目醒めるために
アラフィフ独身女子
さらに豊かな生活を楽しみます。
最初に
私のプロフィールの
延長線上にある
私の過去のことを
綴ろうと思います。
私は今、どこの組織にも
属していないのですが
以前、ダライ・ラマから受戒し
仏教教団に属した仏教徒でした。
そこまでの経緯を
思い出しながら
少しずつ
書いてみようと思います。
学校を卒業した後、
就いた職業は
ピアノの調律師でした。
小さな楽器店に就職したものの
経営者がいつも借金に追われていて
その借金の支払いのため
私は20代初めに多額の借金をして
独立することになったのです。
この仕事を20年続けました。
毎日のんびり気楽に
お客さまのお宅に呼ばれて
調律した後、
コーヒーやお茶、ケーキを
ご馳走になりながら
1年間の出来事を
お互いに報告しあったり、
お客さま(奥さま)の
誰にも打ち明けられない悩みを聞いたり、
(まるでカウンセラーのようでした)
曲を弾いて、一緒に歌ったり、
「歌って踊れる調律師になってほしい❤️」
と言われたりする
ちょっと変わった調律師でしたが
こんな私をお客さまはいつも待ってくれていました。
そんなお客さまが
一人では回りきれないくらい
いてくれたのです。
それなりに楽しい時を過ごしていた私。
何の不満も不足もない生活。
外側から見ると
羨ましく見える生活でもあったようです。
そんな生活でしたが、
それは突然やって来たのです。
40歳の誕生日に
突然、人生に焦りを感じたのです。
「もう時間が無い。
本当にやるべきことを
今、すぐに始めないと」と。
「何が不足なの?」
「よそはいいからウチだけは来てね」と
お客さまから後ろ髪を引かれながらも
本当にやるべきことが何なのか、
自分でもはっきりとしないまま
後悔だけはしたくないと
追い立てられたような
思いに駆られ、
すぐさま後輩を育てた後、
仕事を全てその後輩に譲り、
40代で海外へ旅立ちました。
まず、最初に韓国のソウル大学。
語学留学です。
私は日本で生まれた
在日韓国人3世ですが
韓国語を話せないことを
死ぬ時に後悔したくないと
思ったからです。
私の韓国に関する
いい思い出がありません。
生まれてからの日本での生活から
韓国が大嫌いになりました。
だからこの「大嫌いな私の韓国」という
壁を乗り越えなければ私が潰される。
絶対に嫌だ。
そんな自分は嫌だ。
私は後悔しないために
私の大嫌いな韓国へ
私の大嫌いな韓国語を
学びに行ったのです。
留学当時、冬のソナタという
韓国ドラマが流行りはじめた頃で
私と同じように
屈折した在日韓国人の
同級生が何人もいました。
誰も語らなかったけれど
同じ苦悩を抱え
自分を説得して無理やり
留学に来ていることは
お互い百も承知でした。
私は明洞(ミョンドン)駅の北側に
ソウルタワーがあり、その近くの
アパートに住んでいて
私の部屋の窓からドラマの
ロケをしている様子を
見ることもありました。
心はずっしり重かった。
好きにはなれなかった。
大嫌いな私の韓国。
その後、留学に続く留学で
「大嫌いな私の韓国」は
「単なる私の韓国」へと変化していく
ことになります。
今日はここまでで
次に続きます。