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ドッピョのバドミントンブログ

楽してスキルアップを夢見る脳みそピヨピヨ♪な日々を描く

m(_ _)m 新年明けましておめでとうございます門松

馬 このブログもゆっくりだけど続けていきますので、宜しくお願い致します。

 

 

(^_^;) さて、新年一発目の記事だけど、今回はバドミントンの話から逸れてて。

『学びとパクリ』 について考えています。ちょっと迷子になりそうな話・・・;;w。

当ブログで扱うような話題じゃないかもだけど、どうにも気になってしまったんだよね。

 

っというのも、少し前にバドミントンの設計書作りのシリーズ記事を書いていたけど。

あの時に考察していた内容が、今も頭から離れなくて。

特にこれ → 【6】β設計でルールを書き換える

 

この記事は、α設計書β設計書 への” 再誕 ” の話だけど。

 

β設計書では、”競技のルールを変えずに勝負のルールを変える”

そういう切り口で書いてたけど、我ながらこれは深いな・・・と。

 

っていうか大袈裟な話。 これって、この世の理に関わる壮大なテーマでは・・・。

世の中の全ての事物は、元ネタにアレンジが加わることで出来上がっている。

そんな事を考察していました。

 

 

身近な例をあげるなら、TVのクイズ番組とかね。

ちょっと機転の利く解答者は、クイズそのものではなく出題者の意図を読むでしょ。

正直にクイズを解くのはα設計で、出題者の意図から答えを考えるのがβ設計

 

少し重いテーマを例にするなら、憲法改正に関わる問題とか。

国の憲法はそんな簡単には変えられない。だから、条文はそのままに解釈だけを変える。

つまり、ルールはα設計のままで、解釈を変えるというβ設計で新たな問題に対応する。

 

こんな感じで、例をあげれば日常の何処でも出てくる出てくる。

空を飛びたい?だったら、自分で飛ばずに飛行機作ればいいんだよ・・・も結局は同じ。

この話は要するに、あなたは元ネタにどんなアレンジを加えますか?って話。

 

(α)元ネタとなる何か ⇒ 自分が何かを加える ⇒ (β)新しいモノに作り変わる。

 

 

これは、よくよく根源的に考えてみると、別にルールを変えちゃいけない話でもない。

そもそもβ設計の”再誕” というのは、何かと何かが合わさって別の何かに変わること。

シンプルに、それだけのこと。

一般的にそれがどう呼ばれているかというと↓

 

更新、アップデート、バージョンアップ、修正、改良、改善、最適化、工夫

誕生、亜種、進化、カスタム、アレンジ、オマージュ、派生、改造、開発、

統合、融合、合併、合体、集合、収束、結合、設計、製造、創造、発明、

 

↑これら、人間からするとそれぞれ意味合いが違うけど。

根源点な概念を説明するなら、全て同じなんだよね。

↓数学的にいうなら、これのこと。

 

 

関数FにパラメータのXを加えて、Yが生成される。

基本はたったこれだけ。つまり変換だ。

そして、生成されたYをまた次の何かに加える・・・の繰り返し。

 

バドミントンのβ設計の話では、競技のルールを変えずに勝負のルールを変えるとしてました。

α設計書の上位互換としてβ設計書を新たに創り出す・・・とね。

でも、本来は互換性に縛られる必要はなくて、ルール・・・・つまり仕様が変わってもいい。

その場合は、バドミントンではない別のスポーツへ変わるということ。

 

互換性を維持しつつ設計書を書き換えるのは、マイナーアップデート。

仕様の変更に至るまで創り変えるのは、メジャーアップデート。

生物の進化も同じだよね、爬虫類⇒鳥類への進化はメジャーアップデートです。

 

 

また、統合や融合があるなら、その逆向きにも自然と目が行くよね。

つまり、退化、ダウングレード、分解、分裂、解体、発散、・・・etc。

 

さらに、気付いた人もいるだろうけど、これらは全て循環してる。

当然だね。扱ってる内容がこの世の理だとしたら、普通はそこに辿り着く。

ミクロな世界からマクロな世界まで、全部それだ。

 

