部活のことについて、あまり最近書いていませんでした。

1学期なかなか部活が始まらず、しかも指導はあまりなく、活動日も何かにつけて休みがちな学校部活動についてです。

かつては部活が多すぎ、熱血すぎてどうなんだろうと思うところもありましたから、今くらいの塩梅が良いのでしょうと感じる面もありますが。。

それはさておき、一つのスポーツを部活動を通して身につけようとする場合は物足りなさもあります。

勉強のことばかり書きがちなこのブログですが、プロ選手にならずとも、生涯楽しみながら健康増進や人とのコミュニケーション向上に寄与するスポーツは大変重要なものだと考えています。

当然ある程度上達しなくては楽しくありません。勝てなくちゃつまらないのもありますし。

なので、夏休みは一生懸命に市営テニスコートを借りて一緒に練習しました。それのおかげで私の体重も少し減ったのは副次的な産物でしたが。

で、練習や他の部員を誘ったりと言う行動を通して地域のテニスクラブに誘ってもらい部活よりも高度な練習に取り組むことができるようになったりしています。

今週末試合なんですよね。一年生大会。寒い時期にやるなぁと少し戸惑っていますが、、まぁそれはどうでも良いです。

熱心なチームメイトのお父さんが平日夜の練習に誘ってくれました。9時から1時間、照明のある市営コートで。試合形式の自主練習。

チームで1番上手な子たち4人で一生懸命練習するのを見ていて、テニスっぽい試合になってきていることに少し感動しました。6月ごろはどうなることやらと思っていたところからよく成長したものです。ここ一月位でもみるみる成長が見られます。

ラリーは続くようになってきて、決め球がほしいな、テニスのフォーメーション的なものもバリエーションが欲しいなと少し欲を出せるようになってきました。上には無茶苦茶上がいますが、成長自体は嬉しいものです。

ちなみに、平日のそんな時間に練習するためには当然学習を早めに終わらせておく必要がありますね。その学習を計画通りできていないこと、少し手を抜いていることなどを指摘したら息子はプンプンしてました。真剣に取り組んでいるのに父親から色々言われると腹も立つのでしょう。仕方ないですね笑。

ただ、日々、時間がありません。スポーツも学校の宿題も、塾の宿題も、テスト勉強も、先取り学習もとあれもこれもこなしていくには、爆速さも必要になってきます。余裕を持っていろんなことに取り組める中学2年生では、効率よく量もこなし、難問には時間をかけて取り組むようなメリハリのある行動に取り組んで欲しいんだよと。あと残り3ヶ月くらいで伝えていこうと思います。

年末年始は、慌ただしく帰省していました。

大晦日は幼なじみに会い、元日は少し遅めの朝食をとったあと、実家から近いプレミアムアウトレットへ。
通勤用の靴を買って帰宅し、その後、息子は学校の宿題である書き初めに取り組みました。

最近は、書道の授業時間もずいぶん削られていますよね。
個人的には、毛筆よりも硬筆をもう少し厳しめにやってほしいな、と思うところもあります。

(ちなみに、小学校、中学校で配られる書写の教科書は無茶苦茶良い教科書です。永久保存版。そりゃそうか教科書だもの日本一上手い楷書、草書、など示されています。惚れ惚れします。しかも常用漢字全部入り)
……とはいえ、毛筆は毛筆で悪いものではありません。

