春はあけぼの、やうやうしろくなり行く、山際すこしあかりて紫だちたる雲の細くたなびきたる
(清少納言「枕草子」)


あなたも「春といったらやっぱ○○でしょ!」というような、
自分ながらのこだわりをひとつやふたつくらいお持ちではないですか?


ぼくの場合、春といったらやっぱ近所の桜並木ですねー。
ぶらぶら散歩して、そのあと家で居眠りでもして…と。



さて、今回は日本三大随筆のひとつ、「枕草子」からの一節。
清少納言(少納言は位の一種)は、
関白藤原道隆の妻である中宮定子に女房として仕えていました。

彼女の本名は不明ですが、
あえて言うなら清原元輔女(きよはらもとすけのむすめ)」(文学史頻出!!
彼女は褒められればはしゃぎ、バカにされると怒る単純な性格だったと言われています。

容貌は、美しい…という表現から程遠かったようですが、
そのためか百人一首の絵ではいつも横から描かれている?)、

愛嬌があったおかげで周りからは評判がよかったようです。

彼女が好かれるのも、この一節を見れば納得がいきますね。


「春といったらやっぱ夜明けでしょ。

山際がかすかに明るくなるのがたまらないの。
紫がかった雲がほそーくたなびく感じなんかもう最高。」



なんという繊細な感性でしょう。
「春」と言えば?と尋ねられたら「桜」と答えるのが一般的な感性。
でも、彼女は「あけぼの(夜明け)」と言うのです。

この続きには、「夏は夜」「冬はつとめて(早朝)」とありますが、

彼女みたいに豊かな感性を持った人が周りにいたら楽しいでしょうね。
やっぱり人間は顔ではなく中身だな、とあらためて考えさせられるました。


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春はあけぼの、やうやうしろくなり行く、山際すこしあかりて紫だちたる雲の細くたなびきたる
(清少納言「枕草子」)

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、

死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し

空海(774835


人は生まれ変わるのでしょうか?

何度も生まれ変わる。

そう答えるのは、空海です。

彼は、仏教の一派である真言宗の開祖

8046年に唐で密教を学び、

816年には高野山金剛峰寺を開きました。

(天台宗の最澄は比叡山に延暦寺!入試で注意!)

それから10年ほどあとには、

日本初の庶民学校、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を設立。

ここは給食が完備されている上、俗人や僧侶も仏教や道教などといった、

あらゆる思想や学芸を総合的に学ぶことができる画期的な施設!


人は何度も生まれ変わり、世の中のことを知り、学びます。

しかし、結局人は完全に知り尽くすことなく無知のまま死んでいきます。

冒頭の名言はこんな解釈ができるのではないでしょうか。

生前は、暗闇が永遠のように続き、死後の暗闇もまさに永劫続く。

ところが、生きている期間は、流れ星がキラッと光るように、一瞬なのです。


こんな空海の言葉はいつもぼくの胸に刺さります。

もはや生きていること自体が奇跡に思えてきますよね。


実はこの考え方が、ぼくの受験期を支えていました。

「せっかく生まれたなら、死ぬ気で第一志望の大学に入ってやる!!」


受験できるチャンスなんて、人生という一瞬の光の中の、さらにまた一瞬ですよね。

この一瞬の光を逃すのはあまりにも惜しいもの。

あのときちゃんとやっておけば…なんていう後悔は絶対に避けたい。


そこでぼくは簡単な計画作りをオススメします。

毎晩寝る前に、次の日にやることを考える。

やるべきことが分かり、達成感が生まれて、毎日が充実しますよ^^

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生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、

死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し

空海(774835

罪無くして因報(とら)はる。此れ決定(さだ)めて死なむ。
長屋王(684~729)


それでもボクはやってない
数年前、テレビでも放送されたこの映画。


タイトルとポスターが印象的なのでご存知の方も多いかもしれませんが、
内容は痴漢のえん罪に関した、かなりシビアなものに仕上がっています。



えん罪はいつの時代にもあるようです。
痴漢の容疑ではなかったものの、
約1500年前に長屋王という人物に謀反の容疑がかけられました。
つまり、反乱を企てているのではないか、という疑い。

ところが、これは冤罪だったのです。


なぜこんなことが起きてしまったのでしょう。
これは、血筋をかけた壮絶な戦いから発生しました。


時の政権担当者は藤原一族生みの親、不比等。
長屋王の妻は、不比等の娘であったため、
長屋王自身、政治的に大きな力を持つことができました。
ところが、この状況に藤原家の危機を感じて、不満だったのが、

不比等の4人の子。


不比等の死後は、かねてから2番手だった長屋王が政権の座に就き、
百万丁歩開墾計画」や「三世一身法」などの開墾政策を打ち出します。


しかし、729年。


何者かに

「長屋王は左道(さどう)を学びて国を傾けんと欲す」という密告がされ、
長屋王は屋敷を藤原氏に囲まれてしまいます

(ちなみに左道というのは、「道教の術」のこと)。


こうして万事休した長屋王は毒を飲み、自ら命を絶ったのです


が、この話には続きがあります。




長屋王の死後は、藤原4子が政権の座を継ぎました。
ところが、ちょうどそのころ、天然痘という恐ろしい感染病が流行っており、
政権を握ってから何年も経たないうちに
なんと藤原4子は全員天然痘によって亡くなってしまったのです


昔は、「ウイルス」という考えが無かったので、
病気になるのは「悪霊」が取り付いているため
、という発想でした。


この4人を共通して恨んでいるのは、長屋王。
「藤原家の4人が全員死んだのは、長屋王の怨念だ…!」
こんな噂がたちまち広がることになります。


その噂とともに、天然痘の感染も着実に広域へ。


「長屋王を鎮魂しなければ、天然痘はどこまでも広がり続ける!」
こうして聖武天皇は

全国に「国分寺」「国分尼寺」というお寺を建てたのです。



さて、そんな長屋王ですが、家を囲まれた際、冒頭の言葉を放ったといいます。
「罪が無いのに謀反の罪に捕われてしまった。あぁ殺されてしまうであろう。」


現代には裁判所があるので、たとええん罪だったとしても、
すぐに服毒自殺をする人はおそらくいないでしょう。


だた、「足利事件」などがメディアでも最近取り上げられていますが、
えん罪の恐れは存在します。
自分が潔白であると思うのであるなら

決して揺るがない強い意思が必要です。


「それでもボクは(ワタシは)やっていない。」


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罪無くして因報(とら)はる。此れ決定(さだ)めて死なむ。
長屋王(684~729)