夏期講習のまとめテスト

夏休みの夏期講習のまとめテストが一部帰ってきました。

苦笑

あちゃー。

数学 8割台後半 まぁ一応及第点、、

英語 8割前半  んー。この習熟はきつい。。

特に今回は難易度高いわけではありません。

何をどう間違えたか。そして、間違えないようにするにはどのように行動するかを決めて教えてねと言ってあります。

間違いの根っこは理解ではなく、点の獲得技術かな。ぁ。

放っておくと無惨にも落第しますからね。獲得技術を上げなければ。

ここのところ理解はできていて、答えられるのにも関わらず、きちんと問題の問いに合わせて答えられていない問題についてはどのように行動を直すかを具体的にするように求めています。

「問題文を最後まで読む」ではまだ精神論で、「何を答える問題なのかに線を引く」「解き終わったら、問いと自分の答えをもう一度対応させる」「英作文なら指定語数、時制、主語を最後に確認する」くらいまで行動に落とす。つまり、反省ではなく、次回の行動を決める。癖ですよね。ある種の。

大切なことじゃないかな。


現代に物申したい。

私利私欲を否定していませんか?

そんなもので子供たちが勉強なんて辛いことに立ち向かっていけると思いますか?

一部の理解しているトップ層はわかって勉強させてます。

もちろん勉強したら同時に富と名声が得られるのではありません。

ただ単に少しだけ参加チケットを得やすいだけです。

それでも、その最初のスタートに着くにはまず勉強です。

先の日経の記事は、それの否定が中核でした。

そんなもん嘘だ。

AI時代に勉強していなければ嘘を嘘とも見抜けず、AIを巧みに操る人たちによって、AIに操られる層になってしまう。なんならAIのAIの下か、もしくはAIに使ってもらえず生活保護か。


AIは産業革命以上の産業革命です。

ウサインボルトよりも足が速い衝撃を笑って見ていてはいけません。


間違なく来る近い将来です。人間はどんどん馬鹿になる。


確かにすでにGoogleマップに頼り切りになっていますよね。


私利私欲でいい。

社会に対して感じている違和感を考えていたら、結局ここに行き着きます。

人間はもっと自分のために生きていい。

綺麗なことを言うつもりはありません。

ガバガバ稼ぎたい。

いい家に住みたい。

好きな車に乗りたい。

人から尊敬されたい。

モテたい。

家族にいい暮らしをさせたい。

それで良い。

私利私欲は、人を動かす力です。

子供が勉強する理由だって同じです。

いい学校に入りたい。

あいつよりいい点を取りたい。

将来ガバガバ稼ぎたい。

人から一目置かれたい。軽く扱われたくない。

モテたい。

だから勉強する。スポーツする。早く走る。

人より喧嘩が強くなる。

それで良い。

「社会のため」「誰かの役に立つため」なんて、最初から立派な理由を求める必要はないと思っています。

勉強しているうちに、数学が面白くなるかもしれない。

歴史にのめり込むかもしれない。

研究したくなるかもしれない。

誰かの役に立ちたいと思うこともあるでしょう。

それは後から自分で見つければいい。

最初から大人が子供の欲望まで教育しなくていい。

というより、社会貢献すら、人間の最後の私利私欲でしょう。

自分が豊かになる。自分の家族を幸せにする。好きなものを手に入れる。やりたいことをやる。その先に余裕ができて、人の役に立ちたい。誰かを助けたい。社会に何か残したい。次の世代に何か渡したい。

