本を読み、映画を鑑賞し、博物館や水族館を歩き、
ディズニーリゾートのようなテーマパークに行ったとしても
その体験や経験を語り合う相手がいなければ
時間を無駄に消費したのと同じだ。
時間は命そのものだから
命を削ってゴミを買ったようなものだろうか。
ブログやネットショップのレビューなどに感想を書いても
個人の勝手な考え方を垂れ流しているだけだから
そこには欠片ほどの意味さえ存在しない。
経験や体験は相手を目の前にしてコミュニケーションの
題材に利用した時にようやく意味が生まれるのだろう。
例えば、ある人に薦められて
森見登美彦さんの「四畳半神話体系」という本を読んだけど
その相手とは二度と会えなくなったのだから
読んだことで何らかの蓄積にはなったけれど
読んだことで抱いた感想については
誰に発することもなく無意味に消え去るしかない。
どんな素晴らしい芸術作品も
誰も鑑賞しなければ存在しないのと同じだが
ただ一人が鑑賞して何かを思っただけでも
やはり存在しないのと変わらないように思う。
複数の人物が鑑賞し、何かを話し合うことで
その芸術作品は初めて意味を持つ。
人間はコミュニケーションで成り立っているんだと再確認。
泥舟、孤独な航海。