あらくま家族~ずっと一緒 -29ページ目

あらくま家族~ずっと一緒

生まれてから一か月半、NICUで頑張ってくれた強い息子。息子のこと、息子への想い、日々の気持ちなどを綴りたいと思います。

息子を亡くしてから、できなくなったことがいくつもあります。



まず、夜に電気を消して眠れなくなりました。


真っ暗なのが怖いのですが、薄暗いのも無理です。

薄暗いと、病院での最後の二晩が鮮やかによみがえります。


夜中に何度も家族控室からNICUに面会に向かった薄暗い病院の廊下。


他の赤ちゃんの泣き声とモニターのアラームが響く薄暗いNICU。


これを書いてるだけで息苦しくなります。



最後の二晩のあと、家に帰ってもずっとモニターのアラーム音が耳から離れませんでした。夫も同じだったようです。


音がないのも怖くて、テレビを付けたまま寝るようになりました。

小さな音量でテレビをつけっぱなしで眠る。

(最近になって寝る直前にテレビは消せるようになりました)






一人になれなくなり、朝から実家に行って実家で過ごします。


親を悲しませるのがイヤで実家では泣けないので、自宅で一人で泣きたいとも思いましたが、丸一日を一人で過ごす自信はありませんでした。


夫と私の母も私を一人にするのが心配だったようで、自宅で私が一人でいると夫も私が気になり落ち着いて仕事ができないと言うので、毎日実家で過ごす日々。

(いい年の大人が恥ずかしいですがあせる


夫が仕事帰りに車で拾ってくれますが、車に乗ったとたん親の前で我慢してた涙があふれることも度々でした。

(これも最近は夕方に歩いて自宅まで帰り、そこから夫が帰ってくるまで数時間なら一人で過ごせるようになりました。ブログを始めたおかげかも)




昼間の近所のスーパーなどの日常の外出。


妊娠していたことを知っている近所の知り合いに会うのが怖いからです。


なので、夫の休日に車で離れたスーパーに買い出しに行くか、夫と散歩ついでに夜のスーパーに行ったりしてました。

実家の母にお願いしたり。(ダメダメな娘ですガーン


結果、かなりの引きこもりです。




まだまだありますが、今回はこれくらいで・・・。


なんだか『できないこと』より、『できること』を書く方が早いかも?





天使ママさんのブログで同じ気持ちの方がたくさんいることに勇気づけられてました。


毎日ひたすら読んでました。


前向きな記事を見ると励まされたり、苦しい時も同じ気持ちの方がいると共感して自分だけじゃない、頑張ろうと思えたり。

同じ気持ちで苦しんでる方を見るとメッセージやコメントをしたいと思いながら、アメブロに登録すらなかなかできなかったです。


とにかく心がしんどくて何かアクションを起こすのがすごくハードルが高い。


やっと重い腰を上げて始めることができましたが、なかなか気持ちなどを書くのは難しいですねあせる

(皆さんすごく心情の表現や文章が上手だと思いました。)

書きたかったことはいっぱいあるのに。


息子がNICUで頑張ってくれていた時や火葬のことはまだ書けそうにないので(弱いお母さんでごめんねしょぼんブログを始めるまでの5カ月のことを少し書いていきたいと思います。





火葬後、1週間弱ほど夫は仕事をお休みしてました。


息子の状態が危なくなって、どうなるか分からないと言われてから二晩病院に泊まったので、トータルではもう少し休んでいたと思います。


その間は朝晩も関係なく泣いて過ごしてました。


赤ちゃんや小さな子連れの家族を見るのが辛くて、外に出るのが怖かったけど、息子の写真を現像するためのインクとデータを複数のUSBに入れるためのUSBを買いに行ったりはしました。

息子に関することだけは動くことができました。


病院のNICUでも息子の写真を撮って育児ノートに張り付けてくれてました。


私は息子が無事に大きくなって退院すると信じていたし、写真はこれからいくらでも撮れると思ってました。

それに、状態が安定してない時が多かったために、そんな時に写真を撮っていいのかとも思っていたので、写真はそれほど撮ってませんでした。

元気になったら思う存分撮ればいいって思ってました。


息子のいた病院は面会時間は授乳の時間に合わせてあり、2時間ごとに1時間の面会。

母親が産後の入院中はすべての授乳時間に面会できるけど、母親が退院後は午前10時と午後1時の2回だけでした。


息子は胃までの管で母乳を入れていたので、もちろん私は搾乳です。

面会時間に搾乳機を貸してもらい、息子の保育器の横で搾乳して母乳パックに入れる作業をします。

30分くらい搾乳にかかるので、その後に息子をなでたり子守唄を歌ったりしてました。

そんな状態なので息子と過ごせる時間にあまり余裕がありませんでした。


夫が面会に来るときは、他のお母さん方の授乳時間に夫は入れないので午前なら11時から、午後なら2時からなどその時々に合わせて入っていました。(処置があったり他の方の状況で入れない時もあります)