そう思う。

それだって、自分がそうしたいからやるんです。

誰かに命令されたからやるのではない。

社会貢献は私利私欲を捨てた先にあるものではなく、私利私欲の先にあるものだと私は思っています。

ところが、社会はこの順番を逆にしています。

まだ自分のことで精一杯の人にも、社会のためを求める。

他者への配慮を求める。支え合いを求める。社会貢献を求める。それをできる人を褒めるだけなら良いのです。

できない人を減点する。自分のために金を使いたい。自分の家族を優先したい。もっと稼ぎたい。人より良い暮らしをしたい。

たかだか人並みの稼ぎの人に重税を課し、普通の人間のごく普通の欲まで、どこか後ろめたいものとして扱う。

税の原資はどこから来るのか。

誰かが働いて稼いだ金です。金は=その人が切り売りした人生の時間です。

ここを社会は少し軽く扱いすぎている。

だから学ぶ意味を教えなくちゃならないとか訳のわからないことを言い出す。

家族と過ごしたい。

旅行に行きたい。

運動したい。

本も読みたい。

何もしない時間だって欲しい。

人のために切り売りする時間なんて無いんです。

資本家側でもなければ。

限られた人生の時間を仕事に使う。

だったら、できるだけ稼ぎたい。

その金を自分と家族のために使いたい。

社会の側から見れば、負担能力のある人に負担を求めるのは合理的なのでしょう。

でも、それを際限なく続ければ、人間の欲には逆のインセンティブがかかります。

頑張っても取られる。

稼いでも取られる。

余裕があると判断されれば、もっと負担を求められる。

それでも社会のために頑張りましょうと言われる。

それと同じ匂いを日経の先の記事に感じるのです。与えれば与えただけ果実があるんではと思ってるような。

人間の意欲がどこまでも続くと考えることは不自然です。

それをまだ余裕のない人にまで求め、できなければ減点する。

私には、それがある種の税に見えることがあります。

人間の欲にかける税です。

だから全部減点主義になる。

これだけ配慮できていない。

これだけ社会について考えていない。

これだけ他者に貢献していない。

教育にもです。

勉強しろ。

運動しろ。

芸術に触れろ。

協働しろ。

探究しろ。

主体性を持て。

社会とつながれ。

そして、

「何のために勉強するのか自分で考えなさい」

そこまで子供に求める必要がありますか。

私利私欲を実現するためには、力が必要です。

世の中を知らなくちゃいけない。

人の話を理解できなくちゃいけない。

自分で考えなくちゃいけない。

読み書きもできなくちゃいけない。

数字も扱えなくちゃいけない。

英語ができれば行ける場所も増える。

知識があれば、騙されにくくもなる。

できることが増えれば、選べるものも増える。

だから勉強しろ。

私は息子に自分の人生を、自分のために生きられる人間になってほしい。充実した人生を歩んでほしい。


ただ、子供にそう言って放り出すだけでは無責任です。

子供はまだ何も持っていません。

何が好きなのかも分からない。

何が得意なのかも分からない。

世の中に何があるのかすら、ほとんど知らない。

だから、親が親でいられる間は力一杯手を引きます。

小さいうちは手を引いて歩く。

少し大きくなったら、一緒に歩く。

自分で歩き始めたら、少しずつ手を離す。

迷ったら助言する。

必要なら金も出す。

そして18歳になったら、もう親が前を歩けない。

最後は精一杯助走して、前のめりに背中を押してやる。

どこかまで飛んで行け。

そこから何を欲しがるのか。

何を手に入れるのか。

何に失敗するのか。

誰を好きになるのか。

何を幸せだと思うのか。

それは全部、自分のものです。

そのために今、力をつける。

だから勉強しろ。

勉強しなきゃ、勉強の意味なんて分からない。

日経に「子どもが学ぶ意味を見失っている」という記事が出ていました。

ベネッセ教育総合研究所と東京大学社会科学研究所の調査によると、この11年で学校外の学習時間は約2割減少。

「何のために勉強しているのかわからない」という子供も増えていて、小学4〜6年生では4割、中高生では半数近くになっているそうです。

これはなかなか重い数字です。

記事では、その背景に社会の変化があるとしています。

以前は、学校で努力して成果を残せば、安定した仕事や生活につながるという道筋がある程度見えていた。

でも、大学進学の大衆化、雇用の流動化、生成AIの登場などによって、その見通しが揺らいでいる。

そこで、子供たちに社会との接点を持たせる。

高校の探究学習や企業との連携を通じて、

「自分は何のために学ぶのか」

を実感できるようにすることが大切なのではないか。

そんな内容でした。

割と賛成できない笑。


んなこたわかんねぇよ。僕はそもそもの順番が逆なんじゃないかなと考えています。

勉強しなきゃ、勉強の意味なんて分からない。

子供達は何も知らないのですから。最初は。

数学をほとんどやったことのない子に、数学を学ぶ意味を説明したって分からない。

数学が宇宙を構成してるなんて繋がりますか?

歴史を知らない子に、歴史を学ぶ意味を聞いても仕方がない。

今住んでいる場所が昔は洪水でしょっちゅう流されていたことを気付ける子が沢山いますか?

英語をほとんど使えない状態で、「英語で世界が広がる」と言われても、本人にとっては大人が言っているだけの話です。

ある程度やってみる。覚える。少しできるようになる。

そのうち少しつながる。

そこで初めて、

「ああ、こういうことだったのか」

が出てくる。

学ぶ意味というのは、学習の入り口ですべて説明できるものではなく、ある程度学習した後から見えてくるものです。

先日、息子と地理の話をしていて、沖縄で飲んだサトウキビジュースの話になりました。

サトウキビから薩摩藩の話になり、薩摩と徳川の関係へ行き、木曽三川の治水工事へ行き、幕末につながる。

私は、岐阜で育って輪中を習ったので宝暦治水と薩摩藩の話は知っていました。でも、子供の頃に習ったのはどちらかというと「薩摩藩ありがとう」の部分だった。

その薩摩が琉球を支配してサトウキビなどから利益を得ていたことや、幕府との関係まで含めて一つの歴史として見えてきたのは、もっと後のことです。

知識が増えたからつながった。

つながったから面白くなった。

最初から「探究」していたわけではありません。

英語も同じです。

単語を覚える。基本英文を覚える。文法をやる。

恐々と海外の人と話してみる。通じる!すごい!

