2022/10/21 いじめ防止運動 | どらきゅら城へようこそ

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dorakyura1949

何の予備知識もなく見た場合、この写真は90年代の平均的なティーンエイジャーを撮っただけのものに見えます。しかし、この写真は、もっとたくさんのことを物語っているのです。

多くの人(特に米国人)には、彼女がレイチェル・スコットであると分かります。しかし、そうでない方もいるでしょうから、まず彼女についてご紹介しましょう。

彼女の通う小学校では、いじめが問題になっていました。そうした中、レイチェル・スコットはひどいいじめを受けている少年を助けました。二人はよく一緒に遊ぶようになり、やがて友達になりました。さらに、一人の外国人留学生の少女が、その出身国の事で馬鹿にされていて、いつも一人で座ってランチしていたので、レイチェルは一緒に座ろうと声をかけ、彼女ともまた友達になりました。

彼女は、いじめと戦うために「優しさの連鎖」運動を立ち上げました。これは、何か「人に優しい事」があると、その都度、そのことを書いた紙が貼り出され、鎖のようにつなげられていく、と言うもので、紙には“いじめられている人の名前”と“助けてくれた生徒の名前”が書かれていました。この運動は、やがて小学校の課外活動となっていきます。これにより、子どもたちは、人を差別しないことや、いじめがいかに自分の将来に悪影響を与えるかも学ぶこととなりました。こうした彼女の活動は地域の教育行政の目に留まり、彼女は学校改革について意見を求められるようになりました。

彼女はコロラド州のコロンバイン高校に通っていました。1999年4月20日、2人の生徒が学校に銃を持ち込み、悪名高い銃乱射事件が発生しました。米国史上、これほど多くの犠牲者を出した高校での大虐殺事件は初めてでした。レイチェルは、最初に撃たれた生徒の一人で、学校の出口のすぐ外で死んでいました。

彼女の死から1年後、父親が彼女の部屋で絵を見つけました。下の写真がそれです。

“These hands belong to Rachel Joy Scott and will someday touch millions of peoples hearts.”

(「この手はレイチェル・ジョイ・スコットのもの。そして、この手は、いつか何百万人もの人々の心に触れるだろう。」)

この絵は、スコット家に、「彼女のいじめ防止運動を継続する、否、より強力なものとして拡大する」という構想を与え、「レイチェルズ・チャレンジ」という非営利団体の設立につながりました。そして今日、アメリカの何百万という学校でレイチェルの物語が語られていて、多くの学校が「優しさの連鎖」活動を行っています。これまでに作られた最も長い”連鎖”は、1万フィート(約3km)以上にもなりました。また、フェルトペンで壁一面に“優しさを示す言葉”を書き込むことも行われています。こうした取り組みは、その年の年末に行われている「レイチェルズ・チャレンジ」の大会で紹介されています。

下の写真は1999年の高校公式ダンスパーティでのレイチェル・スコットさんです。この僅か2日後に殺されました。