その時は息子と過ごせる時間に余裕ができるので、写真を撮るのは夫といる時でした。

長くなりましたが、そんな理由でも写真が少なくて、火葬後すぐにNICUで撮って頂いた写真のデータが欲しいと思いました。


確か気づいてすぐに病院に連絡したので退院から2日後くらいだと思いますが、データは3枚分しか残っていないと言われました。


亡くなった子だからすぐに消されるのかとなんだか病院から見捨てられたような気持ちになりました。

退院の時に気づけば良かったけど、何も考えられなかったから。

その時は息子の姿が目の前に存在していたし。



それでも3枚でも欲しいと思い、病院に行くのは辛かったですが残しておいて下さいとお願いし、USBを購入して夫と受け取りに行きました。

日曜を挟んでいたので休日はNICUは人が少ないことを考えて、月曜に受け取りに行きましたが、消されてしまわないか不安で仕方なかったです。



病院に行くと、毎日通っていたのでNICUに行けばまだ息子がいそうな気がして、それなのにもういないんだと思うとやはり涙が出そうになりました。


NICUの扉の前でデータを保存して貰うのを待っている間に廊下をふと見ると、息子が寝ていた空っぽの保育器が置いてありました。

なぜ息子のと思ったかというと、保育器を覆うカバーが同じだったからです。

一瞬で中で寝ている息子の姿が浮かんで、涙が出ました。

つい数日前までは息子が確実にそこにいたのに。動いていたのに。

触ると温かくて目をキョロキョロ動かしていたのに。

信じられない。


なんとか我慢してデータを貰い、駐車場に止めていた車に乗ると声を出して大泣きしました。

夫に息子はまだここにいる気がする、NICUに入れば会える気がすると言うと、

夫は

「○○(息子)はもう病院にはおらへんで、三人で一緒に家に帰ってきたやん。これからはずっとお母さんとお父さんと一緒にいてるよ。今もお母さんにぴとってくっついているで。病院はもうイヤやからお母さんの服に隠れてたわ。」

と言いました。





そうなのかな、本当にちゃんとお母さんと一緒に帰ってこれたかな。

今でも時々病院を思い浮かべると、動いている息子に会えるような気がしてしまう。

前よりはほとんど思わなくなったけど。

お家にいてるやんな。

赤ちゃんやのに病院でお母さんとずっと離ればなれで寂しかったかな。

これからはずっと一緒にいてるからね。






夫に言われます。顔が変わったと。

5カ月、毎日泣いているから当たり前だけど。

号泣する日もあれば静かに涙がこぼれる日もあるけど、いまだに涙が出ない日がありません。


息子は超早産で生まれ、しかも発育遅延で週数より2週間は小さいと言われていたけど、状態は10段階のうちの7と言われました。

うまくいけば年末には退院できるかなって。

それなのに次々と訪れる山。病院からいつ連絡がくるのかビクビクして毎日携帯を見張ってました。


病院にいる時間が一番落ち着きました。息子のすぐそばにいられるからです。

何かあってもすぐ息子のもとに駆けつけられる。

病院が車で1時間弱の距離だったため(夜のすいてる高速なら30分ほど)その頃の行動範囲では家が病院から一番遠くて落ち着かなくて、早く病院に行きたかったです。


そんな不安な状態で心配しては毎日のように泣いていたけど、それでもその頃は今みたいな顔はしてなかったと思います。

息子がいたから。

毎日会えて触れられたから。

希望があったから。


しばらくの間は何もかもどうでもよくて鏡もまともに見てなかったけど、最近鏡を見るようになって、自分でもびっくりしました。

泣いて腫れているとかいう問題ではなく、目が違う。

そりゃそうです。何もかも変わってしまったから。

目が心を映すとかいうけど、本当にそうなのかもしれない。


NICUにいた頃はこんな経験をして価値観が変わったと思っていました。

でもその時よりもっともっと価値観も何もかもひっくり返ってしまったよう。

世界一愛してる息子を忘れる日なんてないから、この悲しみはずっと続くんだと思います。

じゃあずっとこんな顔のままなのかな。

こんな目をしたままこれから過ごすのかな・・・。