学ぶ意味が先にあって勉強するだけではなく、勉強したから学ぶ意味が分かる。こちら側をもう少し大切にした方がいい。


学校の探究学習には無理が大きい。

「自分で問いを立てましょう」

「調べてみましょう」

「考えてみましょう」

と言われても、頭の中に材料がなければ、そもそも深く考えようがない。

そして課題も知らない。

今の子供達に、シラス台地で水を得ることがどれほど大変だったのかなんて、相当細かく教えてあげないと全然わからないと思います。

蛇口を捻ったら水が出る世の中じゃなかったことなんて親の私すら知らないんですよ?

相当歩み寄ってあげなくちゃ。

知識を詰め込む教育が悪いのではない。

知識を知識のまま放っておくのが良くないのです。

知る。別の知識や自分の経験とつながる。そして使って、知識に血が通う。

僕は、暗記と反復学習を肯定します。

英語も数学も国語も、社会も理科もです。

面倒くさい基礎学習こそ必要です。

最終地点ではないですけどね。


また、子供にはもっと勉強させればいい、とは僕は考えません。むしろ全体で見れば、今より学習量をかなり減らした方が良いでしょう。

今の教科書、分厚すぎます。




もちろん、一つ一つを見ればどれも必要なのでしょう。数学も英語も国語も理科も社会も必要。情報も必要。保健も家庭科も技術も美術も音楽も必要。

馬鹿じゃないの?できるわけないじゃん。

あんなガッチガチミッチミチのゴリゴリに内容が詰まってストーリーも書いていない一問一答みたいな教科書でかつ超大量なのに、みんなが全部を自学できるわけないでしょ。

日経新聞のひと教科書読んでる?笑

それを全部積み上げた上で、

「自分で問いを立てましょう」

「探究しましょう」

「社会とつながりましょう」

できるわけねぇから。


何かを増やすなら、何かを減らさなくちゃいけない。

子供に探究を求めるなら、大人の側に「これはやらなくていい」と言う勇気が必要です。

音楽か美術。

技術か家庭科。

体育に保健をくっつけて筆記試験までやらなくてもいい。

体育なんて、運動能力が低くても一生懸命楽しめていたら5でいいんじゃないですか。

しかも東京は実技教科倍評価ですか?なんの拷問?

そのくらい割り切って、せめて学校体育で身体を動かす楽しさを知ってほしい。


評価も、加点式でいい。

全部をそつなくこなせる子供だけを評価するのではなく、

「こいつはこれが好きなんだな」

「これは随分できるな」

というものを拾って加点。探究をやらせるならそれくらいしなくちゃ無理でしょ。


基礎はやる。

読み書きも計算も必要。

語彙も必要。

歴史も地理も知っていた方がいい。

英単語だって覚えなくちゃ英語は話せない。

面倒くさい基礎学習を飛ばして「探究は楽しいよ」と言っても、頭の中に材料がなければ深いところまでは行けません。

勉強しなきゃ、勉強の意味なんて分からない。

でも、時間は有限ですから、何を全員に求めるのかはもっと絞る。


日経の記事では、企業が教育に参加し、仕事の面白さや葛藤を子供たちに伝えることも提案されていました。

でも「将来この仕事をするために、今これを勉強するんだよ」

なんて綺麗な線を引く必要もないと思います。

自分は何が好きなのか。

何が得意なのか。

どこまでできるのか。

何なら一生懸命になれるのか。

そんなものは、やってみないと分からない。

勉強も同じです。

もう一つ重要な論点を。

これは私自身の反省でもあるのですが、勉強の意味なんて子供に求める時間はありません。

ただ単にやるのみです。

後からで良いです。意味を考えるなんて。

そんな暇はありません。それも事実です。

英語に血を通わす

魔裟斗さんのYouTubeを見た。

タイに家族旅行。


良い家族だ。すごいなぁ。かっこいい。



息子さんのエイト君が英語を話している場面が出てきます。6分くらいからです。7歳くらい。おそらくインターナショナルスクール的なところで教育を受けているんだと思う。

タイのホテルでルームツアーをしているんだけど、この英語がすごかった。

発音が綺麗なのはもちろんなんだけど、すごいと思ったのはそこではない。

英語が自分の頭からそのまま出てきている。

例えば洗面台を指しながら、

This is the place that you wash your hands with soap.

と言う。

(文法的にはwhereなんでしょうけど)そんなことはどうでもいい。

「ここは石鹸で手を洗うところだよ」と言いたくて、それがそのまま英語になって出てきている。

トイレを見せながら、

You think it’s a shower room? No, but it’s a toilet.

とも言っている。

覚えた英文を喋っているんじゃなくて、見ている人に「シャワールームだと思った?違うよ。トイレだよ」と、その場で話しかけている。

鏡のところでは、

This, you can see your face.

