人の世は、必ず撃ち勝つを以って(もって)君と為す
 (平将門「将門記」)


「平安」時代。文字のごとく、「平安」な時代になるようにと、
桓武天皇が都を平安京へと移したのが始まり



この時代に、彼らは心穏やかに日々を過ごせていたのでしょうか。
庶民はまだ竪穴式住居平地式住居で、今とは比べ物にならないほど不便な生活。

中期頃から武士が台頭してくるようになると、戦乱が多くなります。
おそらく「平成」と比べても波瀾万丈の毎日であったでしょう。


「平将門の乱」(939~940)はいわば、その戦乱の幕開けとなった反乱

これは、常陸、下野、上野(現在の茨城、群馬、栃木あたり)を制圧した平将門が
京都の朝廷に対し起こした反乱です。

翌年に平貞盛藤原秀郷に鎮圧されましたが、
歴史書には、武士階級による最初のクーデターとして記されています。

その「平将門の乱」を描いた「将門記(しょうもんき)」にはこんな文章が
記されていました。


人間の社会は、必ず勝ち負けが存在する。勝ったものが支配者となるのだ。



当時の戦はルールなどありません。
勝つか負けるか、殺すか死ぬかの世界。

裏切り、陰謀、そして暗殺が当然のごとく横行します…。

今考えればひどく冷淡でアンフェアな戦いでしょう。
しかし、戦場ではどんな卑怯な手を使おうが、殺してしまえば勝ちなのです。



現代日本にも「戦争」はあります。
ぼくも生き抜いた「受験戦争」はそのひとつ。

なんだか、平将門が言ったあながち間違いではない気がします。
「動物」の世界は弱肉強食の世界。
人間も「動物」である以上、何らかの争いを抱えているもの。


でもここで、受験生に考えてみてほしいです。

受験戦争にはルールがあります。
決まった範囲、受験日、受験時間。
もちろんカンニングなどの不正は一切禁止。

あなたの努力が裏切ることは決してありません。
裏切られたと感じても、それはまだ努力の成果が訪れていないだけ。

「平成」の「戦乱」。

フェアな勝負には、フェアな結果がついてくるものです。


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人の世は、必ず撃ち勝つを以って(もって)君と為す
 (平将門「将門記」)

いざ鎌倉

佐野源左衛門(生没年不詳)

「いざ○○!」
威勢良く叫び、大勢で目的地へ赴く。


小さいころ、近所の友達とごっこ遊びで口にした覚えがあります。

でも、さすがにぼくと同世代の人間が「いざコンビニ!」「いざ大学!」
と叫ぶのはほとんど見なくなりましたね。…正直ちょっと見たいですが(笑)。



「いざ鎌倉」という言葉は大人も使います。
数年前の話。

そんな食料じゃ、いざ鎌倉のときに足りないよ
と、電車の中である老婆が
買い物袋を持った娘らしき女性に言っているのを聞きました。

「『いざ鎌倉』? よくわからんが、世の中には鎌倉に出陣する人がいるのか?
いったいこの家族は何なのか…?」
と、奇妙な会話が気にかかり、帰宅後、辞書で意味を調べてみました。



――――「一大事の場合」。



この言葉を残したのは、佐野源左衛門であると言われています。

彼は鎌倉時代の御家人である、と史実にはあるのですが、
実際のところ詳しいことはわかっていません。


世が鎌倉幕府の統治下にあったころの話です。




ある大雪の降る晩。


ひとりの僧が下野の国、佐野の里(現在の栃木県佐野市)というところで
吹雪をしのぐために、通りかかったある一軒の家を訪れました。

その家の主人はものすごく貧しい生活をしており、
お客さんなど招き入れられる家じゃなかったのですが、
結局その僧を招き入れることにしました。

大雪の夜は至極寒い。

しかし暖を取ろうと思っても燃やすものがない。


するとどうでしょう。

驚いたことに、主人の宝物であった鉢の木を燃やし、
暖を取り始めましたではありませんか。

これを見た僧は、この主人は只者ではないと思い、
佐野源左衛門」という彼の名前をなんとか聞き出すと、
なぜこんなにみすぼらしい暮らしぶりをしているかを尋ねました。

すると佐野はこう答えます。



昔は羽振りのよい暮らしをしていたが、一族の者に所領をとことん横領されてしまいました。


だけど、鎌倉に何か一大事が起こったときには、どんな生活をしてようと駆けつけますよ





それからしばらくしたある日。

鎌倉から動員令が出されると、
佐野は明言通り、鎌倉へ一目散に駆けつけました。


おや? と、そこには見慣れた顔が。
なんと、吹雪の夜に泊めた僧が目の前に立っているではありませんか。

しかも、その人は他でもない執権、北条時頼だったのです。


このように、佐野が鎌倉へ駆けつけるという約束を守ったことから、
押収された所領を返還されました。




これが有名な「鉢の木物語」です。

あるひとりの忠実な御家人の話から生まれたコトバ。

「いざ鎌倉のときには…」なんとも歴史的風情のあるコトバではありませんか。

こういったコトバを大事にしていきたいですね


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いざ鎌倉

佐野源左衛門(生没年不詳)


花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに
(小野小町)


「美しい花の色も長い雨が降り続くうちに色あせてしまったよ。

私自身も、むなしく物思いにふけっている間に年老いてしまった」



クレオパトラ、楊貴妃とともに3大美女で知られる小野小町。


あまり知られていないようですが、残念ながら小野小町を含めるのは日本だけなんです。

世界的には「ヘレネ」というギリシア神話に登場する女性が代わりに入ります。


そもそも、3大美女に入るには「国を傾けた美女」であることが条件らしいです。

小野小町はその素顔も性格もわかっていない謎に包まれた女性であり、
まして国を傾けたかどうかなんて分かるはずもありません。


でも、謎の多い彼女は、その美貌に関わる数々の伝説を残しています。


たとえば、「通い小町」という話。
小町がある男に「100日間通い続けたらつきあってあげる」と言ったところ、
彼は100日目の夜に大雪で死んでしまったそうです。


こういった逸話的な伝説だけでなく、
小野小町のゆかりの地が北から南まで、日本中いたるところに点在します。


それだけでなく、今や「小町」は「美人」の代名詞

彼女の存在はまさに歴史に密着した伝説なのです。


それから、彼女は美貌の持ち主だけでなく、
優れた歌人のとして「六歌仙」に入っています(入試で注意!)。

そんな歌人の才能を我々に見せつけるのが冒頭であげた一句。


ここでは「掛け詞」を巧みに使っています。


「ふる」は「降る」と「経る」へ、
「ながめ」は「長雨」と「眺め」へそれぞれ掛かっていますね。


彼女の伝説は死の間際まで続きます。


最期を悟った彼女は自分でお香を焚き、
その煙に巻かれながら92歳というでこの世を去ったそうです。
(当時では考えられないほどの高齢である。)


国を動かすとまではいかなかったですが、
小野小町は日本の歴史を大きく動かしたことは間違いないでしょう。


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花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに
(小野小町)