フィクションです。
大学教授のツアーでインドのチベット人キャンプに行った。今から20年くらい前の話。インドツアー料金は40万円だった。正規の学生は一人も参加しなかった。チベット人教授は学生が参加しないことに憤慨していた。学生がインド旅行に40万払えない実情を知ろうとはしない。50年ほど前、チベット人難民キャンプから日本にやってきた。チベット人の嫁をインドから連れて来た。子どもが3人いた。帰化して日本人国籍を持った。しかしいつまでも日本語が上達しない。何言ってるさっぱりわからなかった。あ、私まで訛ってきた。何を、言ってるのか、さっぱり、わからなかった。
科目履修生として登録してチベット語の授業に出ていた私はツアー料金が高すぎると思った。でも当時一緒に暮らしていた友人に「行くべきよ」と勧められた。そしてその友人も一緒に参加した。ツアーのメンバーは教授とその妻、古書店の店主夫婦と私たち6人だけだった。教授の妻はバンコクから妹家族のいるカナダへ飛んだ。教授のツアー料金と妻のカナダまでの飛行機代を古書店夫婦と私たち4人で工面したということだ。
このツアーを組んだのは京都の小さな旅行会社の女性社員Mだった。Mは京都の三流大学を卒業した後、呉服屋に勤めていた。着物の店頭販売をしていたという訳だ。私は着物屋の店頭販売に引っかかったことがある。その強引なセールスの仕方は今では通用しないだろう。とにかく客の意思など無視して着物を着せて褒めちぎり、無理やり高額な着物のローン契約書にサインさせる。店の前で足を止めたが最後、私は気がついたら契約書を前にサインを迫られていた。何を言っても言い含められる。帰してもらえない。終いに私は黙った。何を言われても下を向いて黙り続けた。30分も黙っただろうか、セールス男も静かになったところで黙って店を出た。
Mは慣れた呉服屋のセールストークで教授にツアーを売り込んでいた。Mの組んだツアーの内容は今思い出すと何ともチグハグな内容だ。まず深夜3時にデリーに到着した。3時間後の6時にチャーターしてあるラウンドクルーザーに乗るための仮眠宿が一流ホテルだった。
ホテルに着いて部屋まで自分で荷物を運んだ。部屋に入ると物が散乱していた。前に泊まった客の残骸がそのまま残されていた。部屋の前でサリーを着たインド人掃除婦の掃除が終わるのを待った。インド人タイムでのどかに進んでいく掃除が終わるのを待ってベッドに横になったのは2時間後だった。2時間かかるとわかっていたら最初からロビーで寝てただろう。
1時間の仮眠で叩き起こされ、ホテルでの朝食も取れずに車に乗り込んだ。Mだけが見たかったのであろう北インドにあるフランス人建築家が設計した建造物に向かって数時間揺られた。デリーに着いてからのストレスと揺れと暑さで身体がだるく、頭痛がして吐きそうだった。ちなみにこのツアーのメンバーはチベット文化に興味がある人たちである。悪気はないのだけれど、インド文化やフランス文化には興味がないのだ。私たち御一行様は周りの風景にそぐわないフランス人設計の建造物を眺めた後、Mの趣味を充実させる北インド観光が続いた。何を見たのかさっぱり覚えていない。
デリーに戻った時、一流ホテルで最高級のインド料理を食べた。何種類かのナンといろんな香辛料で味付けられた様々なオカズ?カレー?を食べた。ピコレットみたいな匂いの香辛料を使った味もあった。香辛料の匂いと味が強烈だ。
現地スタッフというMの同僚男がいつの間にか私たち御一行様のテーブルで盛んに食べていた。まるでツアー客のメンバーといった風情だ。後でMからこの現地同僚男に対するMの不満をさんざん聞かされた。弱った身体には拷問とも思えるほど聞かされた。自分では何の労力も払わずに他人の晴れ舞台にスッと現れて、美味しいところを堂々とかっさらっていく。国内外問わず隙あらばどこにでも出没する種族だ。
インド人通訳2人と列車の1等席に乗り窓からずっと同じ景色が続く中を数時間揺られていた。私たちが乗り込んだ1等席の車両にはインド人通訳男2人と私たち6人だけだった。
駅でもないのに列車が止まった。さっきまで続いていたトタン屋根と土と石でできたあばら小屋風景も見えない。犬も牛もいない。何もない大地に干からびた草だけが生えている。列車が止まって数分経った。突然目の前に揚げパンらしき食べ物が現れた。窓から差し出されていた。物売りだ。えーっ?どこにいた?カンカン照りの太陽の下、土の中に潜んでいたとしか考えられなかった。
インド人物売りのようにどこからともなくその男は現れ、一流ホテルの豪華なインド料理をたらふく食べて消えた。ツアー客の私たちがホテルのレストランから出る時には彼の姿はなかった。あれは幻だったのかもしれない。
そういえば、オーストラリアのツアーに参加して友人に会いに行った時のことだった。中国系オーストラリア人の友人は私に会うため宿泊宿のホテルまで来てくれた。 ちょうど日本人ツアーのグループメンバーとしてホテルのレストランで昼食を食べている時だった。私をレストランの中に見つけた彼女はまっすぐ歩いて来た。私たちは目を合わせ軽く挨拶した。どうしたものかと考える数秒を置いて、彼女は私の隣にレストラン内の椅子を持って来て座り、何事もなかったかのように一緒に食べ始めた。そして彼女は日本人ツアーメンバーを演じきった。お腹を満たした私たちは食後の自由行動で日本人ツアーメンバーと別れ、レストランを後に街へ出た。もちろん彼女は支払っていない。幻男のように。
チグハグMと幻男がガイドのツアーは行く先々で困難が待ち受けた。インド国内に数あるチベット人難民キャンプの中の一つ、亡命政府がある北インドチベット人難民キャンプに着いた。チベット人が最高峰とする寺まで宿から500m。私たち御一行様を送迎するために数十km先からラウンドクルーザーはやって来た。腑に落ちない。坂道とはいえ、車に乗る距離でもない。
ガイドMは現地のインド人レストランに私たち御一行様を案内した。店内は客でいっぱいだった。後から来た客の料理がどんどん運ばれていった。それを見ておもむろにMは空中に向かって英語でボヤいた。インド人の店員に面と向かって苦情を訴えない。宙に「空気、読めよ!」を投入してで苦情をアピールしているのだ。当時はわからなかったが今でははっきり分かる。外国に「空気を読む常識」はない。「空気を読むという非常識」が通用するのは日本国内だけだ。表面的に事を荒立てることを避ける日本の風習に慣れている日本人Mはイライラするものの、インド人店員と直接対決する勇気は持ち合わせていない。イジケて怒って拗ねていることを顔の表情で示すくらいが関の山だ。外国人の感覚では屁のツッパリにもならないことが全くわかっていない。それはもう、ガイドという仕事の態度とも言えない。Mは完全なツアー客になっていた。
現地のインド人レストランでイライラするMを横目にビールを注文した。すると今度は日本語の下手な日本人教授が「ノミマスカ?!ノミマスカ!!!」と私を睨みながら言うのだ。顔が怒っている。空気には「飲むな!」と書いてある。
睨まれようと殴られようと、教授であろうと王様であろうと、私は自分の意思を他人には変えさせない。一応、空気は読んだ。そして「はい」と答えた。飲むと言ったら飲むのです。