難易度は高いですし、うちの子は正直、字がかなり下手です。


なかなかしんどい課題ではあります。

ちなみに私も相当字が汚く、息子にメモを書いて渡すと、
「解読するのが大変なんだけど」
とクレームが入るレベルです。

息子に字の汚さを指摘すると、
父親だってどうなんだ、と思っているのでしょうね(笑)。

さて、その書き初めですが、
私が下手なのとは対照的に、母(息子にとっての祖母)は本当に字が上手い。
見れば一目で分かるレベルです。

私はよく、
「母は才能を無駄遣いした人だ」
と思っています。
東京に出てデザイナーにでもなっていれば、
相当活躍できたんじゃないか、と。

というわけで、
今回は母にお手本と突貫指導をお願いし、息子は特訓。

2時間ほどの短期講習でしたが、
なんとか人に見せられる字になり、無事に完成しました。

一年に一度でも、
こうして集中して突き詰めて練習すれば、
字は格段にマシになります。
せっかくの機会なので、こういう行事はうまく活かしたいですね。

思えば私は、
あの頃、こんなふうに素直に母の指導を受けることができませんでした。

息子は、
私の助言も、祖母の助言も、
いろいろな小言を消化しながら、
目の前の課題に向き合って生きています。

偉いなぁ、と思います。

……ただし昨日は、
細かく言いすぎたら怒って、離れていきましたが(笑)。

偏差値教育って、何なんだろう、どう付き合うべきなんだろう



偏差値教育の功罪だの、なんだの。

偏差値、偏差値、偏差値――
正直、やかましいなと思いです。

偏差値を全否定する論も、偏差値を絶対視する論も、
どちらもどこか薄っぺらく感じてしまう。
教育の話になると、どうしてこう極端になりがちなんでしょうね。

子どもの教育にとって、何より大切なこと。
それはやはり、
健やかに、明るく、楽しく、元気よく、よく学び、よく遊び、
自分の人生を歩んでいくための礎を築くこと

これは間違いないと思っています。

勉強がすべてではありません。
だからといって、勉強を軽視していいわけでもありません。もっというと偏差値が大事なのではなく勉強そのものが大事です。

ただ、別の視点から見ると、社会はかなり残酷です。

学業やスポーツの成績によって、人をふるいにかけ、
結果として「全体としての生産性が高い社会」を目指して
フィルタリングしていきます
(それが本当に実現できているかは、また別の議論ですが)。

さらに残酷なのは、
そのふるい分けを「子どもたちの興味や適性」という
もっともらしい理屈で正当化してしまうところです。

教育機関は、学びを与える場であると同時に、
子どもたちの特性を見極め、
進路を分けていく機能も持っています。

20代では気づきにくい進路選択の差が、
30代になると、簡単には引き返せないものになる。
これは多くの人が、後から実感することではないでしょうか。

だからといって、
「社会は冷酷だ」と言いたいわけではありません。

むしろ逆で、
個人の特性に応じた多様な進路選択が可能になるよう、
社会のシステムはかなり精密に設計されていると思っています。

学校という仕組みは、太古の昔から
社会における才能発見システムとして機能してきた。
そう考えると、今の形も自然な流れなのかもしれません。

高校入試は、そのふるい分けの中で
強制的に行われる最初の大きな関門です。

正直、若干残酷です。
でも、機会を与える側の社会にもリソースの限界があります。
志願者全員を受け入れるわけにはいかない。

だから定員を決め、
上から順に合格とし、
そこに届かなかった人を不合格とする。

それで人生が決まるわけではありません。
必要以上に悲観するものでもありません。

とはいえ、
「どの学校に行けるか」が
私たちのモチベーションや自負に影響するのも事実です。

なので、合否は大事です。
はっきり言えば、無視できない現実です。

結果として、そこを目指して努力する必要があります。

そのとき、
入試における特定の母集団での偏差値は、
順位以上に「目安」としてよく機能します。
自分が今、どの集団にいるのかが分かるからです。

機能としての偏差値。
それは、正しく使えば、正しく機能します。

ただし。

順位だけじゃない。
偏差値だけじゃない。

勉強の価値は、そこに収まりきりません。

好きなものを突き詰めること。
理解を深め、生活の質を上げること。
人に価値や感動を提供できる力を身につけること。

それらを育てられるなら、それでいい。

だからこそ大事なのは、習熟度です。
勉強は一生続くものです。
偏差値を目指して学ぶものではありません。

偏差値で位置を確認したからといって、
学ぶことをやめていい理由にはならない。
ましてや、それを回避するために進路を決め、
学習の要否を判断するものでもありません。