と言う。

mirrorという単語が出てこなかったのかどうかは分からない。そんなことはどうでもよくて、分からなければ「顔が見えるやつ」と言う。

これができる。

息子にも見せてみた。

息子も、

「すごい」

という感想。

そう。すごいんだよ。

わかるらしい。その違いが。

言語頭の中身が違う。

息子の場合は、

「言いたいことがある→英語を考える→喋る」

という過程がある。

エイト君は、

「言いたいことがある→英語」

この差はでかい。黒部ダムくらいでかい。

幼い頃から英語を大量に浴びつつ、使っている子だとすれば、やっぱり違うんだろうなと思う。

触れてきた英語の量と質が違う。

ネイティブと第二言語学習者の差というのも、こういうところにあるんだろうなと思う。

最近の息子は毎日のNativeCampをやっています。

負荷も少し軽くなってきている様子。

もちろん、学習負荷が軽くてはいけないのですけど、心理的負荷は軽い方が良いですね。

Daily Newsの記事を聞いて、質問に答えて、音読して、その後は記事に関連した質問に英語で答える。

最近は先生との会話もかなり増えてきた。

テニスの話をしたり、3Dプリンターで何を作ったのか聞かれたり、犬を飼うなら何がいいとか、旅行ならどこへ行きたいとか。

当然、答えなんて準備していない。

だから、

Just wait, please.

