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ドッピョのバドミントンブログ

楽してスキルアップを夢見る脳みそピヨピヨ♪な日々を描く

m(_ _)m こんにちはっ

今回は独り言かな。

 

いつの間にかバド歴もとっくに10年を過ぎ、学生時代にやっていたサッカー歴を抜いたねサッカー

サッカーも、小~中~高~大 と、トータル10年はやってたんだけど。

今となっては、バドミントン歴の方が長くなりました。

 

自分が上手くなることは勿論だけど、最近は他の人の練習も少し見させて貰ったりとか。

少し教え魔的な性分もあるので、そういう機会が前より増えたかも。

そうした中で、どうすればもっと効率的にその人を上達させてあげられるのかな?っと。

これは巡り巡って、どうすれば自分がもっと上手くなれるのか?っという問題でもある。

 

少し前から通い始めた緩いバドクラブがあるんだけど。

そこに来ている初心者~初級者さんの練習を少しお手伝いさせて貰ってて。

でまぁ、定番のグリップ話から諸々の基礎話をしてるんだけど。

ショボーン その時に思うのは、自分の中にある引き出しって・・・意外と少ないよなぁ~と。

 

勿論、全てを説明しよぉ~と思えば、このブログに書いてあるもの全てを話すことになるし。

だから何時間?何十時間?の説明になる訳だけど、でも10年以上もやってる訳で。

しかも大人になってからの10年だから、脳筋の学生時代とは考察濃度も違う。

 

それを思うと、あれを説明してこれを説明して・・・。

ぁれ?それらを話したら、もう話す内容無いな・・・と。

10年かけて積み重ねてきたものも、その程度のものか・・・。

自分のバドミントンって、結構薄っぺらいんだな・・・と、改めて思ったりもします。

 

勿論、説明だけ聞いてすぐ出来るようになるなら誰も苦労はしない。

自分も迷走しながらの10年だったから、薄っぺらそうに見えて簡単じゃないのも分かってる。

でも、説明文として言語化したら、それ程の大長編にはならないだろう。

 

学校の教科書に似てるかも。 例えば算数の教科書 学校

あれ一冊作るのには、恐らく先人達が何世代もかけての膨大な研究をしてるはず。

それを結論だけ理路整然と纏めてしまうと、冊子というボリュームに収まる。

しかし、その結論に至るには、見えない無数の紆余曲折を経てるのだろうね。

 

例えば、小学生が習う算数の 『九九』。

当時はとにかく丸暗記しろと言われ、嫌々ながらに丸暗記だよね。

いちいち計算せずに、結果だけを予め丸暗記しておけというのが九九な訳だけど。

しかし、計算テクニックとしては斬新だと思う。考えた人はなかなかに凄い。

 

 

人間の歴史が長くなるにつれ、学ぶべき総量が増える。

それを短期間で習得するためには、どうしても結論だけを得る詰込み型の学習になる訳で。

いちいちその結論に至った経緯や、成功と失敗の歴史なんて説明してられないんだよね。

理解不足から後になって色々な不具合が出てくるとしても・・・です。

 

ふんわり風船星 例えばバドのフォアで使うイースタングリップ。

最初に面を縦にして握れ・・・と教わる訳だけど。

で、そのままじゃ面が切れてしまうから、腕の捻りを使ってフラット面を作れ・・・と。

 

でも本当は、この話は成り立ちが逆で。

スイングでは体各部の捻りが全て使われるから、縦にして持たないとスイングの最速地点でフラット面が作れない。だから、縦のイースタングリップで握れ・・・という結論に繋がっていく訳だけど。

 

しかし、最初にグリップから説明を受けた人は、考え方に重大な欠陥を含んでしまう。

グリップを基準に、体の動かし方をそっちに合わせてしまうんだよね。

だから、腕だけを捻ったりして部分的な帳尻合わせだけで面を作るようになる。

本来は体各部をしっかり動かすことが前提なのに、その話は二の次で面作りが最優先。

 

