具合が悪いw









やはりあれだけ”素晴らしい全身運動”をやめた影響がここへきて出ている。 トレセンの機械運動では代用できないのである。









この半年、うつの症状が重くなり、運動が出来ない→運動不足→症状悪化の悪循環を引き起こしていた。









対抗措置の書類がなかなか見つからなかったが、やっと見つけた。








必要書類をそろえて、体調のいい日に相談に行こう・・・。

超、理不尽なことが有ったw







長年サポートしてやった知人に裏切られたのであるw







もう、我慢の限界である、、土曜日には”決行”するw







いつまでも「お人よし」かましてたからこういうことになったのであるw







以前働いていた会社でも同じようなことが有ったw






しかし、会社は月給なり退職金なりを払った。






しかし、上記の知人は一切出すものを出そうとしないw







本当は涼しくなるまで待ちたいが、もう待てんw






該当する方、ここを見ているのなら、1本連絡をw

98年頃かな? 13年来付き合ってきたヘルニアにとうとう別れを告げる日が来た。








学生時代は柔道の選手、高卒18歳で就職した化学工場は軽くて75kg、重くて300kg超のドラム缶運搬や、30kgを超える自動弁の整備・運搬・取り付け、まさに腰痛を発祥させるための人体実験のような作業内容だった。








で、98年36歳のとき、道場で合気道みたいな護身術の投げられ役でゴロンと転がった際に「コキッ」とヒネってから、泣きたいほどの痛みに見舞われるようになった。








考えてみれば上記の重労働へ絶えるために無理をして我流ウエイトトレで腰バンドもせずに?10kgのバーベルを抱えてスクワットをしていたときに「ゴリゴリ」っと心地よい腰椎へ刺激を与えていたのがトシを食ったせいで出てきたのであろう。









以来、痛みが出るたびにハリ医者へ行っては痛みを散らしていたが、06年に右足の親指を骨折した関係で変な歩き方を始めてからはハリを打っても痛みが取れなくなった。









その年、それに追い討ちをかけるように交通事故にまで逢ったのである。










事故後の診断では「手術した方がいいんですが・・・」と先生は言われていたが強要はしようとしない。










親父やハリ医者、いろんな人から言われた! 「何があっても腰だけは絶対手術することはならん!」と。










詳細を申し上げればヘルニアを取るために切開手術をすると、脊髄を走る無数の神経に傷がつき、腑が悪いと車椅子生活になってしまうというのである。









08年に坂戸式 に出会うまで痛みが出るたびにカイロや整骨院に通っていた。









しかし、坂戸式は有効だったが、稽古を始めて30分もすると痛みが出る。  稽古前と稽古終了後、それぞれ20分かけてストレッチ&マッサージを行っていた。









ある日、「PLDD」なる手法を何処からか聞いた。  0.6mmφレーザーでヘルニア部分の軟骨に空洞を作り、”飛び出し”を引っ込めるという手法である。









同語句で色々検索してみた。 そして一番近い名医でも大阪へ行かないと×とのことであった。

伊東くりにっく









そして・・・何より費用! 保険が効かないので1椎間板につき75万円もかかるというのである!!









そんな費用出せるわけ無い・・・諦めて3年あまり・・・、しかし、天は私を見放さなかった。









ある”貯蓄”を忘れていたのである。  ちょうど手術費用分ほどあった。









飛び上がりたい気分を抑えながら同病院に予約&地元の整骨院でMRIを取り、大阪へ行ってその日に診断&オペを受けてきた。

(私の場合は2椎間板で交通費その他あわせて110万円也)








腰椎の軟骨にハリを刺すときだけ結構痛かったが20分程度で終わった。  術後、先生から、「人によっては効果が現れるまで半年、いや1年以上かかる人もいます。」とのことだった。









しかし・・・その日の晩、AM2時頃、今まで釘が刺さっていたように痛みが走っていたよう対の左側に「キュッ」と自覚症状が有り、今まで私を苦しめていた軟骨が引っ込んだ。









同6時頃、今度は腰椎後ろ側が「ポコッ」とした感触がありこちらも引っ込んでしまった。










月曜日に手術して、火曜日の昼から新幹線で帰り新山口駅から自宅まで50分ほど車を運転したが「あれ?」 そう、今まで左腰椎にずっと刺さっていた”釘”が無いのである。









水曜・木曜がレーザーで焼いた随核の炎症の痛みのピークだったが、ロキソニン(鎮痛剤)で抑えていた。 しゃがむ、立ち上がるといった動作がまるで80過ぎの老人のようだった。








しかし、金曜日になると、痛みは1/3ほどに減り、”さっさ”と行動できるようになった。









ちょうど1週間目の26日に稽古納めがあり、座ってるときに時折「コリコリ」感があり、全く違和感が無いわけではなかったが、肝心の痛みは全く無かった。









大事を取って1/3程度の動きに抑えていたが、たぶん”完治”であろう。  巨人の高橋由伸のように復活できる日は近い。









お金と暇がある人には是非!オススメである!!!

我が地域を支えてきた電柱の更新工事で本日13:10~15:00の間、送電を止めて電線の張替え工事を行っていた。








電柱自体は1ヶ月前に新しいのが建てられていたが、本日は配線工事ということで、作業員たちの賑やかしい掛け声と足場車が何台も出て、予定より40分早く終了した。








2週間くらい前からお知らせの旨、チラシがポスティングされて、わかる人はわかってはいたが、止める前に凱旋カーで「止めますよ」の旨、一声有っても良いような気がするが・・・。








急に止められてたまげた人もいるんじゃないかとw (特にPC使用中だったら!)



お元気かな?-足場車

お元気かな?-高所作業

お元気かな?-高所作業









停電中はラジオを聴きながら暇をつぶしていたが電波の悪いことw






毎年、年賀状を送ってくる方には年賀欠礼挨拶状にてお知らせしたが・・・。









去る8月18日の午前9:30頃、享年70歳になる母親が永久の眠りについた。









4年前に子宮ガンで全摘出手術を受けた際に、ガン細胞が全部取りきれなかったのである。









「再発の可能性は大です。」と宣告を受けていたのでやむを得ない。









2月末に同居するようになって、引越し後のバタつきが収まった頃、「最後の入院」で某病院に入ったのだが。









諸般の事情で出てきて、また違う病院に入院→病院側の都合により退院→









で、最後にこちらが救急車を呼んだ際は・・・もう・・・死人が喋っているような状態だった。









それから再入院から3週間後に・・・帰らぬ人になった。








問題は、「他人はもちろん、妹2人にも知らせないで」との故人の遺言により、父親と妹の家族、合わせて7名だけで家族密葬としたは良いが、








没後、10日目に親父が知らせたら、上の妹(つまりこちらからみると叔母さん)から散々文句を言われた。

「何で知らせてくれんの!」と、








仕方ない、”何とか会館”を使えない程、金銭にも困っていて、人が呼べない状態でも有ったが、「賑やかしい」ことを嫌っていた故人の遺言だもの。








何か姉妹間で因縁が有ったらしい、何かは知らないが。









ここを見た知り合いの方、上記の理由なので察してください、香典もお悔やみ言共不要です。









それにしても・・・生保その他の手続き・・・、すずめの涙ほどしかないのに疲れた。









あとは76の親父があと何年生きてくれるやら・・・。