と言って一生懸命考えていることもある様子。

それでも最近は、知っている単語と文法を使って、なんとか答えるようになってきた。

かなり来ていると思う。

ただ、エイト君を見るとまだ全然違う。




本当は僕も、息子をもっと小さい頃から順序よく英語漬けにして、こんな感じにしたいなと妄想していたけれども、できなかった。

お金もなかったし、ノウハウもなかったし、何より時間もなかった。

小さい子供に英語環境を作ろうと思ったら、親がかなり付きっきりにならなくちゃいけない。YouTubeの番組を完全コントロールしなくてはならない。

うちが幼少期にできたのは、英語塾で週一回、発音練習をさせるくらいだった。

英語をやらせ始めたのは小学校4年生くらい。学校英語を先取りするようなことを始めた。

これが結構大変だった。

このことは過去のブログに詳しく書いている。東進オンラインに助けられた。

小学生に中学校の英語を先取りさせるって、思っていたより難しい。

英語を自然に覚えさせようと思えば、とんでもない量の英語に触れさせなくちゃいけない。

でも文法で教えようとすると、今度は小学生には概念そのものが難しい。

この辺はずいぶん苦労した。

それでも少しずつ基本英文を入れて、文法をやって、音読して、三級はクリアして、

オンライン英会話を一年生から取り入れてきた。

そして今、中学2年生。夏。

ここへ来てようやく、面白くなってきた。

少しずつ、アウトプットが増え始めている。

今のルーティンはこうです。

文法は塾。

今となってはHi-STEPは効いている。

私立対策を含んでるから学校英語よりもかなり詳しい構文暗記があり、複雑な英語表現を習う。これにより、表現力が間違いなく向上する。

単に正解か不正解かだけの塾英語だときついけど、大量の基本英語に触れている状態で習うとすんなり入ってくるはずだ。

そして、学校英語は1ミリも間違わない状態で行ける。

単語学習もルーティン化できている。

DUO Selectを新しいセクションは4日かけ、復習は毎日行う。

4分の1くらい進んだら最初の方は一旦割愛すれば良いかなと思う。時間調整だね。

DUO Selectの英文を完全に覚えられたら、英検二級はもうそこまで見えると思う。

NativeCampでは、それまで覚えてきた英語を使って、自分で英文を作らなくちゃいけない。

間違える。

止まる。

言い直す。

先生に通じない。

もう一回言う。

知らない単語があれば、知っている単語でなんとか説明する。

今はこれをやってほしい。

英検のための(小学校のうちに準一とか二級とか)英検勉強をあまり急がせていない理由もここにある。

もちろん英検は取る。

準2級も取ったし、次は2級を目指している。

でも、英検2級に早く合格することが目的ではない。

それより今は、基本英文をたくさん頭に入れて、何度も口から出してほしい。

それがある程度溜まったところで、中学3年生くらいになると結構面白いことが起こるんじゃないかと思っている。

現在完了と関係代名詞が来る。

いや、一応触れてはいるんだけど、なんだろう。そういうことじゃないんだよな。

現在完了のhaveって、ただ「持っている」のhaveじゃないじゃんね。

僕はこの辺で、突然英語の神が降りてくる気がしている。

例えば現在完了を習って、

have+過去分詞

と覚えるだけじゃなくて、

「ああ、これ、今まで俺が言いたかったやつじゃん」

となる。

関係代名詞も同じ。

今までは短い英文を何個も並べていたものが、関係代名詞を使えば一つにつながる。

表現できることが突然増える。

だから、それまでに基本英文を叩き込んでおく意味がある。

文法を習ってから使うんじゃなくて、使おうとして散々困りながら使う。

言いたいのに言えない。

それを何百回も経験しておく。

そこに文法が入ってくる。

そうすると突然、「これか」となる。

僕は中3と高一でそれが突然降ってきたことを覚えている。

実際、息子にも、何故か突然来るだろう。

昨日までできなかったものが、ある時急にできるようになる。

もちろん本当は突然じゃない。

それまでやってきたものが溜まって、どこかでつながるだけなんだろう。

エイト君みたいにはならないと思う。

ネイティブにもならないだろう。僕は、ネイティブっぽい人を育てなくちゃいけないわけではない。

数学でも国語でも英語でも、結局育てなくちゃいけないのは芯の部分。

自分で考える。

分からないものを考える。

人の言っていることを理解する。

自分の考えを持つ。

それを相手に伝える。

英語だってそのための道具なんだから、発音がネイティブっぽいだけでもしょうがない。

でも、道具として使うなら、やっぱり血は通わせたい。

僕の英語教育の目標は、

「血を通わす」

覚えた英文法と単語を、問題集の中だけに置いておかない。

自分の考えを乗せて、自分の言葉として使えるようにする。

息子はまだ間違いだらけ。

でも、最近は明らかに自分の頭から英語を出そうとしている。

ここからまずは半年。そして一、二年。

これを続けたらどうなるんだろう。

ちょっと楽しみだ。

少しずつ自分のものに



本日は夏期講習テスト。

Hi-STEP中2の夏期講習でいつの間にか数学のテキスト配られていました。2、3って書かれてました。図形分野はメネラウスや円の特性なんかまで取り扱い、場合の数も大量に問題が収録されています。
あまり苦手なところではないイメージなのと、息子は難しくないというもんですから、それを信用してあまり口うるさく言わずにやってます。定期テストとも被ってますしね。

スポーツ。

ブログでは書きましたが、夏休み前に少し事件がありまして、それに対して、大袈裟に叱ることもせず、当然褒めることもせず。

学校に期待しすぎてもいけないので外に活路を見出し、外のスクールで10回以上レッスンを受けました。

その結果、思い詰めずに済みました。また、部活からも逃げずに参加することが一応できています。

いずれにせよ、中2にもなると、スポーツではもうトップクラスの選手とはかなり差がついていますから、やるならやる。余計なことに囚われずに、どんどん自発的にやっていくことこそが結局の解決策だと思いました。

