レズビアン《大阪に戻る》~《今に至る》~ | 私と彼女のlovelove battle2008☆

レズビアン《大阪に戻る》~《今に至る》~

こんにちは~


その前に…
私、昔から友達が出来ず、引っ越しや大人になりなかなか難しい友達作り…(+_+)


ブログを初めて沢山の方と触れあえたり、ブログ内でお話ししたり、ラジバンダリ…笑…寒っ笑


なんかね~
【お友達】が出来た!みたいな感覚!
ありがとうございます♪
みなさ~ん☆


とゆう訳で…
続きの【大阪に戻る】~


その時、私は中3になる何日か前でした。学校はずっと行けなかったけれど、大阪に戻り、知り合いのおじさんの世話になりやっと一年ぶりに学校へ通えるコトとなる。


【生活保護申請】
をしたのだ。

でもたいした金額は出ない。莫大な借金は払えない。

私は新しい学校に通いながら夜の仕事もしていた。生活の為~

新しい学校は少し緊張した。卒業までの一年間はそこの学校に通った。←ちなみにあのV6岡田くんと同じ中学 家近所でしたぁ~【プチ自慢】


学校が終わると、そそくさ帰り、スーツに着替え、仕事に行く。

ある日、先生にバレてしまい…
辞めるコトに…

そこからは勿論仕事には行けない。

母親は又 借金を重ねていったよ~だ。

危ない所で借金していたみたいね~

そして卒業を迎える前に私は進路相談では、
【働きたいから高校はいきません】
と言った。

先生は私の生活をよく知っていたので、理解してくれ、母親にお金を貸してくれたコトもある先生だった。

そこでたまたま母親とテレビを見ていたら…

テレビに綺麗な
【舞妓】さんが移っていたんだ~
母親は冗談か本気か分からなかったけど、
【舞妓さんなったら?華やかやし稼げるで~】
と…笑

私は【これや!】
と思い、学校の先生に相談。

今では舞妓になりたいと志願するのもネットで出来る時代。

あの時はまだ、
【ツテがないと…】
とゆう時代。

が…!!

先生が
【よっしゃ!うちの校長は知り合いがおるから聞いたる】と…笑

トントン拍子に
京都、祇園の花街へ~

母親、私、先生と三人で面接!

初めて見る舞妓さん…
大阪から近いと言えどもそうそう近距離で舞妓は見れない…

私は【綺麗…】
とつぶやきましたょ笑

そして卒業まで約9カ月

学校の許しもあり、学校と舞妓修行の両立が始まる!

月半分は京都。
残りは学校。

ちょうど、あの
【阪神淡路大震災】
を京都で体験した年でしたね…

近畿もかなり影響したからな~

で、修行!
言葉もマスターし、身なりも着物。
ほとんど雑用ですが、合間に日舞などを練習。

学校も無事卒業する。

舞妓は約半年で
【店だし】
と言ってやっと一人前の舞妓になれる。

店だし前の約1ヶ月間は
【見習いさん】
として、舞妓のあのだらりの帯を半分まで短くし
見習いと分かるように、見習いとして、客前に出る。

見習いさんは貴重!
なので京都の家前を掃除しているとね
【見習いさん?写真を撮らせて】
と舞妓好きのカメラ小僧が寄ってくる。

必ず勝手にですが、舞妓ゴトに専属カメラマンみたいなのが居て、撮った写真をハガキやシールにして勝手にくれるんです~


私は…見習いで挫折…
舞妓の格好で仕事はしたものの…
ダメね私。

母親にやめたいよと言うと
【辞めるなら出ていけ。帰るな!】と追い出された…

そして生活したコトのない、父親の所へ一年世話になるのでした…


世話になり、私に彼氏が出来、彼氏と同棲。

二年位かな~
別れて、一人暮らしを始める。
当時18歳。
アパレルしながら今まで培ってきた夜の仕事も始める。

スナック、キャバクラ?!笑 クラブと…

そこからは彼氏も二人位と付き合い別れて~と言ったフツーの暮らし。

ここですよ!
18のピチピチな私!
【レズビアンバージン】
を奪われたのは笑!

後々詳しくカキしますが…
結構激しいので…笑

そして20歳…
子供の父親と出会う

相手には悪いが…愛情とゆうよりは、友情と情の間…
相手は私に好意を抱き、私は…イイ人だとは思った。人的にはイイ人。

14歳上。

一度の関係でまさか…
出来るような内容では無かったのに出来た!笑

でも私、ドッシリ構えてたな~
【出来たか~どうしよ~まずは険悪な母親に相談やな。産むとなれば母親が一番の理解者になってくれるだろう】
と…

母親に会いにいき、言おうとしたが言えず、実家を離れた

でもね 母親からその後連絡があった。

【あんた話しあったんやろ。子供出来たんちゃうか?母親は分かるんやで】と…

ビックリした!全く素振りすら出していないのに!

母親は
【産みたいなら産み。生活はお母さんが借金してでも面倒みたる。お前が決めることや】
と…

私はこの時、母親が居なかったらこの子は居なかっただろうな…

母親の言葉を受け止め、産む決意をした。

母親は…相手の父親のコトは一切聞かなかった。
ありがとう。

相手には知らせていない。
何処にいるかも知らない。
相手は外国人だった。
フィリピン人だった。

そして出産。
実家に戻っていたので母親の元で出産。
絶対泣かないのに、母親こそ、【タチくん】みたいな見た目に性格。笑

なのに…泣いていたな~産まれた時は

幼い頃にあった沢山の苦労がこの涙で全て消えた。

母親、この時、私たちに隠していた
【乳ガン】
を発祥して五年が経っていた。

病院には行っていなかった…
子供も産まれ、生活は楽じゃないがフツーとゆう幸せを掴み…

母親は体力も落ち 痩せていく…

私たちに乳ガンを宣告しやっと病院かと思いきや…

【行かないんや!自分の人生自分で決める。死ぬんも自分で決める】
と聞いてくれなかった。

何度泣きながらお願いしたかな…
【病院行こ…】
と…

見てられなかった。
【家で死にたい】と言う母親。
【お前らには苦労かけた…お母さんがお前らにしてあげれるんはお金でしかないんや。生命保険しかないんや】
と…
何故か借金だらけなのに母親は生命保険だけは借金をしてでも払っていた

母親は私が24歳 娘3歳の時に自宅のベッド上で眠るように亡くなりました。
妹がたまたま
【今日は胸騒ぎがするからバイト休むよ】
と言って母親についていた日だった。

私は娘を抱えながら又 夜の仕事をしていた為ついていなかった。

食べてかなきゃいけない現実もあった。

母親は妹の側で亡くなった。
母親は最後にこう言っていたらしい…
【○○←私の名前。の結婚式したらなあかんなぁ…】
と…

少し母親も訳の分からないことを言い出していた時期でもあるが、
母親は娘の居る私の先を心配しての言葉だったと思う…

こんな母親だったけど私たち姉妹はめちゃくちゃ誇りだった。
世間体を気にせず、人生一度きりやから好きにしろ、気が強く、でもモロい…そんなお母さんが大好きでした!

きっとうちの母親なら彼女マメとのコトを認めてくれたに違いない。

マメも会いたかったと言っていたな~

うわぁ~笑
なんだこのシンミリしたブログは~!
ごめんね~!

続きは
ちゅん、【レズビアンになる!】編だなっ。

ほんとにごめんなさい!
こんなブログ…笑