4日、人が多いと分かっていましたが


なかなか平日行けそうにもないので


行ってきました。


久留米から、2年振り以上振りに

新宮のSちゃんと、

太宰府駅で待ち合わせして


九博

三国志 


予習して行きました。



トップには、どーんと

関羽


今回、館内は、すべてカメラ撮影OKでした。

個別の写真の提供は、

九州国立博物館からです。


9:30オープンとほぼ同時に行きましたが


やはり人が多い。

三国志ファンは、多いですからね。


映画などで『赤壁の戦い』があまりにも有名ですし、


ゲームや漫画などでも有名ですね。



本でいえば


『三国志演義』

という書名は、

史書三国志の義を広く展開するという意味である。


その義とは

「劉備が建てた蜀こそが漢を受け継いだ正統王朝である」とする蜀漢正統論を意味する


(漢の皇室と同姓の劉備は、前漢の景帝の子孫を称しており、

漢から魏への王朝交代に際し、漢を継承するとして建国した)


3世期末に歴史書として書かれた


『三国志』

魏を正統としていたが、


1200年後に小説として完成するまで、物語が形成される過程の一貫した流れは、蜀漢正統論の浸透と、それに伴う関羽や諸葛亮の神格化

および曹操の奸雄化であった。


とされるので、どこの国も

英雄を作りたいのでしょうね。




展示品のほとんどがお墓から出てきているものですが


曹操は、派手な墓を作らなくてもいいと遺言で残したようです。



下矢印この白磁は、歴史を覆すものとも言われていて

白磁は、6世紀末ごろ、

隋の時代に出現とされていましたが

3世紀に、曹操の墓から出土されました。



下矢印棺を支える土台です



下矢印葬儀へ参列する様子



下矢印住まいの様子が分かります




下矢印愉快な演芸の様子もあります



下矢印住宅に見張り台



下矢印蜀で副葬された『揺銭樹』2世紀

約400個の銅銭を枝葉に飾った不思議な木


死後も豊かで幸せにといった願いを込めて



下矢印金の板や粒を貼り合わせ、宝石をはめ込んだ帯金具

魏の文帝・曹丕も欲しがったが、

既に作り手は絶えていた。


金製獣文帯金具  後漢 2世紀



見応えありました。



さらに上の階に行き


修理、果てしなき挑戦

住友財団修復助成30年記念

文化財よ、永遠に

益城町の千光寺で、足元から折れて無残な姿になっていた千手観音菩薩立像も、修復されました。


後世に派手に塗られてしまった像なども

制作された当時の状態に戻したり

上手く貼り合わせたりと


知恵と技術が濃縮されています。



帰りにガチャポンをすると

大日如来像阿修羅像が出てきました。


遅いランチナイフとフォーク想夫恋でして、

色々とお話もしながら

キャナルへ寄り


博多駅まで、Sちゃんを送って行きました。


余裕があれば、もう一度行ってもいい展覧会でした。