↓食物連鎖も循環で成り立ってる。

 

 

↓まるで磁石のような・・・、収束と発散。

超新星爆発で星は粉々の塵になり、重力で塵が集まってまた星となる。

 

そして、これを自然界の法則に照らし合わせると、恐らくフラクタルに辿り着くのかな。

フラクタルとは「自己相似性」で、ミクロからマクロまで構造体の形状が同じというやつです。

 

当ブログでは、たまに”入れ子”の話をしたけど、あれも一種のフラクタル。

月⇒地球⇒太陽⇒銀河・・・とスケールを大きくしても、構造が同じなんだよね。

↓三角形を例にすると、数を増やしてミクロからマクロになっても結局は三角形の構造が続く。

 

 

村⇒町⇒市⇒県⇒国・・・とスケールを大きくしても、一緒・・・みたいな。

人体は小宇宙だ・・・などと言われるのも、その法則だと思われる。

地球を一つの巨大な生命体と考えるガイア理論もそうだよね。

 

 

ハムスター少し脱線したので、話の流れを戻すけど。

元々自分が書いてた記事は、どうすればバドが上達するのかな?って話で。

そのために、何をどう考えればいいのかな?ってのを考察していました。

 

そして、考えるとは比較することだ・・・という気付きがあって。

そもそも、人が最も得意とする学び方は、真似をすることだ・・・と。

真似とは具体的にいうと、AとBを比較して違いを調整する作業だ・・・と。

 

じゃぁ、比較元になるバドミントンの設計書がまずは必要だよね・・・となり。

その設計書を作るために21点の構成を調べよぉ~となって、点数の分類分けをしていた。

そこで出て来たのが、α得点β得点という項目。

 

 

ふんわり風船星 さて、ここから本論の、『学びとパクリ』 の話に入っていくけど。

 

改めて、バドミントン上達のために考えるべきことは、モノマネに自分のアレンジを加えること?

いや、それってごく一般的な普通の話だとは思うけど。

なんか・・・ちょっと引っ掛かるというか。

 

パクる、盗む、奪う、真似る、コピーする、頂く、貰う、

学ぶ、教わる、習う、気付く、閃く、編み出す、練り上げる、

解明する、発明する、発見する、作り出す、

 

↑これらの違いはなんだろ??

これらは、白⇔黒、良いもの⇔悪いもの みたいな二極化に別れる気がするよね。

率直に、 学びとパクリは何が違うのだろうか?

 

 

この問題については、AIとも議論してたんだけど。

権利や道徳・倫理という概念を持ってる人間からすれば、両者は分けられるけど。

自然界の視点に立ってみると、特に違いはないよな・・・と。

色んな事例を踏まえると両者の境い目はかなり微妙で、AIとの議論でも少し行き詰まってたんです。

 

 

例えば、当ブログでは勝手にチョンウェイ先生から学んでる訳だけど。

↓こんな風に、動画を見て自分なりに体の動かし方を研究してる。

 

だけど、今自分がやってるこれらの研究は、どっちになるのかな?

学び?それともパクリ?

 

で・・・、今の自分の結論を言うと、” 完全には分けられない” ・・・です。

勿論、やってる自分としては気持ち的に ” 学び ” だと言いたいんだけどね。

 

 

宇宙人くん これは、ややこしい説明になるけど。

もしパクリならば、ドッピョが得たものとチョンウェイが持ってるものが一致してるはず。

でも、多分それは異なっている。チョンウェイの動画で私が知覚したモノと、私の頭の中に出来上がったモノは、きっと違うものだと思う。

 

 

これ、どう説明すべきなんだろぉ・・・。

さっきの数式を例にすると↓

チョンウェイの映像から得られるものは、左辺のYだけ。

でも、ドッピョの頭の中に出来上がったものは、右辺にある関数F。

Yをそのまま利用するのはパクリだけど、私が得たのは関数Fという別のもの。

 

そしてここが重要だけど、チョンウェイが持ってる関数とドッピョが作った関数はきっと違う。

この部分が、パクリとは違うよね・・・という一番の理由。

 

↓イメージ的にはこんな感じ。

 