偏差値は道具。目的じゃない。

YouTubeでは、生徒の合否と闘わなくてはならない講師たちが、参考書の習熟による立ち位置の目安を偏差値で表現したりしますが、誤解してしまいがちです。わかりやすいけどね。同じ学年か闘う集団の中でどこら辺の位置に居られるようになるという意味で、何点になるかということではないということです。人生の方は偏差値よりも習熟度の観点での何点かの方が大事なわけです。


息子には、
できるだけ最後まで、ぎりぎりまで、
勉強と向き合いながら結果を出す

そんな姿勢を伝えていきたいと思っています。

偏差値は道具。
目的じゃない。

でも、道具だからこそ、
ちゃんと使えるようになっておきたい。

昨年4月に書いて下書きのままだったものを再構成しました。


私は、中学時代に「積極性」や「内申」で困った記憶が、ほとんどありません。
でも今、神奈川で中学生の息子を見ていると、内申は「気にしなくていいもの」ではなく、明確に攻略しなくてはならない対象だと痛感します。

4月中学入学直後、Hi-STEPで「内申ってこういうものだよ」というガイダンスを受けました。
実戦的で参考になったので、今日はその話です。

私は、中学受験を経験した、40代中盤のおじさんです。
挫折というか、明確につまずきを感じたのは、高校や大学に入ってからでしょうか。
そのあたりは、このブログのテーマにもつながるので、また少しずつ書いていこうと思います。

それはそれとして、
少なくとも中学時代、内申に強い不安を感じたことはありませんでした。

今思えば、忘れ物はあったし、字は汚いし、減点もそれなりにあったはずです。
それでも、当時はあまり気にする必要がなかった。

というのも、田舎だったこともあり、
進路先の公立高校は、偏差値帯で言えば56くらいから70超までが一緒になった学校だったからです。
実際、今では定員割れすら観測されています。残念な話です。

一方で、神奈川はそうはいきません。

田舎の公立トップ校の層が一つにまとまっているのに対して、
神奈川では、その層が三つか四つに分かれてしまう。
当然、競争はずっとシビアになります。

内申も、みんなが狙いにいく。
小学生の頃の「ふわっとした成績表」の感覚では、まったく太刀打ちできません。

中学で、常に5番以内くらいに楽に入っている人たちが、
トップ校に進むのでしょう。
(これはちゃんと計算して、
「トップ校に行くなら、どのくらいの位置にいなければならないのか」を
はっきり子どもに認識させないと、
giftedでない限り、その意識は自然には芽生えません。)

入試において、一定の点数配分が内申に組み込まれている以上、内申は無視できない。
結局のところ、ゲームの攻略だと思って、向き合うしかありません。

Hi-STEPで受けた「内申ガイダンス」

「内申って、こういうものだよ」というガイダンスがありました。

評点の構成要素や、
何をどれくらいやればいいのか。
やりすぎても仕方ないけど、やらなさすぎるのは論外だよ、という話。

たとえば、before/afterのレポート。

事前に知っていたこと、考えていたこと。
実験や観察を通して、理解が深まったこと。
気づいたこと、考えが修正されたこと。

単なる知識偏重の机上の学びではなく、
自らどんな取り組みをしたのか、
そして、そこから何を発見したのかを、的確に表現しろ、という課題です。

社会でも、
時代ごとの制度や風習、文化史について、
違いや変化、進化を具体的に指摘して記述することが求められます。

そのまま大学の課題に出てきそうな内容です。

そりゃ、A◯を取るのは簡単じゃない。
正直、ペーパーテストである定期テストの方が、よほど取りやすい。

そうした課題と、どう向き合えばいいのか。
怖がりすぎる必要はないけれど、
しっかりやろうね、という助言が丁寧にレクチャーされました。

具体的に先輩のノートを見せてくれてこの位やればA◯だよ。だとか。


結局、半年以上経ちましたが、学校のノート作り、提出物についてはほとんど口を出していません。すこーし求められたら助言をすることはありますが。


息子なりに工夫と努力をして、◯をもらえた、◯をもらえなかったと言って悔しがったり改善したりして取り組んでいます。学校も鬼ではありません。少しずつ成長させることが大事だと思います。