それに、フォアはイースタングリップという呪縛に捉われてしまって。

体が使えずイースタンじゃ駄目な場面でさえも、イースタンに拘ってしまう。

場面によって使える体の可動域は変わるので、グリップは当然それに合わせて変化するんだけど。

ロジックの順番が違うから、そういう当たり前の思考さえも難しくなる。

 

じゃあ、本来のグリップの成り立ちをきちんと初心者に説明すべきか?っとなると。

それはそれでスムーズにはいかないだろう。

初心者に体各部の可動域の話なんてしても、チンプンカンプン過ぎる。

説明上は分かっても、そういう風に体を動かした経験則がないのでピンと来ないはず。

 

余計に話が分からん・・・となるのがオチなので、やはりグリップから説明するハメになる。

少し上達した後に、上述の呪いに陥るだろぉ・・・と分かっていてもね おばけ

グリップに縛りを設けることで、体各部を正しく動かすようになることを期待する。

 

 

ぽってり苺 他にも例えば、基礎が出来たら応用へ・・・みたいな話があると思う。

基礎 ⇒ 応用 の順番ね。

一見、当たり前で筋の通った話のようにも思うけど、実はこれも事実とそぐわない。

実際は、基礎が応用を生むのではなく、応用が基礎を生んでいるからだ。

 

現実世界の様々な問題というのは、常に応用問題なんだよね。

その応用問題に直面することで、解決のためには基礎が必要だ・・・を理解する。

だから、基礎が出来てないのに応用に進むな!というのは、実はこれは教える側の傲慢。

応用を知らないものに、基礎の意味など分からないのです。

 

基礎のための基礎は、意味不明。

応用のための基礎であり、応用に接してないものに基礎の意味など理解できない。

バドで言うなら、基礎打ちが出来てないのにゲームに参加するな・・・は意味不明。

ゲームに参加して、そこで打ちのめされることで基礎打ちの重要性を理解するんです。

 

算数の九九は、九九のためにある訳じゃないんだよね。

高度な計算式に何度も直面することで、計算速度をアップする必要性に迫られ。

そこで、九九という基礎的な計算テクニックが、後から生まれたのだと思う。

基礎は、応用の後から作られるもの。応用⇒基礎が、理解の順番として自然なんです。

 

ショボーン もし普通のスマッシュが打てない人が、ジャンピングスマッシュを打ちたいと言い出したなら。

いいじゃん、練習させてあげれば。 だって、それは何も間違ってなどいない。

学び方として至極真っ当で正しい道順だと思う。それこそが正解だ。

当然まともには打てないだろうけど、本人はその経験を経ることで普通のスマッシュへの取り組み方が変わると思う。

 

ラウンドが出来てないのにハイバックの練習をするな?

いいじゃん、ハイバックの練習させてあげれば。

それをゲームで実際に使って、これじゃ勝てないと理解することでラウンドに真剣に取り組むようになる。

 

基礎 ⇒ 応用などという順番を決める必要はないと思います。

だって、応用に触れないことには、基礎の意味は理解できないのだから。

学びってのは、出来る出来ないを理由に始めるものじゃないんだよね。

 

実際の教育現場では、教える側の立場の人には色々と制約がある訳で。

例えば、マンツーマンで教えるのと、100人を相手にするのとではまるで話が違う。

家庭教師なら1人を相手に出来るけど、大学の講師は数百人を相手にするのも珍しくない。

だから、現実が理想通りにはいかないのは分かってる。

 

先日、初心者さんを自分がみた時は、一度にみれるのは3人が限度かなぁ~と思いました。

1コートに3人集めて、そこに自分が加わって4人で回してメニューをこなす。

それ以上になってしまうと、全員には目が行き届かなくなってしまうね。

当然、レクチャー内容もその人数向けに妥協せざるを得なくなる。

 

学校教育の場では、生徒が数十人いる訳だから。

当然、一方通行の詰め込み型の教えになるよね。

カリキュラムもギチギチで、いついつまでに教科書の何ページまでこなさないといけない。

学校の教科書は、そうした状況下の学習資料として最適化されている。

逆を言えば、学校の教科書は独学用としては矛盾だらけのゴミ資料になるはずだ。

 

 

オカメインコ 話をバドに戻して。

 

