こんにちわ
エネルギー経営学(起業家 HASE)です。
第二話は、自分の「お金に対する執着のはじまり」ということで書いてみようと思います。
その前に、世間的に皆さんは「社長さん」=「お金持ち」と思っている方が多いように感じます。
それは、本当に勘違いだと思います。
もちろん、稼いでいる人も山程いますけどね。
実際に稼いでいる人なんて、総数でみたらほんの一握りだと思いますよ。
※これについては、また今度、詳しく書きますね。
さて、本題いきます!!
自分の実家は、漁師で、とても裕福な家とは言えませんでした。どちらかというと貧乏だったようにも思います。
いっつも魚だしお肉に飢えていたような・・
だからなのか、と言われるとわからないけど、小学生のときにすでに「○○がほしい」という物欲
やお金に対する欲求が、かなり強くありました。
欲しい物は、本当にくだらないものだったんですけどね・・・笑
小学校3年生くらいのときに、学校の帰り道に柴犬専門のペット屋さんがありました。
ある日、そこを通りかかると
外に魚の干物のようなものが、大量に乾かしてありました。
外にペット屋のおじさんがいたから、「おじさん、これ何?」と聞いたらフナを乾かしてるんだよ、犬の餌にするんだ〜」
と教えてくれた。
え〜。犬ってフナ食べるんだ!?とびっくりした笑
子供の頃、よく川で魚とかザリガニとか良く採っていて、フナはもちろん、良く採ったり釣ったりしていたから、そんなもの
犬が食べるんだ!と子供的に驚愕したのを覚えてる笑
ちなみにね。
フナって魚肉ソーセージで釣れるよ笑笑
そしたら突然「おじさんからフナ持ってきてくれたら小遣い上げるから持ってきてくれよ!1kg50円ね!!」と言われ、
子供ながらにマジー!?¥¥¥
金くれんの?と思ったのをハッキリとおぼえている笑
ワクワクが止まらなかったなぁ・・この時すでにお金のことしか見えていなかったみたい、、だった。
今考えれば、フナ1kg50円って激安じゃねーのか?大人恐るべし・・とか思ってしまうけど、その時は、おじさんが
神様のように思えた。
ついでに、よく考えたらすごい量のフナを大量虐殺していってことも大人になってごめんなさい。と思った・・
そっから、俺はフナを採っては、そのお店へ持っていき小遣いをもらう、ということを繰り返し
小学校3年生にして、すでにある種、商売みたいなことを始めてたんです。
今思うと、これが俺の初めての商売だったんだなと思う。
税金払っていないので商売とは言えないけど・・笑
ある種、怖い子供だな。と思ってしまう・・・(汗
更に、子供ながらに、どうやったら大量にフナを採ることができるかを試行錯誤したりして、いつしか大量に採れるように
なっていった。ついでに、友達まで巻き込んで20円やるから、手伝ってとか言って従業員みたいな感じでやらせてた。
悪知恵が働くガキだったんだなと思う。
こわー
そこで、そのときに「仕事をしてお金を得る楽しさ」というものを勝手に学んだように感じる
おじさんには感謝だな。
そして、更に稼ごうって思って、当時カッティングシートを使って文字を切って車に貼ったりするのが流行っていて、手先が
若干起用だった俺は、それを活かして、今度は小学校でそれを小遣い稼ぎのネタに営業をしだした。
作ってあげるからお金頂戴とか言って・・・、
また別の商売を始めたんだよね。
笑っちゃうけど、それはそれで良いお小遣いになった笑
やばい子供だった。
でも貯めるってことは出来ない人間で、結局物欲のためにお金を稼ぎ、それを使ってまた稼ぐなんてことを小学校はやっていたな〜
これが、自分が1番最初に持ったお金に対する執着心。
良かったのか、悪かったのか、なんてことは問題ではないけど、経験という意味では、ここで商売人としての
感覚が養われたように思う。
商売人の子は商売人になる。とか親の背中を見て育つとか言ったりするけど、まさしく、そうなのかもしれないな。と
思ってしまう子供時代だったんだなぁ
そして、小学校、中学校とサッカーをやっていただんけど、中学校に上がる時に、バスケに転向したいと親にお願いした。
そしたら、ずっとレギュラーで選抜などもやっていた関係があって辞めるのは、他の友人や父兄の手前、駄目だと言われた。
絶対やめる!と言い張ったら、そんなにやりたいなら、社会人バスケに入れてやるから、続けろ!と説得され泣く泣く
社会人バスケを始め、部活と掛け持ちでスポーツをやることになった・・・
走ること嫌いなのに、、、
スポーツのポテンシャルは高めで、それとついでに陸上部と駅伝部まで掛け持ちでやらされて・・・走ること嫌いなのに。
正直最悪だった。
昔からお願いされると期待に答えようとする悪いクセというか、ハッキリと断れない弱さみたいなのがあった。
そして、いよいよ中学卒業。
社会人バスケの人にバスケは愛知県だ!!とか言われてそれを鵜呑みにしてしまい。。
親にバスケで愛知にいきたいんだ!と嘆願した。
結果的には、愛知県の高校へバスケの推薦で入学することになったんです笑
その時15歳。
そこから親から離れて下宿生活がはじまりました。
そして、3日で…
何で俺、愛知なんてきたんだろう・・・と後悔したのを覚えてる
そりゃそうだよね。まだまだガキで、親離れなんて出来てるんだか、出来ないんだかわかんないような歳だもんね。
県外だから、親もいないから、仕送り1万円のお小遣い制でやりな。と言われて。
足りるはずもなくて、かなりお金には苦労したのを覚えてる。
スポーツで行ったからバイトもNGで、高校でも小遣い稼ぎをちょこちょことやって
なんとか食いつないでいた日々だった🙁
子供ながらに、方言も違う、知っている人もいない土地にいき、アウェー感半端ない状態だったのも、凄く記憶に強いなー。
楽しいといよりかは、とにかく辛かったような印象が残る反面、親、友人、先生方に凄く支えてもらっていたんだな。
と今になって感謝しかありません🙇♂️
ありがとうございます。
そして、とうとう卒業を迎えるんだが、その時点では全く今の状態も、自分が商売をするなんて思ってもいないし、目指してもいなかった。
むしろ、働きたくなくて、バイトでもして自由にいきて行きたいって思っていた。
もう、先生や親に縛られるのは嫌だから、自由に好きなように行きていこうって思って就職すら決めずに卒業しようって
企んでいた。
そしたら、ギリギリに先生が親にチクって、皆、就職先決めたのに、俺だけ決めてないけど良いのか?って言われたせいで
就職を渋々探すことになったんです。
それで、別にやりたくもない仕事だったけど、とりあえず決めて就職先を静岡にして、地元静岡に帰ってくるという🤣🤣
ダメダメな高校生でした、、