スポーツでの、ある種の組織からの自立が芽生え始めているということです。

英語。

また、学習面では英検準二級の合格が非常に良い結果をもたらしてくれました。

単語帳の暗記はきつかったですが、無理なく準二級の合格をいただけたことで、できるという自信を持つことができたようです。

その結果、オンライン英会話にて、明らかに変化がありました。

これまでは夜の遅い時間に私が帰ってから取り組む姿が多かったのですが、夏休みは昼間にさっさと取り組んでしまうようになりました。

レッスン講師とはいえ、外国人の先生と話すことにストレスが無くなったということです。自身もそのように言ってます。

もちろん英語の点数は大事なんです。テストの点数は大事です。

けれども、机上の英語だけにとどまり、全然使うことなく学生時代を過ごしては、せっかくの取り組みが勿体無いです。

間違いが許される環境でとにかく使っていく。話していく。

あと一年くらいそれを続ければ、やらなかった場合とは強烈な差が出てくるんじゃないかと想像しています。

でも、同じ繰り返しにならないように、音声ログの書き起こしをチャッピーに見せて、助言をフィードバックするスタイルを毎日やっていってみています。

これはお勉強スタイルになりすぎない復習スタイルとして、良い方法なんじゃないかなと思っています。

国語。

最近気づいているのですが、語彙が弱い。

例えば、「秩序」。

意味わかるか?と聞いたところ、停止していました。

「霜柱」も。

わからんだろうな。

「いじめる対象の女中。」

というのも、たぶんわからないと思います。

使ってないですね。ここら辺の語彙。

「秩序」なんて超基本単語なのに、私自身もすっと完全に説明しろと言われると困りました。

私は「序列が守られているような状態」くらいの感覚で捉えていましたが、辞書を引いてみると、もう少し広い。

物事が一定の決まりや関係に従って、きちんと保たれている状態。

考えてみれば「秩序」という言葉自体、社会ではわざと解像度を落として使われていることが多い気がします。

「戦後秩序」とか「国際秩序」とか。

新聞を読んでいると当たり前のように出てきますが、その秩序とは具体的に何がどういう状態なのか。

なんとなく意味が分かった気になって、そのまま読み進められてしまう言葉です。

私は新聞のこういう書き方があまり好きではありません。

私自身ですら、知っているつもりの基本的な言葉にこういう曖昧さがあります。

息子はそれよりもっと解像度が低い。

一つ一つの言葉をなんとなくで読み進めれば、文章全体もなんとなくしか読めなくなります。

少し曖昧な語彙を放っておくと、読解がだんだんふわっとしてくる。

これでは「全然読めない」につながっちゃいます。

1日二、三回は辞書を引く。

毎日繰り返してもらうしかないな。。。

あとは語彙を増やすような、ちょっと厨二な漫画でも買い与えるか。。

いずれにせよ、少し独立心が出てきたり、学習習慣が身についてきたり、多少の自信がついてきたりで、私から少し離れていってる様子ですね。

今後それはますます加速するだろうなと思って。

昨日、息子に。

うまくいく結果は誰のものか。

また、逆にうまくいかない結果は誰のものか。

父ちゃんができることは何か。

三つしかないぞと。

「応援」「助言」「多少の資金」

あとは全て自分のものだからねと。

血の通った学習




できる限り、血の通った学習になっていってほしいなと思います。

そろそろそんな年代です。

例えば、英語で言えば、塾や学校で習っている表現をオンライン英会話で使ってみる。

学校のレポート提出的な課題に対しては、課題に必要な知識をよく咀嚼して、自分の言葉で表現していくですとか。

そんなことを実践しやすい学習の一つが、地理の勉強ですかね。

地域の特産品について会話していた時のこと。定期テストの範囲が九州エリアなんですよね。沖縄も含まれます。

「沖縄で飲んだサトウキビジュース、まじで美味しかったー。」

ですって。

サトウキビを鉄の圧搾機で搾り、シークワーサーを少し混ぜて水で割った飲み物。

鮮烈な酸味とサトウキビの爽やかな甘みが確かに美味しかったです。

そういった鮮烈な体験は、血の通った記憶になります。

それと社会科の教科書や参考書、問題集で出てくる事項と結びつくと、なかなか忘れない、血の通った知識に変わります。

ついでに、奄美のサトウキビを吸い上げて財政を立て直した薩摩藩の話。

そこから島津と徳川の長い緊張関係。

関ヶ原、幕府から課された負担、宝暦治水、そして幕末。

そういうものが積み重なって、最後は明治維新へつながっていく。

沖縄で飲んだ一杯のサトウキビジュースから、奄美の黒糖、薩摩藩の財政、島津と徳川、岐阜の木曽三川、そして明治維新までつながっていきます。

例えばこういうことです。

理科でも数学でも国語でも。

全ては血の通った生きた教養へ。

そうすれば丸暗記で苦しい科目学習とも向き合えます。

やはり、小学生の間にできる限り旅行は行っておきたいですね。

小さい頃からうちの息子は、旅行に行くたびに新しい刺激が入るのか、賢くなったと感じることが多かったです。

2歳とか3歳の頃から。

1週間かけて紀伊半島を回ったり。

そういった旅行を経た後は、必ず何かしら成長を感じました。

今はどうしても効率を求めて机上の学習になっちゃってますが、できる限り体を動かした学習もしてほしいなと思います。


ただし、ここで重要だと私が思うのは必ずしも網羅的にあっちこっちに行くことが大切ではないということです。

そんなこと無理です。

そこまでやらずとも、一つ一つの事柄に向き合うことで充分です。

学術や先端分野研究、また基礎研究に関わる部分や、学校制度そのものの改善についてはコメントしてないですね。

いろんな話題があると思います。


たかが大学受験です。





塾系YouTuberが、人の学校を罵り、たかだかちょっと入学を勝ち取るのが難しい大学に入る人を讃える番組がありますね。

そんなに気持ちの良いものではありませんが、そのYouTuberの青色のほうが書いた文章は本を買って読みました。

中高生の間に一生懸命勉強して、社会に出るときに多少有利に使える参加券を取りに行け、というようなことが書かれていました。

社会の実態の一面を書いてらっしゃるなとは思いました。

そのYouTuberの影響で学歴厨が量産されている、という批判があるようです。それを民主主義の破壊とまで言う人がいて苦笑いしています。いや、昔からいたからさ。。

私は、学歴厨と呼ばれる子供たちを見て、大人が目くじらを立てる必要があるのだろうかと感じています。

近い人が注意するのは良いですよ?その注意は意味があります。でも、九州大学の教授が、学歴厨や学歴系YouTuberについて、学歴カルト、さらには民主主義を阻害する元凶とまで評しているのを読み、強烈な違和感を覚えました。

また、強烈な違和感をもつ記事を読みました。学歴で人を評価することを「下品」「滑稽」と散々批判した最後に、自分は娘の⚫︎⚫︎アカの算数ノートを開く「⚫︎⚫︎パパ」と名乗る。

学歴を否定しながら、最後には自分自身を学校歴で表現している。記事を読まれたい気持ちは理解しますが、こういう自分だけはその価値観の外側にいるような態度に疑問を持ちました。

たかが大学受験です。学歴は人間の価値を決めません。

東大に入ったから偉いはずないし、大学に行かなかったから人間として劣ることもありません。当たり前です。

補足をするならば、偉い偉くないは法人や組織の都合の話です。その中で、便宜上どう敬意を払うかという生き方の技術の話でもあります。おべんちゃらも結果を得るための技術です。

現実の社会では人は選ばれます。

大学入試では点数で選ばれる。就職でも選ばれる。仕事を始めたら、今度は実績や能力で選ばれる。プロジェクト参加者も選ばれます。

私たち自身も毎日何かを選んでいます。今日の牛乳は高いやつにするか、安いやつにするか。会社を選ぶ。商品を選ぶ。友人を選ぶ。結婚相手だって選ぶ。

選ばれなかったことを全部「差別」と呼ぶのであれば、世の中は差別だらけです。絶世の美女に自分が選んでもらえなかったからといって、普通は差別されたとは言わないでしょう。とっても哀しい思いはしますが。

