^^こんにちはっ
前回、『バドミントンとは・・・』 というお題にも少し触れてたんだけど。
今回はそこをもう少し穿ってみます。
バドで点が動くのは、『 相手コート内へシャトルを打ち返せなかった時のみ 』
っな訳だから、バドは ” 先に21点を取ったほうが勝利するスポーツ ” っではなくて。
” 先に21回打ち損じた方が敗北するスポーツ ” っだと位置付けを改めてみた訳ね。
そして、スコアボードの数字は、失敗の回数を表わしているのだと。
もし、スコアボードを21点から減らすようにカウントすれば、その感覚が身に染みるのかも。
持ち点の21から点を減らされていって、先にゼロになった方が負け。
だから基本方針はこの2つ↓
① 相手が打ち返し難い球を打つ(相手にミスさせるために)。
② 自分が打ち返し難い球を打たせない(自分がミスしないために)。
そういう発想で見つめ直すと、バドに対するイメージも相当変わる。
っというより、本来そっちなんじゃないだろうか。
やるべき事、やってはいけない事、そうした目的意識も改められる気がする。
ところで、世の中の様々なものには、表向きの建前と裏の真相みたいなものがあって。
例えば、学校のテストなんかは問題を解くというよりも、出題者との知恵比べだったりする。
TVゲームのボス戦は、表向きはバトルだけど、実際は攻略法の謎解きだ。
水泳は、推進力よりも水の抵抗をいかに減らすかが泳ぎの鍵となる。
およそ、表向きの目的を達成するためには、それとは別に裏のミッションが存在する。
もし、バドにもそんなものがあったとしたら、それは一体どんなものだろうか。
ここで囲碁を引き合いに出してみると。
囲碁は、陣地の多さを競うゲームだけど、バカ正直に陣地を囲いにいくと負ける。
それはその裏に、石の効率を競うゲームという裏の真相があるからです。
また、以前あるプロ棋士が言っていた。
『ちょびっとだけ得をするように打つのが良い』 のだそうな。大量リードは良くないらしい。
なぜ大量リードの圧勝が良くないのか?それは効率が良過ぎるからです。
意味が分かり難いかもしれないけど、良過ぎる効率は危険を伴っていることが多い。
ボロ儲けできる商売があったとしたら、裏で危ない橋を渡っているはず。
袋詰めの取り放題で小さな袋にパンパンまで詰めたら、いつか袋は破れる。
効率を求め過ぎることは危険であり、大量リードの勝利は崩壊のリスクを伴う。
目的が勝利することなら、相手よりも少しだけ上回れば事足りる訳で。
安定勝利を目指すのなら、コツコツと僅かなリードを積み立てていくのが囲碁の道理。
一見、このことはバドミントンとは関係がなさそうに思えると思う。
僅差では逆転される恐れがあるのだから、リードは多いほど良い。
それがバドミントンにおける世間の常識だよね。
でも、当ブログでは以前にサイコロ分析の記事を出しており。
そこでは、勝敗の是非を ”得失点の差” で考えるようにしています。
得点や失点は、単体では意味を成さない。
もし5点取るのに3点を失う必要があるなら、喜んで3点を相手に譲り渡す。
今はそういう考え方をしています。
こうした考えは囲碁においては一般的で、捨て石やフリカワリと呼ばれている。
だけど、スポーツ精神を重んじるバドラーには怪訝な顔をされるだろうね。
取られても良いラリー?そんなの有り得ない!・・・っと、そう言われそうだ。
どんなラリーでも諦めずに全力を尽くして取りにいく?
でももし仮に、全てのラリーを制して21-0で勝とうとしたら、現実何をしなきゃならない?
