いでいた瓦礫は

道の両側へ避けられ 車が通れる状態になってはいたものの

飛び込んでくるのは 目に余る惨状でした。

倒壊した家々、潰れた車、火事の跡、魚が乗っかった屋根・・・

そんな瓦礫の塀を横目に進んで行きました。

橋を渡る手前で、母の携帯がなりました。

親戚からでした。一緒に乗っていた叔母ちゃんに電話をかわりました。


えぇ!? 見つかった??


行方不明になっていた 叔母に似た人が

遺体安置所の写真にあったとの連絡でした。


電話の間も車は進み 橋にさしかかろうとしました。

「通行止め」 昨日まで通行していた道が

余震で崩壊したために迂回しなければならない状況でした。

ですが 入手できたガソリンの量では

迂回路を往復することはできないと主人が言いました。


おばちゃんに呼ばれてる・・・


そう感じた 私達は遺体安置所に向かうことにしました。

途中 自宅に息子2人を友人に頼み、安置所へとむかいました。


安置所の建物の外に 遺体の写真が張り出されていました。

苦しそうに叫んでいるような おばあさんの顔。

真っ黒に焼け焦げた 男性かと思われる顔。

ショックでした・・・


おばちゃんは?


安らかに目を閉じている写真の女性。

赤黒く、顔もむくんでいるので わたしは確信をもてませんでした。

間もなく 身内が到着し、写真を確認しました。


あぁぁぁぁぁ と妻の名を呼びながら写真にへばりつく 叔父さん。

お母さんだ・・・ と泣きだす 娘さん。


写真の番号を係りの人に伝えて面会しました。

建物の中はひんやりと冷たい空気

白いシートに包まれた 何体もの遺体がありました。

体はシートに包まれていましたが、顔は出した状態で安置されていました。

叔母の体には傷はなく 顔に薄っすら青あざがありました。

娘が 冷たくなった母親の ほほを撫でていました。

たくさんの遺体と遺族たち あの光景をわたしは 忘れない。