家人から読むようにと薦められていた、図書館で借りてきた、

写真家・ルポライターの、インベカヲリ★さんの、

「『死刑になりたくて、他人を殺しました』 無差別殺傷犯の論理」

(イースト・プレス 2022年5月発行)…を、昨日、一気に2回読み込みました。

何故、私にいつもより強く薦めていたか、読んでいくうちに、

家人の意図が解り、永年の己自身の『不思議』の意味が、

ピタリとはまったパズルのように、氷解しました。

何故、私が5歳から小学生時までの幼時体験の禍と、

母からの心身ともに酷いDVを受け、

…70歳を過ぎて主治医の言葉で、初めて知った…

PTSD(心的外傷後ストレス障害)になり、

フラッシュバックに悩まされ、高校3年の時から60歳を過ぎた後まで、

何故、何度も自殺未遂を起こしたか…。

何故、私が結果、野性的な本能のみで生きてきたか…。

人間、オギャーと産まれて、飯食って糞たれて死んでいく。

あるのは五感のみ…喜怒哀楽を素直に出して、嘘を己は付かない。

もの心つく頃から、漠然と…言葉自体は大きくなって知ったが…

生きていくことは、生か死かのギャンブルであり、

とにかく前に進むしか、生きる術が無い、

人生は、ブールースのようなものだ。

私がまともなフリして、犯罪を犯すことなく、他人のせいにすることなく、

ココまで生きてこられたのは、5歳の時からの、祖父の管理する映画館で観た、

膨大な数の映画と、

文字を読めない頃から、魅入られ、それが社会人になってからの生きがいとなった

『漫画』のお陰です。

空想すること、妖精がお友達だったというのは、私の真実です。

やってこなかったバイトは、『売春婦』と『死体洗い』以外、

飲食店関係から、水商売、卑猥なQ2の脚本・ゴーストライター・ルポライター・

漫画の原作…なんでもやりました。

そして、大半を漫画編集者として生きられたのは、神への感謝でしかありません。

家人の考察だと、私の母は、上海時代に華やかな時を過ごし、

終戦で引揚てから、彼女の夫の病で、熊本のド田舎の実家に戻るしかなかった屈辱感と、戦争ですべての夢が破壊され、ブライドがぐしゃぐしゃにされたこと。

 

私は、そんな母を、どんになに酷い心身的な暴力を受けても、

異常なほどに慕い過ぎ、母にしてみれば私や兄が、とても疎ましかったのだと思いました。

ましてや、私は幼い頃から、物事を水平に視て、不思議だと思ったことをすべて言葉にすることが、内と外の顔を持つ、母にとってどのくらい悩ませられ、苛立出せたことだったかと思います。

 

私は、人間的に性格がカタワだと、子供の頃から自覚しています。

 

……でも、私は、性的悪戯をされたことを、母に対して絶対に告白しなかった。

それがイイ事だったのか、結果、私の子供時代の言動行為が、母の想像外の出来事であり、さらに母の怒りをかったことは、否めません。

最初の結婚で一族郎党から、『常識外れの女』として縁を切られ、私が腎臓結核になり、母や兄に、心配させてはならないと

電話で連絡したものの、開口一番、「金は無い」と兄から告げられ、その後、どんな時にでも金のムシンしかしてこない母と兄との縁を切って、私は、現実的に独りになりました。

因みに、3歳半の娘を元・夫に渡したのは、男社会の編集者の仕事で、

もし、娘が何かの折にその男どもに悪戯されたら、私は、同じ想いを娘が受けたら、確実に生きていけないと思ったからです。

コレも人生での一期一会の、肉親の縁です。

私には、哲学を生涯の学びとする、家人の許で、野良のどら猫の如く、

自然体で生きています。

私に不思議(・・?…があっても、家人は、全て教えてくれます。

コレは、私の精神衛生上に善く、感謝していますm(__)m