子供と俺 | 大喜の独り言

大喜の独り言

FTM(自称)既婚子供ありで治療も出来ない
無職、精神科通いのダメ人間。

ふむう、忙しいというかバタバタの一週間。子供が長期休暇中は何かと時間がない。家に誰かいてゆっくりブログを更新する時間がない。上は夜中に勉強するし、下は昼間にうろうろしてるし、真中は部活やらなんやら…

子育て中が後から思えば充実してたとも聞くが、青春時代がいい時代だったと同じなのだろう。渦中に居る時はそのありがたみがわからんものなのかもしれん。


来週からは普通の生活に戻れるだろう。しかしながら春は学校への書類が山ほど来る。3人もいるともう嫌になるな。同じような内容を書くのは手間だ。家で出来る事だからまだましか…


結果堕ち込んでる暇もなく過ごせたのはいいことなのかもしれんが、タバコの本数が増えるのはいかがなものか。何かしらはあるということか。来週は久々に病院。春休みは避けたから。他の心理士さんとかも会う時間が取れなかった。バタバタしてて話す内容もまとまってないからちょうどよかったのかもしれない。


しかし子供は一年たてば一学年上がる。進んでる感があるが、俺ら大人はそれがないのだな。クラスも担任も決まった。何かしら変化があるのだろうな。そして人生の選択になる上二人。どんな選択をするのだろう。


俺が子供のころは何を考えていたのかな?生きづらさはあったのに気がついたのは大人になってからだ。それが普通だと思ってた学生時代。子供らを観てるとつくづく違うなと思う。どんなクラスに行ってもあまりこだわりはないようだ。普通だから普通に友達を作れるのだろうか?俺は毎回ひやひやだった。その年の運命が決まる始業式。孤独になるか、仲間を見つけられるか。先生に理解があるか。そして5月ごろ熱を出すのが定番だった。無理してたんだろうな。


小6が一番の外れの年だった。おかげでクラス会など行きたいともいもわない。孤独と不安。先生も助けてるれるどころか一緒に笑い者にする人だった。なぜそうなるかなんてわからんよな。だって今みたいな手厚い保護と知識がない時代だもんな。


先生も人だからって思えたのは大人になってから。嫌な先生だったな。悪い奴らに媚びうってクラスを荒れないようしてたのか?きっと悪ガキには理解あるいい先生として思い出になってるのだろう。俺はそれに利用されたいじってもいい子か…。あまり大人しい子をその役にするとまずいからな。俺ぐらいがちょうどいい標的だったんだろう。親にも言わんし。泣かんし。


学校が何もしてくれないとか文句が言える今の時代はいい時代なのか、甘ったれをそのまま卒業させるだけの場所なのか…俺にはいい悪いはわからないが、少なくともうちの子らは3人共楽しそうだ。SNS等の新しいいじめや、不登校の増加などそういう子供がいる親は今の時代が辛いのかな。俺らにいじめを助けてくれる先生も、不登校という選択肢もなかった。ただそれだけだよな。我慢したにすぎない。人は理不尽で平等ではないと教えられたのが学校だ。


いま子供なら俺は不登校だったのだろうか?それとも男子の制服を着て学校に行けてたのだろうか?戻らない事だとはわかってるが、子供をみてると思いだす。そして考える。子供がいなければ考えない事なのかもしれんな。