公文って、すごく評価されているじゃないですか。
でも僕はやらせなかったんですよね。
昔、小学校のときに公文をやっていた友人がいて、当時は本当に優秀だった。でも中学以降、パッとしなくなって。
「公文??」ってなったのが理由です。
計算は速い。でも、その先はどうなんだろう、と。
ただ、今はもう少し違う評価をしています。
高校数学まで終わらせてしまうと、全然景色が違うんだと思う。
速習・先取りって、単に早く進むことじゃなくて、「視座が変わる」ことなんじゃないかと。
先にある概念を知っていると、中学でやっている内容の位置づけが変わる。
全体像の中で今を見られるようになる。
これは確実に意識向上キャンペーンになる。
だから、高校数学は早めにやった方がいいと思っている。
でも一方で、中2の時間があるうちに、焦らずに良難問に取り組ませたいとも思っている。
両方要るんだと思う。カリキュラムづくりは面倒だけど。
息子が最近言ったんです。
東京出版の「高校への数学」シリーズの問題をやっていて、「これ、良問だね」と。
レベルアップ演習は入試対策シリーズの中では一番弱いやつなんだけど、それでも結構むずい。僕もあれれ?ってなる。
図形分野で一旦今は撤退し、「スタートダッシュ」という教材に戻っています。
これは中学受験組が受験終わったら最初にやれっていう位置づけのものらしい。
昨年の4月にはとても歯が立たなかった。
でも今は、割とできる。頭は使うけど。
これが面白い。
難問は、すぐ解けるようになるためのものではない。
しばらく経って、回路が増えてから、急に景色が変わる。
そして息子はこう言う。
良い難問を解いた後だと、Hi-STEPで出てくるような問題(むずくは無いけど慣れてないとあれ?ってなる応用問題)も簡単に見える。
上から見下ろしているような感覚を覚える。
これは傲慢でもなんでもなくて、視座が上がったということなんだと思う。
難問は、基礎の抜け落ちを確認する。
標準問題は、ある程度雰囲気で解ける。
でも難問は、一語の定義が甘いと崩れるし、図の描き方が曖昧だと進まない。
だから解けないときは、「才能がない」ではなく、「基礎の穴がある」。
難問は、その穴を暴く。
もちろん、地頭や遺伝はあると思う。
でも、難問は必ずしも地頭論だけじゃない気がしている。
うちの子は絶対そんなに、少なくとも天才では全くない。
4月には歯が立たなかった問題に、今は頭を使いながら向き合えている。
これは才能の開花というより、回路が増えたという感覚に近い。
難問は、天才を選別する装置ではなく、
思考を増設する装置なのかもしれない。
できなかったものに、できるようになる。
その変化を目の前で見られること。
それが親として一番嬉しい。
中学受験で焦り倒さなくてよかった、と少し思う。
成長には、その子のタイミングがある。
速習は視座を高くする。
難問は思考を深くする。
高度と深度。
どちらかではなく、両方。
中2のこれからは、急がない。
でも止まらない。
高校数学の景色も見せながら、
焦らずに良難問に向き合う。
その積み重ねが、本物の基礎力につながるんじゃないかと思っている。
息子と話をしていると学ぶことばかりだ。それに加えてやっぱり学校のカリキュラムには不足を感じちゃうよね。みんなできるようになるのに。
