業務上横領をしてからは仙台から東京、東京から名古屋へと逃亡生活を送っていた


今回の話しは東京での出来事の事です



仙台での3ヶ月契約の土工の仕事を終えたが


次行く場所が無かった…



以前から東京に憧れがあたが上京出来なかった


この際だから仙台から東京に向かう事にした


資金は前借りを多くしており、結局15万位しか手元に残らなかった


1週間位はサウナや満喫に泊まり、日中はギャンブルで過ごせたが

そんなに甘くなくお金はどんどん無くなっていった



ところで皆さんは地べたで寝た事はあるだろうか?



私はこの時まで無かったが遂にやってしまった



向かうは新宿駅


手にはダンボール二つ



寝てないのと歩き疲れ金ないで疲労困憊だった



人はいっぱいいて縄張りとか心配だったけど 

横なった



…寝れない …寒い …周りがうるさい


スグに起きた


ワタシには無理だった


ダンボールで寝るのは



翌朝すぐに歌舞伎町の役所へ向かった


簡易宿泊や生保をうけるには、東京では新宿だとおもってたからピンポイントで直行した



さすがに眠らない街 不夜城

役所も一癖もふたくせもある人ばかりでした



ワタシが申請した日は《本物》の方が多かった


服はちぎれ、匂いがプンプン香ばしい人達だ…



午前中に申請したのもあり、午後にはNPO団体へ向かう事になった



まぁ仮で2週間位いたかな?6人部屋でしたが

食事と寝る場所を提供され安心したなー


 

金も欲しいから、三行広告にある場所にTELし

飯田橋の製本日払いバイトする事になる


本当はダメなんだけどね…


給料を日払いで貰ってはプレサスへ直行していた


そんなある日

ふと

携帯を見ると鳴っている

しばらくしメールが届く


交流がなく滅多に連絡がない妹からだ


そこには《父が亡くなりました》とあった



ワタシはてっきり、警察に自首する為におびき寄せてるんだろと思ってたが

思い切って妹にTELしてみた


妹はあまり冗談や嘘は言わないタイプだ


電話口の向こうで妹も泣いていた


ワタシは受け入れ無かった


親や親戚お爺さんおばあちゃん達が亡くなった経験が無く



親が亡くなる事がわからず、混乱した


泣き叫び、嘘だと


妹に確認したが本当だった

震えが止まらなかった



妹にも父から私の現状が伝わっていた


失踪した事

横領した事等



妹から今の居場所を聞かれた


その場所から実家までスグ帰るよう言われた


葬式をする為だ


口座に新幹線代がスグに振り込まれていた



私は現実を受け入る事ができず、電話を切った後


またパチンコ屋に入り


泣きながら打っていた


父との思い出を回想しながら…




続く…