何時も隣の人を大事にしてるとか念しているけれども、
そして、やっているけれども、時より、自分のことを大事にしている人のことを忘れる。
その人は無私的に関心をくれてたり、愛したりしていつの間にかこれを忘れられていた。
生活に迫るということより、静かに自分の心のいう話を聞かなかったということでしょう、いつか心が方向間違ってどこかへ行った。とても悲しいことだった。
時々本とかどこかでこれについての纏めを見てて「失ったら大事さを気がつく」。ある時突然本当に本意味、客観的にもう戻れないことがある時、この言葉の意味が気がつく。
中間的に失ったことがあるが、多分こういう感じ、こういう言葉、こういう雰囲気に麻痺したかも知れません、本当にまだ失っていないかも知れません、いろいろのことが混ぜて、合わせて、混乱な事態になっちゃた。
最後は最終的に失われた。
もう何をやっても無駄な状態になったら 貫き通した。ばかな人はこういう行き方なの。。。。わからないことだ。
多分、ある人の言った話かも知れません、中国人のある記者さん柴静の本である作家の話は「今のことはまだ結論をしないで清水で浸っていて血水で漂っていて塩水で漬けていて十年後で
結論を出したら分かる」 
投稿者:鳩ジャン