 

↑チョンウェイの動画で見た『Y』を参考にして、自分なりの関数Fを創ったわけね。

チョンウェイの持つ関数Fとドッピョの関数Fは、一致してるかどうかも分からない。

 

ぶっちゃけ、チョンウェイのノウハウ(関数)は、今に至るも私の中ではブラックボックスで。

だって、チョンウェイ本人と内容を示し合わせたことなどないから。

今でもブラックボックスのままなんだから、これじゃパクりようがない。

「あんた(ドッピョ)が勝手に理屈を当てはめただけでしょ?」っという話でしかないのです。

 

もし、動画で見た『Y』を自分がそのまま利用してるというなら、それはパクリ。

でも自分が使ってる『Y』は、ドッピョ関数Fから作った『Y』であって、チョンウェイの『Y』じゃない。

勿論、最初はチョンウェイの『Y』を真似るところから始まってるけどね。

 

また、関数Fは自分で組み上げたものだから、全てを自分の言葉で説明できるし。

いくつもの新しい『Y』を、そこから何個でも自分のモノとして作り出せる。

人にアドバイスするにも、ただのパクリでは条件の変化に対応出来ないよね。

でも関数Fは自分で作ったものだから、パラメータのXが変わってもそれぞれに合わせられる。

 

逆に言うと、自分がやってることに対して、チョンウェイは何の責任も持たない。

『あなた(ドッピョ)の理屈なんて知らんよ・・・勝手に結びつけないでくれ』 って話だよね。

そもそも、共有していないのだから。

恐竜くん 完全に独り善がりの妄想バドラー・・・、そう言われたら返す言葉もないやw。

 

 

 

ふんわり風船星 さて、ここらで考えを一つまとめると。

学び・・・とは、リバースエンジニアリングのことかな?

リバースエンジニアリングとは、既製品を分解してそのメカニズムを紐解くことだけど。
 

 

でも、目的は紐解いて真似をすることではないよね。

本当にやりたいのは、そこからオリジナルの新しい設計書を作ること。
欲しいのは既製品の設計書ではなくて、自分が新たに作る設計書
 

 

ショボーン とは言え、学びとパクリの判別が難しい事例は確かにあると思う。

正直、きっちり分けられる自信はないかも;;。

 

例えば絵画で、有名な画家の作品を学習用として模写するケース。

模写を繰り返すことで、筆のタッチなどが似てくるよね。

そこで本人が培った筆のタッチは、本人の学び?それともパクリ?

実際に描かれたモノならともかく、筆のタッチそのものの扱いはどうなる・・・。

 

他にも、美味しいラーメン屋さんへ足を運び、そのラーメンを食べて味を研究するのは?

飲んだそのスープから使われてる具材を導き出す行為は分かるとして。

そこで判明した具材を自分のラーメンに使うことは、どういう意味になるのか。

具材の組み合わせを変えたり調理法にアレンジを入れたとしても・・・。

 

また、情報源としてはパクリでも、その習得には本人の鍛錬が必要な場合もある。

算数の九九だって、教わっただけでは使いものにならない。

暗記という本人の努力があってこそ、九九が使えるようになるよね。

バドミントンだって、打ち方を教わっただけでは殆ど何にもならない。

 

 

もぐもぐ ただ、最初の話に戻るけど。

そもそも、世の中の全ての事物は模倣からのアレンジだ・・・というのが自分の気付き。

だとしたら、有名画家もラーメン屋の店主も、元々は何かから着想を得てるはずで。

これは、つまり・・・誰もが循環の一部としてそこに居るということか。

 

『個は全であり、全は個である』 とか言う訳の分からない言葉があるけど。

フラクタルという構造を考えれば、まさにそれだ。

どんな人間だって、祖先まで遡れば大勢の人間の集大成としてそこに生まれてる訳だし。

バイキンくん なんか・・・哲学的な話に突中して迷子になりそうだけど・・・;;。

 

人はみんな、国民であると同時に国王でもある?・・・みたいな?