上達のために、どのように学んでいくのが良いのだろう。

詰め込みで済む部分は、そこはバンバン詰め込みで良いと思う。

本人にわざわざ考えて貰う必要などない・・・そう思います。

 

現代の教育がそうであるように、時間は限られている。

理想は本人が試行錯誤して全てを一から構築していくことだけど。

ドッピョが今10年経ってこの立ち位置にいることから分かるように。

時間をかなり浪費することになる。だからそれは駄目だ。

 

なので、出来るだけ詰め込み型で教えるのが良いと思う。

つまり得られた結果、方法論だけをバンバンその人に伝授していく。

自分が試行錯誤のために費やした時間を、その人が使わなくて済むようにするためにね。

そもそも技術の継承ってのは、次代を担う人の時間の節約のためにあるようなものなのだから。

 

でも、それだと当然ながら、本人には考える能力が育たない。

解法ばかり詰め込まれて育った人間は、問題解決能力が伸びないからね。

応用問題を自ら分解して、基礎レベルに自前で落とし込む力を別途養う必要がある。

 

以前、タレントの武井壮さんが、YouTubeチャンネルの中で喋っていたのを見たけど。

あの人は陸上の十種競技で日本チャンピオンにもなっているようで。

元々はトップアスリート出身なんだね。

その彼が陸上コーチにならないのか?っと尋ねられ、飯が食えないからやらないと答えていた。

 

彼曰く、コーチの理想は、その選手が出来るだけ早くコーチを必要としなくなるようにすることだと。

彼は3ヶ月あれば、恐らく持てるノウハウの全てをその選手に伝授できるだろうと話していた。

3ヶ月でコーチはお役御免となってしまうから、これでは職業にならない・・・ということだ。

逆を言えば、無能なコーチほどダラダラと長く選手を見続けることになる。

 

問題は、自前の問題解決能力をどうやって本人に養わせるのか?っだよね。

詰め込む部分は、単に詰め込めばいいだけの話。

しかし、本人にただ考えろ・・・というのは、これは教える側の怠惰だと思う。

自分がやってきたことを別の誰かにやれといえば、それは10年かかる作業なのだ。

 

問題解決能力さえも、時短で選手に引き継がないといけない。

考える能力さえも、継承すべき単なる技術の一環でしかない。

本人に考えろ・・・と言って丸投げするのは、教える側の無能です。

 

 

猫 では、どうしたら時短でその能力を引き継げるのだろうか。

当ブログが10年かけて積み上げてきたものは、どのように積み上がったのだろう。

 

方法論の一つとして、チョンウェイやリンダンのゲーム動画をアホみたいに見続けてきた。

そして、何故そのプレーが出来るのか?っというのを、他の動画と比較して見続けた。

他の選手はできなくて、どうして彼らは出来るのだろう?それを比較し続けた。

 

比較・・・か。

そう、比較・・・だね。違いを探し続けたかもしれない。

画面を2つ並べて見比べることも多かった。

 

別のものを持ってきて、それと比較した。

体の細部も比較した。爪先はどっちを向いてる?とか。かなり細かい部分まで。

服のシワを見ながら、じゃぁこの時は体がこう捻られてるだろうな・・・とか。

他の事例にもなぞらえて比較した。囲碁やらバイクやらと。

 

あとは、とにかくバドのことを考える時間が長かった。

お風呂に入りながら考え、布団の中で考え。

そして思いついたことを体育館で試し、上手くいかなければ家で考え直し。

トライ&エラー、それは今も続いている。

 

何か一つ上手くいくためには、事前に何回も試行錯誤している。

その中から、偶発的に?良い閃きが生じることがある。

そう・・・沢山の苗を植えて、その中から偶然良いものが育つように。

 

自分の場合は、やりたい事も明確だった。

何も無い所から全く未知の新しい何かを生むのではなく。

チョンウェイやリンダンのようなプレーがしたかっただけ。

だから、比較という具体的な方法論にすんなり辿り着いた。

 

 

ヒヨコ 当ブログの記事の中で、何故もっと早くに気付けなかったのだろうか?みたいな。

例えば、反力の泉の記事などはそういう想いがあった。

どうしてもっと早く気付けなかったのだろうか。早く気付けばもっと時短が出来たはず。

 