内申に対する恐怖感、不信感、忌避感から中受を選択する向きもありますが、それほど怖がりすぎることもないのでは。健全に取り組んでいれば大丈夫ですよ。今の所、


いずれにしてもレクチャーはとても参考になりました。
Hi-STEP、ありがとう。

1月に入り、
2月中旬の定期テストが、少しずつ気になり始めています。

明日から、学校再開です。

正月休みが終わりました。

大晦日 → 元日 → 2日は長野 → 4日に長野から帰宅。
冬休み中もギリギリまで冬期講習があったので、妻の実家への滞在は数時間ほどになってしまいました。

昨日は少し遅めの時間に帰宅。
息子には、まず「いつもの自宅学習モード」に切り替えるため、ほんの少しだけ課題に取り組ませ、その流れで、今日からの学習スケジュールを一緒に作るよう促しました。

そんな話をしながら、

「何日がテストだねー。
あれ、ここで部活があって、学校があって、
テニスクラブの練習会も入ってるね……」

「わー、忙しいね。
空いてる日はゴリゴリ勉強しなくちゃね」

なんて言い合いながら。

これまで学習スケジュールは、
私が息子の“サボり具合”を見ながら組み立ててきました。

でも、今年の夏頃には、
自分でスケジュールを考えて組み立てられるように、
少しずつ変わっていってほしいなと思っています。

それでも、
学習範囲のワークをコピーしたり、
そういった単に面倒な事務作業については、
当面は親がやってあげるつもりです。

ではまた。

新年あけましておめでとうございます。

冬休みも終盤に差し掛かりました。
ウインタースポーツなどの予定も見据えつつ、大晦日も元日も、息子は嫌がることなく、ほんの少しでも宿題や課題に取り組む姿を見せていました。

数学は東京出版の『レベルアップ中学数学』を中心に数問ずつ。
英語はネイティブキャンプと、あとは学校や塾の宿題。
特別なことをしているわけではありません。

それでも、毎日努力する息子を見て
だんだん「自分の子どもを誇りに思える」感覚を持てるようになってきました。

年末年始、地元の同級生と会い、まだ小さい子どもを抱えている人たちと話す中で、
自分がこれまで息子に、どんなふうにいろいろなことを教えてきたのかを、ふと思い出しました。

そんな折、X(旧Twitter)で、こんな投稿を目にしました。

かけ算の順序問題についてもっともまずいと思うのは、「(数学的には順序がないけど、)教育的に意味がある」と言っている人がいて、それを習得させることはこどものためだと思い込んでいることです。
— 三浦知弘@Brillius(2026年1月1日)

https://x.com/tomohiro_m_cwf/status/2006631863767769425?s=46




いわゆる「かけ算の順序問題」。
毎年のように、延々と議論が繰り返されています。

息子が小さい頃、海辺で丸い石を並べて、
3×5を作り、
縦から見ても横から見ても、同じ数になることを一緒に確認したことを思い出しました。

この議論は、正直かなり不毛です。
そして、そこをきちんと説明できたなら、それで二重丸でいいんじゃないかと、私は思います。

また、算数の「何時に駅に着くためには、何時に出ればよいか」を問う問題についても、こんな例が話題になっていました。

親の教育が行き届いている
小2の娘の解答がこちらです。

https://x.com/125748c/status/2006624613917405356?s=46




もちろん、私ははなまるだと思います。
なぜなら、この問題は本質的には「不等式」で考えるのが適切だからです。
小学校2年生ではまだ習いませんが、実は子供たちはまっとうに考えている可能性が高いです。

これらの話を通じて、
私は日本の公教育を嘆きたいわけではありません。

ただ強く言いたい、思うことがあります。

子どもが各分野について受ける教育機会は、基本的に一度きりで、しかも一瞬です。
そして、その教育機会に対して、ある程度の責任を担ってあげられるのは、保護者しかいません
(学習責任は本人にある、という前提に立ったうえで、ですが)。