後輩でもあり先輩でもある?・・・みたいな?・・・知らんけどw。

上を見るとキリがないように思えるけど、実は下を見てもキリがない。

そもそも上とか下とかじゃなくて、循環だから上も下もないんだろうね。

 

↓全然どうでもいいけどw 懐かしの 『聖闘士星矢』

炎 体内の小宇宙(コスモ)を爆発させろぉ~~~w

 

 

おばけくん って、また脱線した・・・;; 話を戻しますね。

 

権利や倫理という概念が人間にはあるから、そこは社会の規範に則らないといけないけど。

根源的な話をするなら、真似そのものは別に下品な行為ではないよね。

むしろ、絶対必要でそれが無かったら世の中は成り立ってない。

 

そう考えてみると、大切なことは次に繋ぐことか。

未来へのバトン? ・・・なんか格好良いこと言ったw。

↓改めて、この数式って深いな・・・。

 

びっくり っというかぁ~~、良い例えを思いついたぁ~~~っ!!・・・かもw。

(あくまで説明用の例えです)

 

↓例えば、お餅。

 

 

↑このお餅を食べさせてもらって、新たに素麺を創り出すこと。

それが ”再誕” だ。

 

↓例えば、みたらし団子を創るなら、それは ”真似” に近い。

 

↓かしわ餅を創るのなら、それは ”アレンジ” だろうか。

 

↓では、素麺を創る ”再誕” はそれらと何が違うのだろうか。

 

鏡餅 お餅を食べさせてもらった人の思考を考えてみる。

もしかしたら、原材料がもち米であることくらいは教えてもらったかもしれない。

 

・ お餅は、米つぶの原型とまるで違う。恐らく練り合わせて塊にしたのだろう。

・ そうか、米粒を粘土のように練り合わせて好きな形に出来るんだ。

・ 他の穀物・・・小麦でも同じこと出来る?しかも、もっと細かく粉状にして。

・ 味が染み込むように細くするのはどうか、冷やしたらどうなるか。

 

↑ っとまぁ、思考の過程をイメージするならこんな風だろうか。

 

素麺は、どう見てもお餅の原型をとどめていないよね。

素麺を見て、お餅をパクったな!と文句を言う人はいないと思う。

調理法の説明を受けた訳でもなく、お餅からはヒントを貰っただけ。

 

元の関数Fを想像しつつ、新たな関数Fを創る。

原材料に小麦を使うこと、粉状にすること、細いひも状に伸ばすこと、

これらは元々の関数Fには含まれていない新しい関数Fだ。

当然、新しいトラブルも起きるだろうけど、お餅を作ってくれた人に相談しても意味ないよね。

「知らんがな・・・」って話になる。関数Fは自分オリジナルの問題だ。

 

 

(※補足)

上記は説明用の例えで、それぞれの料理の本当の起源とは無関係です。

説明のための架空のストーリーね。

 

 

ふんわり風船星 ここまでの考察に基づいて、”学び” を改めると。


照れ 学び・・・とは。
情報として既に形を成したものをそのまま転用するのではなく。
そのルーツを遡って、物事が成り立つプロセス自体をアレンジする・・・ということか。

つまり、全てのモノが学ぶ対象になる・・・ということになる。
だって、世に存在する事物の中で、プロセスを経ずに生まれたものなんてないよね。
どんなモノにも、過去から現在に及ぶプロセスがあってそこに在る。

学ぶ対象がプロセスそのものだとしたら。
その対象物の出来栄えが良いか悪いかなんて、根本的には関係ない。
お餅は確かに美味しいけど、学ぶプロセスを考えてみると別に泥団子からでも素麺は作れたんじゃないか?

チョンウェイから学ぼぉ~と自分はずっと考えてきたけど。
もっと身の周りに役立つものがウジャウジャ転がってるのかもしれないね。
モノのルーツを辿る・・・それって歴史から学ぶってことだよね。

歴史は繰り返す・・・循環・・・過去⇔現在⇔未来。
恐竜くん ぅんむぅ~~・・・深い。。

さぁ、まとめよう。
バドミントンが上手くなりたいのなら、お餅から素麺を作れるようになれ?
何のこっちゃいな・・・ですなw

 

 

- おわり -