でも、気付く気付かないはかなり偶然の要素が強い。

だから今考えてもどうにもならなかった気がする。

問題は、どうやったら気付いたそれを掘り下げることが出来るのだろうか?かな。

 

高校時代に物理が好きになったけど、物理の知識はだいぶ役に立った。

もしその知識がなかったら、進まない考察は多々あった気がする。

因みに、自分は高校時代に数学のテストで0点を取ったことがあってw

0点って・・・ドラえもんののび太しかありえんだろぉと思ってたけど・・・そうでもなかったねw

数学は苦手でした;;

 

考える能力、問題を解決する能力、分析能力。

どうしたらそれらが身につくのか。

これはもう能力というより、やはりこれも単なる知識じゃないのだろうか。

問題を解決するためのプロセスというのも、それ自体が方法論としてあるよね。

 

経験則と言ってもいい。

以前のあの時は、ああいう方法で上手くいった。

だから、今回もあの時のあの方法を試してみよぉ・・・みたいな。

 

以前困った時は、こういう方法で乗り越えた。

今回もこの方法で乗り越えられるか試してみよぉ・・・みたいな。

ところが今回はそれじゃ上手くいかなかった。

逆に、なぜ以前はそれで上手くいったのだろぉ?違いは何だ・・・みたいな。

 

子供達に問題解決能力がないのは、絶対的に経験則が足りないからだと思う。

問題に直面した回数が、大人に比べて少な過ぎるからだ。

その子供達に自分で考えろ・・・と言っても、無駄だ。

問題解決能力は、経験値の量で決まる。

 

だとしたら、問題解決のプロセスを疑似体験させてあげるのが良いのでは。

当ブログでは、記事にするにあたって結果論だけを記述することも多いけど。

考察部分はグチャグチャしてるから、文章にしづらいってこともあるしね。

でも、その結論が生まれるグチャグチャ部分、そこが大事だったりする。

 

でも、グチャグチャとは言いつつ、本当はグチャグチャではなくて。

幾つかのトライ&エラーが混ざり合わさってるから、説明がしづらいだけです。

話を一本道に整える作業が面倒だから、だから省いてるだけ。

なので、一つ一つの試み自体は、自分の中では定番になっているものばかり。

その中の一つに比較という作業があるんだよね。

 

 

UMAくん 余談だけど、私の父は町工場で鍛冶屋を営んでいました。

兄弟で営む小さな工場で、危険・汚い・キツい の昔でいう3Kと呼ばれる仕事。

ある時、仕事を手伝えと言われて、精油工場のプラントへ父と2人で行くことになり。

そこで初めて、働く親父のガチ姿を見たんだけど。

 

素人の自分にも分かった。これがプロの職人なんだと。

その時のミッションは、プラント内に設置されているモーターを交換すること。

しかし、工業用モーターは100kg近くでクソ重い、しかも設置場所は鉄骨が入り組んだ上層部。

工場内は鉄骨やらコンベアやらで、油まみれの鉄のジャングルジム状態。

 

(@_@;)上を見上げて、ぇ?・・・あれを交換するの?無理ょ・・・足滑らせたらマジ死ぬし。

本来なら、安全のための足場をしっかり組んで数人がかりでやるべき作業なんだろうね。

でも、小さい町工場は、少額予算でその作業を請け負っている。

足場を組んで数人を要していたら、どうしたって作業費は膨らんでしまう。

 

親父は細かいことはあまり説明せずに、レバーブロックという道具を持ち出し。

それらを複数個使って、そのジャングルジムの空間を縫うようにクソ重いモーターを持ちあげていった。

レバーブロックのチェーンを組み合わせ、鉄骨が入り組む中を3次元的にちょっとずつ持ち上げる。

目から鱗でした。そんな方法があるのか・・・、そんなことが可能なのか・・・。

 

確かに、その方法なら鉄骨が入り組んだ中を、まるで猿が枝を伝うようにして持っていける。

そんな解決方法があったなんて・・・、自分の想像の範疇を完全に超えた方法でした。

他にも何度か仕事を手伝わされたことがあったけど、目から鱗の手法を数多く目にした。

これがプロの職人の知恵か・・・。圧倒的に経験値が違うんだ・・・と素人ながらに悟った。

 