減点で悲しんだり、理不尽さに憤ったりしている子どもの答案を、
もう一度一緒に見直してあげて、
ぜひ二重丸、花丸をつけて肯定してあげたい。

そのことが、
やる気につながり、
本当の意味での多様性や柔軟性を育て、そしてやがて「本質を見抜き表現することのできる力」を鍛えることになる。

改めて、そう思いました。


今年も宜しくお願いします。

全くもって私ごとかつ、かなりプライベートな話ですが、
私にとって今年は「健康に向き合うこと」を実行に移した一年でした。

体重を落とすことを一つのKPIにして、
身体を動かすこと、筋トレを含めた生活習慣にきちんと向き合いました。

そんな流れで、筋トレ関係の本もいろいろ読むようになったのですが、
その中でかなり売れた本に
『筋トレが最強のソリューションである』
という一冊があります。





要約すると、
「筋トレしたら幸せになれるから、とにかく筋トレしろ」
という、非常に分かりやすい本です。

その中に、こんな一節があります。

(以下引用)

──自分自身と自分の体に対する自己評価が向上した=自信がついたと解釈しても問題ないだろう。
さらに、この研究からは筋トレをすれば筋トレをしない場合と比べ筋力が向上することもわかる(当然ではあるのだが)。
俺に言わせればこの筋力の向上が何よりも重要だ。
……(中略)
弱いのはメンタルではなくフィジカルなのだ。
メンタルなんてフィジカルの表面に過ぎない。
ということで、考えるな。筋トレしろ。
──

これを読んだとき、
「これ、勉強にもそのまま当てはまるな」
と思いました。

なので、少しだけ、もじってみます。

自分自身と、自分の学力に対する自己評価が向上した。
それを「自信がついた」と解釈しても、何の問題もないでしょう。

そして、勉強をすれば、
勉強をしない場合と比べて学力が向上する。
これもまた、当たり前の話です。

でも、俺に言わせれば、
この学力が向上すること自体が、何よりも重要です。

自信がなくて発言をためらったり、
周囲の目ばかり気にしてしまう人はいないでしょうか。

そういう相談を受けるたびに、
私はだいたい同じ答えをしています。

「勉強しろ」と。

知識と思考力が身についてくると、
「それって根拠は?」「それならこう考えられるよね」
と、自然に頭が動くようになります。

そうなれば、人前でも堂々と話せるし、
他人の評価を必要以上に気にすることも減っていきます。

弱いのは、メンタルじゃない。
学力です。

メンタルなんて、学力の“表面”に過ぎません。

だから、考えすぎるな。
勉強しろ。

そして、ここからは完全に父としての私の話ですが。

Hi-STEPの中学一年生のまとめテストで、
本当に大事なのは順位じゃない。

その内容を、
「100%理解しているか」
「自力で100点を取れる状態か」
そこです。

頑張ろうな。
息子よ。


まとめテストの個人成績表を持ち帰ってきました。

平均点は、
国語81点、数学74点、英語80点。
受験者数は997人です。

第1回のまとめテストと比べると、平均点はやや下がっています。
科目によって差はありますが、おおむね2〜5点程度でしょうか。

この平均点だけを見ても、正直なところ、あまり多くのことは分かりません。
さすがに皆さん優秀で、8割前後は当たり前に取ってくる層なのか。
それとも、上位層が高得点帯に固まり、そこから少し間があって平均点以下がまた分布しているのか。

分布が見えないと判断は難しいですね。

息子本人は、
「塾内で、成績のばらつきが少しずつ大きくなってきている印象がある」
と言っていました。

実際、ネット上でも似たような声はよく見かけます。

たとえば Yahoo!知恵袋には、STEP や Hi-STEP に通う中学生・保護者から、

中1のときはそれなりに取れていたが、
中2に近づくにつれて、模試やまとめテストで順位が動き始めた。

定期テストと塾のテストで結果が大きく違い、戸惑っている。

といった相談が複数投稿されています。

もちろん、知恵袋は個人の体験談であり、
それ自体が統計的な根拠になるものではありません。
ただ、同じ時期――中1後半から中2にかけて――に、
「成績のばらつきが一気に見え始めた」「今までと感触が違う」
という声が繰り返し見られます。