相手を0点に抑えるためには、相手に全くチャンスを与えないということ。
それを本気で狙えば、何もかもギリギリを狙ってショットを打つ以外ないよね。
でもそんなのは現実的じゃない。だから、実際のバドでも誰もしていない。
そもそも不可能なのだ。 現実無理なのだから根本的に考え方が間違っている。
つまり、バドにおいても圧勝できる理屈なんてそもそもないんです。
だったら、精神論と現実論のギャップを埋める必要がある。
具体例をみれば解り易いね↓
↑ある地点を狙ってスマッシュを打てば、着弾は多少バラけてしまう。
上手な人ほどこの輪は小さくなるけど、それでも一定の範囲に散らばる。
↓だから、シングルスであんなギリギリを狙えば、何球かはアウトになってしまう。
↑ギリギリを狙えばエースショットも増えるけど、アウトも増えて得失点は相殺する。
これではどんなにノータッチエースを取っても意味がない。
↓だから正しい考え方はこちら。
↑自分のコントロール精度と相談して、散らばってもアウトにならないところを狙う。
この場合、狙ったところからズレて端っこへ飛んだ球が偶然エースになる。
つまりエースショットは狙って打つものではなくてミスショットの産物、それが本当。
(※予め散らばることを想定しているので、正確にはミスショットではない)
また、このように打てば球が中央寄りになって甘い球も出てくるし拾われる確率も増す。
甘い球が出るということは、自分がやられる回数も当然増えてくる。
でもそれで全然OKです。
ちょっと冷静になって、どっちが得か考えてみればすぐ分かる。
当たり前だけど、後者の方が得だ。
後者はまず自爆のアウトがないし、たまには偶然のエースも取れる。
甘い球は出易くなるけど、甘い球全てがこちらの失点になる訳じゃない。
相手がネットに引っ掛けたりアウトする可能性もあるし、自分がレシーブするチャンスもある。
また、拾われてラリーも長引く傾向になるけど、それこそ長引くラリーを頑張るだけの話。
(※追記)
バドは、打ち損じた方が点を失うスポーツだから。
1球でも多く相手に打たせて、打ち損じさせる機会を出来るだけ増やすことが大事。
自分が打つということは、自分が打ち損じる機会が増えているということ。
でもそうじゃなくて、相手に打って欲しいんです。打ち損じるのは打ってるプレーヤーだけ。
だから、相手に打たせた上でこちらが失点になったとしても、それはある程度仕方がない。
自爆が罪深い理由もそこにある。
さっき、5点を得るために3点を失う必要があるなら喜んで譲り渡すと書いた理由がこれね。
甘い球を失くすことは現実的じゃないんです。それで3点失うのは仕方のないこと。
もし甘い球を完全に失くそうとすれば、今度は自爆が増えるだけ。
自爆は即失点だけど、甘い球はそうじゃない。ならばどっちが得かは一目瞭然。
↓この事情は、サービス周りについても全く同様。
今の自分だと、白帯の上5cm幅はシャトルを通さないようにしてます。
セーフティーゾーンというか、デッドゾーンに近い感覚です。
高さが狂っても大丈夫なように、そもそも5cm幅を保険のために使用しない。
そうするとどうなるかと言うと、ネットに引っ掛けない代わりにプッシュされ易くなる。
でもそれで良いんです。
白帯ギリギリを狙ってネットに引っ掛けることと、少し浮いてプッシュされること。
どっちが悪いかと言えば、ネットに引っ掛けるほうが断然悪い。
結果、同じように失点に繋がったとしても、ネットに引っ掛ける方が断然悪いんです。
理由はさっき書いた通り、相手がプッシュをネットに掛けたりプッシュがアウトになることもある。
プッシュされてもレシーブする機会だってこちらには残されている。
この2つは、同じ失点だとしても全く意味が違うんです。確率論というか統計学かな。
プッシュを決められると、感情的には結構なやられた感があると思います。
だから、プッシュされるくらいならリスクを背負っても白帯ギリギリを・・・と考えたくなる。
でも実際は逆で、サーブで自爆するのに比べたら、プッシュによる失点の方が遥かにマシ。
プッシュによる失点は税金みたいなもんで、納得できる失点なんです。
その失点は、プレーヤーが思ってるほど悪いものじゃない。
さっきの話に戻ると、プラス5点はマイナス3点を差し出すことによって得られているんです。
そのマイナス3点を否定的に捉える必要は全くない。
失点したからといって、それが悪いものとは限らない。
つまり、失点せずに得点だけ得ようとする方が傲慢であり、その考え方は通らない。
得点や失点は単体では意味を成さず、得失点の差分にこそ意味がある。
(^_^;) さて、すぐ終えるつもりの記事だったのに長引いたね・・・![]()
余談だけど、自分は学生時代にサッカーをしていて、あの頃はひたすらボールを追いかけてた。
戦術とかそういった類とは全く無縁で、体力の続く限りずっと走り回っていたね;;
一言でいうなら、考える頭を持たない体力バカ・・・まさにそうだった;;
だから今こうして色々と考察内容を書いてるけど。
(-"-) それは、昔の自分を否定するかのようで良い気がしないことも多いです。
でも、今は昔と違うやり方で違ったことをやってみたいと思ってて。
団体スポーツのサッカーから個人スポーツであるバドを始めた理由の1つでもある。
サッカーは良くも悪くも周りにチームのメンバーがいる。
自分1人になった時に、個人として自分の能力がどれ程のものかを知りたくなった。
40歳を過ぎてる今となっては根性論は通用しないし。
より生々しく、より着実に、よりリアルに勝利する方法を考えたい。
子供時代は考えもつかなかったし、考える能力も知識も経験もなかった。
でも今は大人になって多少の知恵もついたし、今だから考えられることもある。
このバドミントンという競技で、それを色々と試してみたいと思う。
子供時代では見えなかったものを、バドの中に見出したいね。
m(_ _)m おわり







