文藝春秋を飛行機のなかで読みながら | edyのブログ

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たのしくもドラマティックな毎日をつづります。

最近は以前ほど飛行機に乗って旅をする機会が少ない。

しかし、帰国する際は必ず日本の旅客機を選ぶことが多いのです。

なぜなら日本の活字に飢えているからでしょう。

搭乗時には必ず「文藝春秋」に手を伸ばします。すこし表紙が擦れた雑誌です。

この一冊で大抵の時間がつぶせること。

善し悪しは別にして、まとめて他人の論理方法にふれることができる。

最新号の記事に「米国式の格差社会はやってくるか」という記事がありました。

米国では所得格差が広がり富裕層と貧困層の格差が過去最大になっているそうです。

1%の富裕層が総所得に占める割合が19.3%になり、

残りの99%の人たちはここ数年ほとんど所得が伸びていない。日本もその傾向にあるという内容です。

米国に会社を興してから度々行くことが多いのですが、

1%の富裕層に出会っていないためなのか99%の貧困層という感覚が上手くつかめません。

最近日本でも富裕層という言葉を度々耳にしますが、これもまたピンとこない。

所得が伸びていない層が貧困層という定義ではインフレでない限り、所得が伸びないのはしごく当然で、だからといって貧困層という記号がなじめない。

20年前にアジア諸国で生活していた頃は、

富裕層と貧困層の違いが良くわかった。

当時のアジアの経済成長とインフレのなかで40年前の高度成長期の日本を垣間見ることができたからです。

例えば一般家庭の電気冷蔵庫や電話にカギが付けられていたり、車の保有率も少なかった。新車を見ることも少なかった。エアーバスという言葉が有り、飛行機のことかと思ったらエアコン付きのバスのことだった。

これは20年前のタイの庶民の生活ですが、現在では少なくともバンコクでは新車が走り、モノレールが地下鉄が都市を縦横無尽に走っている。日本のラーメン屋では1杯1000円のラーメンが人気で、タイの若者が店舗にはたくさんいる。すでに名だたる近代的な大都市である。

しかし、これは首都のバンコクの話で地方に行くとこの恩恵は見当たらない。
私の友人は所持金がなくなるとウドンタニやウボンタニなどのイサーン地方(タイ東北部)に疎開する。地方に行けばバンコクで窮した生活を送っていても食うには困らないらしい。まさにこの辺りが私が垣間見た所得格差である。

タイの話でいま大変気になるのがバンコクでの反タクシン派の「バンコク封鎖」
これは地方の農村部に選挙基盤を持つタクシン派と都市部(バンコク)に基盤を持つ反タクシン派の争いです。人口的には圧倒的に有利な地方に目を向けたタクシン派の選挙を実力行使で止めようとする反タクシン派です。

ところがこの「バンコク封鎖」が恐ろしいのは、現政権のタクシン派が地方の軍をバンコクに呼び寄せているところです。地方と都市部では所得格差が著しいタイではまるで違う国民のような感覚なのです。この20年で起こった2度の軍の市民への発砲はバンコクでストライキを起こしている市民へ容赦なく水平発射をしたのは地方の軍でした。またタイでは地方の軍閥の収入の大きな部分は山林や農産物絡みです。従って都市機能が少々崩壊しても地方の軍指導者はそれほど痛くない。
現在もタクシン派が地方の軍をバンコクに置いている現状に危機感がつのります。

文藝春秋の話から米国の所得格差の話、そしてタイの暴力激化の懸念へと話が流れて行きましたが、あながちいずれの問題も日本人には見えにくいのは「軍」の存在です。
現実的に徴兵制度のない、軍事国家ではない日本には正しい情報が理解出来ないのかもしれません。今日もTVや新聞ではまるでイベントのごとく報道されている海外のニュースに胸が痛くなります。