使うものは小道具ばかり、それなのに大きな構造物さえも精密に動かしていく。

そんなやり方があるのか・・・。そんな方法で実現できるのか・・・。

そんな光景を何度も目にしました。親父は本物のプロの職人でした。

小さな町工場は、ノウハウの力で生き残ってきたんだね・・・。

 

話が逸れたけど、現場で問題に直面して、それをその場で解決してきた経験値が違う。

もう圧倒的に違う。親父は一人前になるには最低10年はかかる仕事だと言っていた。

本当そうなんだと思う。 足りない道具をその現場で作ることまでしていた。

 

数多くのトラブルに直面してこなければ、到底できない芸当。 圧倒的な現場力。

数多くの経験値があってこそ、問題解決のための考える力が働くのだと思う。

経験の無い人がひたすら考えたところで、時間ばかりが過ぎて何も生まれはしない。

 

 

カエル話を戻すけど。

 

考える能力っていうのは、経験値がものを言うんじゃないかな。

勿論時間がかかってもいいなら、その限りではないけど。

でもそれじゃ何の継承にもなってないよね。

自分が苦労して歩んだ道を、同じだけの時間苦労して歩め・・・と言ってるだけだ。

 

同じように失敗して、同じように痛手を被り、同じだけの時間を浪費するだけの話。

それじゃ先人は居ても居なくても一緒なんだから。

指導の意味がない。

 

先人は自らが得た経験則を、次の人へ継承する。

詰め込みで済む部分は、単に結果を伝えるだけでも良い。

 

でも考える能力を継承したいなら、前後を含めたプロセスそのものを伝える。

こうやって失敗した。こう考えてこれをやってみたけど、違う結果になった。

偶然だったけど、ひょんなとこから上手くいった・・・など。

どうしてそれを試そうと思ったのか?何故それをやってみようと思いついたのか?など。

 

階段に見立てると。

経験者は、自分がいる段まで初心者を引っ張り上げる作業がまず1つ目。

これは既に作られた階段をただ登れば良い。

そして、新しい階段を自ら作る能力を授けるのが2つ目。

最終的には階段を自分で作っていかなきゃならないからね。

 

 

そこで授けるのが、どうやってこれまで階段を作ってきたの?っという経験値。

そこには失敗の経験則も含まれる。成功だけの経験など有り得ないからね。

その一段を作るのに、どういう苦難があったのか。

数ある作り方の中から、何故それに辿り着いたのか。

なぜ他の方法ではなく、その方法になったのか。

 

 

(^_^; ) って、書いてるうちに何の話かよく分からなくなってきたねw

タイトルは 『どうやって学ぶのか』・・・か。

ん~~そうねぇ。

 

そういえば、初心者バドに来てる女子で、たまに助言をしてた子がいるんだけど。

最近その子が色々と自分で試すようになってるみたいで。

傍から見てても、ぁれ・・・前とは違うことをやってるな・・・と。

 

私的には、いゃ・・・そこはもうちょっとこうした方が・・・って思う部分もあるんだけど。

本人が試行錯誤してる間は、そこは何も触れずに黙っておくことにしました。

今この瞬間、その子は階段作りの真っ最中なのだから。

 

出来上がった階段ばかりに目が行きがちだけど。

階段作りのプロセスの方が重要かもしれない。

プロセスは人の目に映るものじゃないから、その子の中でプロセスが育っているこの瞬間。

試行錯誤が出来ているこの状態、この状態に辿り着いていることが正しい在り方かも。

 

もし、出来上がった階段がいまいちなものだったとしても。

このプロセスに辿り着いてるのなら、それを自分で評価して自分で修正を図っていくだろう。

そして必要があれば、向こうから声をかけてくるだろう。

その時向こうが質問してくる内容は、きっとこれまでとは違った視点になっているはず。

 

もう暫くは様子をみていこうと思ってます。

m(_ _)m 結局、全然話が纏まってないけど終わりw