ネットで見かけるこうした話と、
今回のまとめテストを通して息子が感じた
「塾内で成績のばらつきが大きくなってきている印象がある」
という実感は、どこか重なる部分があるようにも思えます。

ただ、この結果自体が何かを強く表しているとも思っていません。
それよりも大事なのは、テストで問われた内容を本当に理解できているかどうか
そこを一番大切にしよう、と伝えました。

これからは、少しずつテストで出題される範囲も広がっていきます。
特に英語と数学。
それに加えて、国語の知識問題もそうですね。

今やっていることの「穴」を、その都度きちんと埋めておかないと、
後になってから埋め直すのは、時間的にも精神的にもかなりきつくなってくる。

それから、こんな話もしました。

分からないことは、他人には分からない。
父である私が考えていることが、息子に分からないように、
息子が何につまずいているかも、実は父には完全には分からない。

これまでは、父がある程度把握できていたかもしれないけれど、
これからは少しずつ距離も離れていく。
だからこそ、自分で「分からない」と気づいたら、
どんどん聞く、調べる、解決する努力をしてほしい。

そんな話をしました。

クリスマスプレゼントの話です。

今年は Tiger and Dragon というボードゲームと、シーサーのシャーペンでした。
親子そろって、まだニヤニヤしながらサンタごっこを続けています。

毎年、息子の「欲しいもの」と、ボードゲームをセットであげています。
別にセットにする必然性があるわけではありません。
単純に、息子が欲しいものと、私があげたいものを両方あげたら楽しいよね、というそれだけの理由です。
ボードゲームなら、3,000円前後から良いものがいくらでもありますし。

ボードゲーム、というよりは卓上ゲームに少しこだわって選んでいます。

というのも、私は息子に「ゲーム渇望症」みたいな状態になってほしくないと思いながら、これまで接してきました。
今の時代で言えば、スマホのネットゲームに依存して、時間と脳みそが溶けていくような状況です。

個人的な感覚ですが、
中学生以降、体力がつき、身体が大きくなり、抽象的な思考が進み始める時期に、
一人で籠もるタイプのテレビゲーム(今ならスマホゲームでしょうか)にどっぷりハマってしまうと、
そうした状態に陥りやすいのではないか、という仮説を持っています。

そしてもう一つ、これは研究で断言されている話ではありませんが、
小学生の間にゲームを強く制限されすぎた子ほど、
思春期に入ってから反動が強く出るのではないか、という感覚もあります。

心理学では、「強く禁止されるほど、その行動への欲求が高まる」という考え方や、
「自分で選ぶ経験が少ないと、後から自己制御が効きにくくなる」という理屈があります。
それらを踏まえると、
ゲームを完全に遠ざけるよりも、
一定のルールの中で付き合い方を身につける方が、長期的には健全なのではないかと感じています。

そのため、小学生の間は一定の時間制限はかけつつも、
Switchのゲームに関しては、ほとんど制限をせずにやらせてきました。

私よりゲームは上手です。
正直、うらやましい。
スマブラでは、今もそして一生ボコされるでしょう。

一つだけ意識していたのは、
「ゲームに垣根を作らない」ということでした。

将棋、どうぶつしょうぎ、囲碁、カタン、ブロックス、ペンタゴ。
ゼルダ、マリオ、Minecraft、スマブラ、テトリス……。

ジャンルを限定せず、いろいろ触れるようにしてきました。

その結果、
ゲームをやらないとイライラする、という状態にはならず、
学習や部活、その他の趣味と同列、もしくは少し後ろに来るくらいの位置づけで、
ゲームと付き合えているように見えます。

小さい頃、妻が「ゲーム脳になっているんじゃないか」と心配していた時期もありましたが、
それとは少し逆の方針を取ってきて、
今のところはうまくいっている気がしています。

ただし、スマホゲームには一切触れさせていません。

もしこのバランスが崩れるようなことがあれば、
またこの話題には触れるかもしれません。