『目醒めるため

   自分の軸で人生を

    ゆっくり、じっくり

     遊んで楽しみながら生活してます』

 

前回からの続きです。

 

その頃、

知り合いの判事さんと

食事する機会が何度かありました。

 

断食療法のことや

呼吸法のことを話す私にKさんは

 

「あなたは

あと、お経をあげていたら

お坊さんですね」

と言う言葉に

私はハッとしました。

 

「そうか、私がやっていることの

裏側には何か意味があるんだ」と

思ったのです。

 

そして

あの1995年の3月、

地下鉄サリン事件が起こって

世間が大騒ぎしていた春

 

私は仏教の意味を知りたくなって

通信大学に入学しました。

 

私の家は韓国人の家なので

家がお寺の檀家ではなく

つながりのあるお寺がないので

大学に行けば、

仏教が何なのか

わかるだろうと思ったのです。

 

仏教とは何なのか、

早く知りたかったので

入学するや否や、

一般教養の科目のレポートを

次から次へと提出したら

あっという間に一般教養科目が終わり

スクーリングに突入しました。

 

驚異的なレポートの提出が

評価されたのか、

奨学金を2度受けて

2年間の授業料が免除になりました。

これはとても励みになりますね。

ほんと、今も感謝しています。

 

さすがに3年目は他に回そうと

奨学金の申請を辞めました。

 

スクーリングは短期間に

朝から夕方まで受講する授業が

ぎっしり詰め込まれています。

 

大学近辺に泊まり込んで

朝、授業の2時間ほど前には

すでに教室に入り、

先生の真ん前に座って

講義を聞いていました。

 

前席の周りに座る面々は

年齢層もバラバラでしたが

いつも顔ぶれが決まっていて

熱心に学ぶ人が多く

私もいつしか

その中の一人になっていました。

 

こういった人たちの間で

過ごす時間はとても

有意義な時間で

心が満たされます。

 

また話がおもしろい。

大学の先生の話って

本当におもしろくて

どれだけ聞いていても

飽きません。

 

仏教学といっても

いろんな専門分野に分かれていて

同じ仏教概論でも

それぞれの先生の専門分野が違うと

全く違った視点から話が展開され

私の知識欲がますます刺激されました。

 

そんな中、

チベット仏教の講義を聞いていて、

何かムカムカして来たのです。

 

その先生の話が何だったか、

今、全く思い出せないのですが、

女性が男性の道具として

扱われているような話に

不快感で身体が熱くなり、

頭に血が上ったような感じになったことと

 

その先生に対する

抗議とも捉えられるような

質問をして、

一蹴され憤慨したこと

 

その二つのことだけが

記憶に残っています。

 

世間では地下鉄サリン事件で

騒がれていたこともあり、

先生もチベット仏教批判に

過敏に反応していたのでしょう。

 

妙というか、何というか、

とても変な導きですが、

それがきっかけで、

チベット仏教に興味を持ち

卒業論文は

チベット女性行者について

書くことになります。

 

人権という視点では

女性蔑視の仏教です。

 

その長い歴史において

昔々のチベットに

偉大な女性の仏教行者がいたことを知り

感銘を受けたのです。

 

それから数年必死です。

頭の中も生活も仏教とは何かに

集中していました。

 

でも

知識を広げれば広げるほど

全体を見通すことができなくなり、

大学卒業時、仏教が何なのか、

余計にわからなくなってしまったのです。

 

私はこの後、チベットとインドへ

留学するのですが、

学びって、学べば学ぶほど

「自分の無知を知る作業だ」

という思いに至りました。

実感です。

 

4回生時、先生に頼んで

1年留年したのですが、

2年目は

「頼むから卒業してくれ」

と言われて仕方なく

卒業しました。

 

しかも、口頭試問では

担当教官と女性差別を巡って

大げんかして、

副教官が止めに入るという。。。

 

なのに、卒業したのです。

 

「研究者になれない大学生って

適当に卒業しないと迷惑なんだ。

自分が納得いかないまま卒業するんだ」と

思ったのを覚えています。

 

先生にとって私は厄介者で

人生の問題全てを解決すべく

頭の中の混乱をそのまま

先生に投げかけるので

先生もほとほと困ったのだと思います。

 

今となっては

本当に申し訳なかったと

反省しています。

すみませんでした。

 

その後、他大学で

チベット語とチベット仏教を

院生と学ぶことになり(モグリの学生)

仕事をしながら

断食、呼吸法、チベット語とチベット仏教の

修練と習得に励む生活が続きました。

 

そんなこんなで

40歳の誕生日が来たのです。

 

次回、

チベットへ行く決定的なきっかけとなる

不思議な出来事について続きます。