僧正山籠了ル | 高野山真言宗 汗かき住職の ☆Bous, be ambitious!!☆

高野山真言宗 汗かき住職の ☆Bous, be ambitious!!☆

高野山真言宗のお坊さんです。
視覚障害、線維筋痛症、遺伝性の拡張型心筋症など難病もちですが日々ポジティブに感謝して生きることに決めました。
お坊さんの日常を徒然なるままに書いていきます。
よろしくお願いいたします。

皆さまご無沙汰しております。
9月に僧正山籠に出仕すると決めてから
慌ただしく過ごしていました。
令和5年11月13日 僧正山籠は
高野山の初雪の日のはじまりとなりました。



前日宿泊させていただいた無量光院さんは

浄化の雨からはじまり

美しい紅葉のお庭が迎えてくれました。



久々の精進料理も美味しくいただきました。




了ってみて思うのですが、
参加できて本当に良かったと思います。
僕のように大学院を修了すると「学僧」ということで
卒業や修了と同時にいただける僧階という僧侶の階級が
一気に半分より上になります。
だからといって経験がほぼない状態での卒業で
実際は現場で学ぶことが必須です。

ただ、うちのお寺のように法類寺院といっても
名ばかりで接点がなく、年に一度の総会や
教師研修会でも会えない時は
もう何年もお話しすらしてない状態です。

僕はこういう理由で
経験値もない住職ですから近隣であっても
大きな法要によばれることはまずありません。
お師僧さまのお寺の春と秋の大祭に
呼んでいただけるくらいです。

今年は幸いなことに片町にある養智院さんの
三十三年目に一度のご本尊さまのご開帳法要で
理趣三昧法要という副住職ともども
おねりや、稚児行列など諸役をいただき
貴重な体験をさせていただくことができました。

源法院は結集寺院自体がない状態なので、
ハレの特別な法要だけでなく
能登では毎年やっている土砂加持などの
身近な法要も全くありません。

もともと、この僧正山籠というものも、
こういう活動できてない教師の
研鑽の為に「理趣法」のお授けや
法要を通じて学べる機会をいただくチャンスを
本山が与えてくださるということが始まりだそうです。

参加してわかったのですが、車の免許と一緒で
修行が終わった頃が一番正しい動きができます。
地元で、例えば金沢だと金沢節などといい、
お経や声明も高野山で習ったものと
全く違った節や音の長さも信徒さんが疲れないように
法要の時短の為に短縮系に変化していったりします。
真言宗の法要はありがたいですがちょっと長いので💦

また地域差だけでなく、自分の運転になってしまって
自己流になってしまっているのも注意です。
本山ではこうする、そう注意がくる度に
大切なお作法や学んだことが
抜けていってることに、ものすごく焦りを感じました。

高野山での法要は独自のやり方があり
普通は末寺の住職が出仕することはないのですが
声明などは唄や散華など被せて発音(ほっとん)
同時にお唱えするものもあります。
授業で習っても、実際の法要を体感することはなかったので、
導師も1人でなく複数の壇で
何もかもが別々でありながらひとつの法要となって
同時進行で行われるのは壮観です。

今回は勉学の他にも、貴重な法要実習がありました。
お祖師さまのいらっしゃる奥の院、
そして大きな行事が行われる金堂。

どちらも違う形式での法要で必ず諸役が当たりますが、
金堂では唄師を担当させていただきました。
大きな金堂では自分の声さえも
かき消されそうになる被せの声明は貴重な体験でした。

また、集団生活では専修学院や大学の集団加行のように、
当番が当たって、下座行、朝権、夕権、明神さまなどの
遥拝、食事作法、施餓鬼供養等の作法も
復習になりました。
僕は年齢的にも班長だったので
日直の講義開始のご法楽終わりのご宝号。
男だけの大所帯でしたが
若い方たちに助けていただきながらに無事おつとめできました。


金堂前で集合して入堂するところ

(副住職撮影)




申請をすることで昇補して
権少僧正になります。

最近わかったことがあります。

僕が入門した時、何で坊さんになりたい?って聞かれたとき。
「空海の教えを深いとこまで勉強したい。お坊さんにならなければ教えてもらえないことを知りたいから」と答えました。

そして浄土真宗本願寺派の先祖と
自身の宗教が変わることも納得して、
2度断られ3度目の面接の末に入門が叶いました。
元々キリスト教など、教えを探して
宗教遍歴していたから、
先祖と自分は全く信教が違っても全く平気だと思ってました。

そして先祖を粗末にするわけでなく、
かえってネンゴロに真言宗の教えで
供養できるようになった。

ご先祖さまは先祖から宗教の形だけ受け継いだ
仏壇と墓を守ってきただけで自らが念仏者ではなかった。

だから葬式仏教にしてしまっていたのは、
属していたお寺のやり方だと思う。
本来は生きてる時から念仏者であれば
そういう自分の信仰だから極楽往生できるのに。
そういう大切なことお坊さんが
教えてこなかった末路。
勿論ちゃんとされてる寺は栄えてる。
ない寺は信徒から自分たちの生活費を
むしり取るから離れていく。

僕は空海の教えを学ぶことで、仏教全般を学ぶことができ
かえって念仏三昧やお題目の大切さも
心に沁みるようになった。坐禅もしかり。
真言宗には他宗の全てが宝石店の陳列のように輝いている。

「得度だけなら真言宗だったら死んだ時に誰でもできるけどな。とりあえずやってみて、あかんと判断したらいつでも辞めたら良いし、辞めさせるかもしれんけど」ってお師僧さまに言われてました。

その後伝法灌頂が終わってご挨拶とお礼に伺ったら、
お師僧さまが言ったことを思い出し
意味がようやくわかりました。

「お前が人の役に立ちたいって言うだけやったら弟子にせんかったわ」って。

よく考えたらそうですよね。

人の為に役に立てる仕事や職種はいっぱいある。
介護も警察も救急も自衛隊も教師も薬剤師も医者も看護師も保育士調理師も俳優も飲食業も宿屋も。免許いるのもあるけど…
結局サービス業って全般じゃない?

よく考えたら
お坊さんは、
自宗の教えを伝える、知らない人に教えるライフワーク。
教えることで自分の未熟さを知り、また学ばせていただく。
お寺は学ぶ場所、体験する場所を提供できる場所。

生きてる間も死んでからも関わってくるのは
お祖師さまの教えを実践すること。

結局は信仰に尽きる。
教えを学びたい。
教えを生きたい。

テクニックや商売のネタじゃないですよね。
お坊さんは、職業じゃない。
生き方。

だから僕の職業欄はいつも
「自由業」
決して偉くなんかない。
真言宗は三平等ですから。

大日如来である
衆生も仏だから。

南無大師遍照金剛
合掌🙏✨


追伸
このお話しを見て、聞いて
在家のままで得度されたい方、ご相談ください。
視覚障害があっても大丈夫です。
来年6月の金剛峯寺での集団得度式の参加を目指してみませんか?
身体に障害がある方は別途源法院で得度式を行えます。
どちらでも正式な高野山真言宗のお坊さんになれます。

その後出家して僧侶を目指される方、
教会教使(高野山真言宗の教えを伝えられる)
準教使(自分の教会がもてる)も進路指導します。

高野山のお坊さんになること→高野山真言宗になる
ここはしっかり押さえておいてくださいね。