^^こんにちは、今回は雑談です。
ぁ・・・、ついでですが。
m(__)m ブログの画面左下に最新記事のリストを表示するようにしてみました。
さてさて、実は。。
新バドサークルで非常に気分を害する出来事があり、その心的な動揺があって暫くブログを書けずにいたのですが。
ただ、それに関することを書きたいわけではなく、改めて自分のバドミントンの位置づけ・・・というか。
そういうものを思い直してみたくなり。
バドを始めて早数年。
未だに遊びのバドミントンの延長で続けてますが、世間一般的には遊びとか競技とか・・・そういった境界線がはっきりあるわけじゃないとは思うのですが。
まぁ、大会などの公式試合に参加されている、いわゆる競技としてのバドミントンを楽しんでられる方は分かり易いとして。
単にレクリェーション(遊び)としてバドをされている方、自分もそうなんですが。
そういう方々は何処へ向かっているのだろぉ・・・などと、答えのないことを少し考えてたりします (^o^;)
そんなの人それぞれ・・・っていう結論が見えてるんですけどね(笑
バドをやる動機は様々だし、単に運動不足解消やら、友人同士の付き合いやら、やってる理由がそれぞれ違うのだから、向かう先もバラバラ。。
まぁ、当たり前過ぎて考えるのもバカらしいんですけどw
遊びでやっているのなら、楽しくプレーできれば目的達成なわけで。 それ以上でも以下でもないじゃん?っていう話なんですが。
(-"-;) なんだか、話が意味不明になってきましたね・・・(汗
実をいいますと、新バドサークルから抜けようかなって考えてまして。
ぶっちゃけ、競技バドラーと混ざった環境でプレーをすることに無理を感じているんです。
目指してる方向が違うので、細かいところで色々と不都合なことが生じるんですよね。
以前から薄々感じていたことではあるんですけど、今回はそのマイナス面が露呈した出来事があって。
根本的な原因は、やっぱり目的の違いから来てるのかな・・・って感じてるんです。
(※新バドサークルでは多目的に人達が集まっており、そもそも混在が前提の場なのですが)
で、自分に見合った居場所を新たに模索しようかなぁ~~と、考え中です。
サークルについては別サークルに移れば良いだけの話で、ただそれだけの事なんですが。
こういうことがあると、ふと考えてしまうんですよね・・・。
~ そういえば以前、友人のM男ともこんな事がありました。(※M男は学生時代にバド経験あり) ~
バドの練習開始時に、M男と打ち始めたんですが。
M男 : 「何から始める?」
ドッピョ : 「じゃぁ最初は適当にフリーで打とうよっ」
M男 : 「ん?・・・ん~・・・ぅん」
と、返事はしたものの。 明らかに怪訝な表情をするM男・・・。
(^_^;)ん?何か変なことを言ったかな?・・・と、不思議に思いつつも、とりあえずフリーで適当に打ち合っていると。
どうもM男の様子がおかしい・・・、明らかにテンションが低い。 なんだろ・・・と思って尋ねてみると。
ドッピョ : 「どうかした?」
M男 : 「ん~~、、、何がしたいのかがわからん・・・」
ドッピョ : (@Д@;) へっ?
困ったのはドッピョ。
ドッピョ : 「何がしたいのかがって・・・、だからフリーで色んな球種を交えて適当に打ち合おうってことだけど?」
M男 : 「いゃ、そうじゃなくてさ・・・」
ドッピョ : ?
話を聞いてみると。
M男曰く、どうやら実用的な練習になっていない・・・のだそうです。
M男は学生時代に部活でバドをやっていた人間で、いわゆる競技バドラーなんですよね。
なので、バドをやる時は自然と競技前提のプレーになるんです。
その彼の視点からすると、特に無目的にフリーで打ち合うという行為が、全く不可解なものに映るらしく。
何がしたいのかさっぱり分からない・・・という心理になるらしい。
逆に、ドッピョは打つこと自体を楽しむ人間なので、そういった競技バドラーの心理が分からないんです。
分からないというか・・・言われてみれば、あぁ~~そうなんだぁ~となって、一応の理解は出来るんですけど。
言われなければ、全然気づきません。
これまで、新バドサークルで暫く続けてきましたけれど。
きっと、自分の気づかないところで、実は迷惑かけてた部分ってあるのかなぁ~とか、ちょっと思います。
(^o^;) まっ、思いはしたものの、結局分からないんですけどね・・・(汗
競技でバドをやっている方々。
彼らの頭の中にあるバド常識というか概念というのが、ドッピョの頭の中にはまるで無い・・・。
もうほとんど、異文化交流です。 デカルチャーw
共通事項はバドミントンのルールだけ。。 (・_・;) どうしたものやら・・・。
スポーツの世界では、その競技が上手な人間が尊敬され、そういった人達の立場が強くなってくものでしょうけれど。
レクリェーションという自覚でやっている場合。
例えば、バドで言うなら。 バドが上手かどうかはほとんど意味がなくて(これは言い過ぎかな・・・)。
強いていうなら、バドを楽しんでいる人が偉い・・・(違いますかね?w)。
ドッピョも学生時代は別のスポーツを熱心にやっていて(勿論、競技として)。
そっちの競技での話となれば、全然意識が変わってくるんですけど。 バドに関しては完全に遊びでやってる自覚なので。
上手かそうでないかということに、あまり意識が向きません。
ぁ・・・、勿論。 上手くなろうと思って練習は熱心にしてますけどね(でも、強くなるためではなく楽しむためです)。
バドが上手かどうかは、遊びバド界において人の優劣をつけるものではないので(と、ドッピョは思ってるので)。
上手い人を尊敬するという気持ちもたいして沸かないんですよね・・・、へぇ~そうなんだぁ~くらいの感覚で。。
競技バドラーから遊びバドラーを見た場合と、その逆の場合では結構意識のギャップがあるような気が・・・。
思ってること・・・実は全然違ってたりするかもしれませんね。。。
(^o^;) この記事を通して、これが言いたいっていうようなモノも特にはないんですけど。
ちょっと、そんな事を思っていました。
m(__)m またまた好き勝手書いてますが、思ったことをちょっとつづってみた・・・という記事です。
そんな感じ(ナニw