品格という言葉や空気を読むという行為は
同じ文化を共有してないと役に立たないから
世界の中では意味がない。
チョット前にそんなことを書いたけど、
それから少しだけ考え直してみた。
品格が意味のない考え方だというのは変わらないけど、
場の空気を読むというのは悪くないかもしれない。
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教は
神と人が向き合う。
神道やヒンドゥー教なども数は多いけど神と人が向き合う。
でも、仏教はどちらかというと人と人が向き合う事を求める。
これって場の空気を大事にする考え方に似てる気がする。
なら、論理や法律の下で話し合うのは
神の下で生きることの変形だろうか。
論理の基準や法律が違えば話し合えないのは、
宗教間の対立と少しだけ似ている。
じゃあ国際社会での問題解決では
論理や法律を掲げたやり取りより
その場の空気を読む方向に持っていくことが
日本のやるべき国際貢献、かな?
もう少し空気を読むことについて考えてみたい。
泥舟、空気読み。