学歴も同じです。行きたい大学があるなら、勉強して取りに行けばいい。それが選択ですし、自分が選ぶ以上、同時にまた自分もまた選ばれます。

東大に行きたい。早慶に行きたい。

あいつには負けたくない。

偏差値をあと5上げたい。

たかが、くだらないそんなものを目標にして一生懸命勉強することの、何がおかしいのだろうと思います。一生懸命に勉強しなきゃいけないと必死に煽り立てるYouTuberの何がおかしいのか、何が間違っているのか。

構わないと思います。それこそ品がないと思う人は見なければいい。需要がないものはいずれ廃れます。

もっと言えば、しょうもない学歴にこだわって身を崩すなら、それもまたその人の人生です。人が一生懸命に勉強した結果入った場所を嘲笑うのであれば、その程度の振る舞いの結果くらいは、本人が引き受ければいい。大した話ではありません。

私は、子供たちの学歴へのこだわりには、もう少し違う側面があると思っています。

アイデンティティ形成の途中にある、プライドです。

「自分はきっとできるはず。」

自分はもっと上に行けるはずだ。
頑張ればここまで行ける。
この学校に入れる人間になれる、自分は何者かになれるはずだ。

自分でそう思えなかったら、一体誰が思ってくれるのでしょう。

例外はいて、親は思ってあげられます。

でも、最後に机に向かうのは本人です。

世の中には意地悪な人もたくさんいます。

「お前には無理だよ。」

そんなことを言ってくる人は、これからいくらでも現れるでしょう。

だったらせめて自分くらい、

「いや、俺はもう少しやれるはずだ。」

と思っていてほしい。いつまでも思うべきです。

私はそのために、親としてちょっとだけ手伝ってやろうと思っています。

やってみせて、やらせてみる。

できるところまで一緒にやる。

小さな結果を出させる。

結果が出れば自信になる。

自信がつけば、次は自分から挑戦する。

これは先生でも塾でもある程度はできます。

でも、まだ何者でもない子供を、何の実績もないところから「お前ならできる」と信じてやることは、親にしかなかなかできません。

そこに愛が必要だからです。

もちろん、取りに行っても届かないことはあります。その経験も必要です。

本気で勉強した。

それでも落ちた。

だったら仕方ない。

「あれだけやったけど届かなかったな。」

本気で取りに行ったからこそ、諦めもつくってもんです。

人なんて、立って半畳寝て一畳。

最後はなるようになるさ、でいい。

今日のスイカが美味しくて幸せを感じればそれで良い。

でも、最初から「そんな競争には意味がない」「学歴にこだわるなんてくだらない」と言ってしまったら、自分がどこまで行けるのか試す機会までなくなってしまいます。

だから私は、学歴競争を強く否定しながら、自らは大学という選抜システムの中で教授という立場にいる人が、若者の学歴への執着を「カルト」や「民主主義の問題」にまで膨らませて批判することには微塵も賛同できません。

制度の中にいる人が制度を批判してはいけない、という話ではありません。

たかが大学受験です。もっと泥臭くていい。

欲しいなら取りに行く。取るために勉強する。取れたら喜ぶ。

取れなかったら悔しがる。

あれっ?

甲子園にあなた感動してませんか?

それと何が違うのですか?

また次へ行く。

繰り返しの中で、自分なりの自己実現や充実や、自己満足の基準を作っていけばいい。

人生を楽しくするのは、そういうものと考えています。感情を含めて否定せず一生懸命に取り組むことの中に真髄を感じています。

ビュフォンの針をやってみた




今日は少し自慢話。

夏休みの宿題。

日頃の、答えのある問題を解くような宿題ではなく、自由研究レポートとか、工作とか。

いろいろありますが、中学校でもやはりあるんですね。

日頃の課題よりも、もっともっと難しいです。

答えがありませんから、どこまで何をどうやれば良いか、なかなか子供たちにはイメージがつきません。

しかも数学の宿題。

数学の何か話題を決めて、それについて実験、検証して、まとめてレポートを書くんですって。

息子はあまり自発的じゃない気がしていたので、私は少し心配だったのですが、

何をやるの?

と聞いたら。

もう決めてるですって。

へぇ。

「円周率についてやりたい」

ほう。

円周率とな。

なんかおもしろい研究対象あるかしら。

と、iPadでブラウザの検索に円周率と。

なんか江戸時代の和算数学者の先生出てきた。

関孝和だってさ。

江戸時代の円周率の求め方でも試してみたら?

と聞いたら。

「関孝和。知ってるよ。有名じゃん。」

へぇ?そうなん?

ようしっとんな。

「針を投げると円周率を求めることができるのをやりたい。」

へぇ。

なんだと?

針を投げたら円周率?

何のこっちゃ。

ググるググる。

ビュフォンの針とね。

何本も平行線が引かれた平面に針を何度も投げて、針が線と交差した回数を数える。

その確率から円周率を求めることができるそうな。

ビュフォンの針のこと?

「そうそう。それ。課題を聞いてから決めてた。」

そうなんだ。

おまえようしっとんな。そんなもん俺は聞いたことないわ。

何で知ったん。

「何かで読んだよ? 忘れた。」

確かに息子にはせっせと、こういう本を買い与えています。

読まないかもしれないけど、数学好きって言うし、もしかしたら読むかもと思って。

『数学が好きになる数の物語100話』

Amazonで見る

とか。

『数の悪魔―算数・数学が楽しくなる12夜』

Amazonで見る

とか。

そこらへんに書いてあったんでしょう。

無作為に針を投げるのか。

そして、その確率と。

その平行線は何本もあった方がいいし、ある程度広い場所もいる。

針はたくさん投げないといけないし。

あ。そうか。

もしかして床?

ということで、床に爪楊枝を2000本投げて数えました。

20本×100回。

せっせと投げて。

数えてメモって。

を繰り返しましたところ。

良い結果が得られました。

3.16くらいでした。

へぇ!すごいなぁ。

針の角度と、針の中心から線までの距離。

その組み合わせで線をまたぐかどうかが決まって、その確率を計算すると円周率が出てくるらしい。

なるほどね。

それにしても嬉しかったのは、数学への興味を引き出せたらと、親のエゴでせっせと与えていた本を、ちゃんと何度か読んでいたことです。

そして、その中から「これをやってみたい」と思うものが残っていたことです。

それを実際に2000本投げて実験して、レポートにして、表やグラフに表して、ほぼ完璧な確率分布の表現をして提出できたことです。

こういうことは、なかなか受験勉強だけをやっているとできません。

僕は、公立の学校もこういう宿題を出して、一生懸命やってくれてるなと感じます。

ただ、答えがない課題だからこそ、結構子供たちによって差が生まれちゃう指導でもあるなぁ。

何を知っているか。

何に興味を持ってきたか。

そこから何を選ぶか。

レンジがものすごく広いというか。

夏休みも、もう終盤



おはようございます。

夏休みが始まった日からわかっていましたが、お盆が終わると、もう長いだろうなと思っていた夏休みもおしまいですね。

少し休みだった部活も再開しますし、今週末はHi-STEPの夏期講習テストです。それが終われば期末テストです。

社会も理科も計画的に取り組んではいたものの、なかなか習熟には至ってないです。せっかくやったのになぁ。

塾の夏休みのテストはあまり気負わずにやれば良いと思いますが、すぐにトップ模試も始まります。こっちは点数をプラス15点もぎ取りに行ってほしいなと思います。

夏休みに結果としてある程度取り組んだこと
数学

場合の数、平面図形のジャンル。

場合の数は小学校の頃から一緒に取り組んでいます。高校の入門問題精講で取り組み、高校への数学の月刊誌の問題にも取り組みました。

接続がよかったです。

これにより、高校数学を進めることもできつつ、中学の場合の数にも取り組め、効率が良いです。

国語

とにかく一年生の実力錬成テキストに取り組みました。

いくつやったのかははっきり数えていませんが、演習問題が豊富で、記述もガッツリ書かせるので、書くのしんどいなっていうハードルを乗り越えれば実力が確実につきます。

やらせてみて分かりましたが、ある程度のインプットとアウトプットを繰り返すことで、国語の力も上がってきますね。

国語は時間がかかりますが、来年の特色試験に耐えられる状態を作るために、中2のうちに何が何でも確固たる読解力を作っておく必要があります。

まだ夏休み少し残ってますから、もう少しやってもらいます。

英語

Hi-STEPのテキストに遅れないようについていくことと、DUO selectを少しずつ進めること。

そしてネイティブキャンプにできる限り毎日取り組むこと。

淡々とルーティンを繰り返すフェーズに入ってきています。

このルーティンを淡々と粛々と続けることで、きっと英検には届きますし、それよりも話せるようになってくると思います。

先日書きましたが、ネイティブキャンプの文字起こしをチャッピーに添削してもらうことも継続していきます。

例えば昨日のやつですと、自由発話を中心とした添削・評価です。

今回の評価は63/100。

音読や教材の復唱は除外し、その場で自分で作った英語を中心に見てもらっています。

チャッピーによれば、

If I like the fun decorations very much, I may travel a long way just to see fun decorations at an airport.

という発話。

文としてはまだ不自然なところがありますが、「その装飾がすごく好きなら、遠くても行くかもしれない」と、質問に対して自分で条件を加えています。

習った if を問題集の中ではなく、自分の考えを表現するために使ったわけです。

一方で、

because plane is more faster than train.

のような文法ミスもまだ普通にあります。

ただ、比較して理由を説明しようとして because や比較級の faster をその場で引っ張り出している。

今は正確さだけを求めるより、「黙らず話す → 理由を付ける → 条件を付ける → 間違えながら最後まで伝える」という段階と評価してもらえます。

問題集で覚えた文法に、少しずつ血が通い始めれば良いなと思います。

残り2週間。

スポーツも宿題も学習もやり切って、一皮剥けた二年生後期を迎えて欲しいと思います。

それが終わったらもう中3。

早いですが高校入試が来てしまいます。

来年の夏休みは塾にフルベットだろうな。