10月3日14時4分配信 毎日新聞
日中戦争の和平工作に奔走した旧日本陸軍の今井武夫少将(1898~1982年)と、当時の中国国民党軍の何応欽(か・おうきん)総司令(1890~1987年)の子供たちが2日、今井少将の生地・長野市で初めて対面。両家族は涙ぐんで喜び合い、平和を希求した父たちの思い出を語り合った。
地元の歴史研究家らが「戦中も平和のために尽力した人がいたことを伝えたい」と企画して対面が実現した。
今井少将は北京に在駐していた37年7月、日中両軍が衝突した盧溝橋事件に遭遇。現地交渉で一時停戦にこぎつけた。しかし、日本政府が強硬策に転じ、泥沼の日中戦争に突入した。今井少将はその後も和平工作に努めた。
2人は終戦の際、南京で行われた日本の降伏文書調印の交渉に携わり、何総司令らに信頼された今井少将は戦犯を免れた。今井少将は戦後も1年以上、南京にとどまり、日本人の帰国に尽力。日本に留学経験もあった何総司令は、帰国者の私物の携行を許可するなど寛容だったという。
2人の子供たちは、長野市内のホテルで面会。台湾から来日した何総司令の長女麗珠さん(78)は「父は日本を兄弟のように思い、戦争を嘆いた。70年近くたって互いの家族が会えてうれしい」と語り、今井少将の三男貞夫さん(66)を見て「お父さんにそっくり」と笑顔を見せた。貞夫さんは「父は和平がならなかったことを
地元の歴史研究家らが「戦中も平和のために尽力した人がいたことを伝えたい」と企画して対面が実現した。
今井少将は北京に在駐していた37年7月、日中両軍が衝突した盧溝橋事件に遭遇。現地交渉で一時停戦にこぎつけた。しかし、日本政府が強硬策に転じ、泥沼の日中戦争に突入した。今井少将はその後も和平工作に努めた。
2人は終戦の際、南京で行われた日本の降伏文書調印の交渉に携わり、何総司令らに信頼された今井少将は戦犯を免れた。今井少将は戦後も1年以上、南京にとどまり、日本人の帰国に尽力。日本に留学経験もあった何総司令は、帰国者の私物の携行を許可するなど寛容だったという。
2人の子供たちは、長野市内のホテルで面会。台湾から来日した何総司令の長女麗珠さん(78)は「父は日本を兄弟のように思い、戦争を嘆いた。70年近くたって互いの家族が会えてうれしい」と語り、今井少将の三男貞夫さん(66)を見て「お父さんにそっくり」と笑顔を見せた。貞夫さんは「父は和平がならなかったことを
>日中両軍が衝突した盧溝橋事件に遭遇。現地交渉で一時停戦にこぎつけた。しかし、日本政府が強硬策に転じ、泥沼の日中戦争に突入した。
おい、クソ侮日新聞!
しらーっと、ええ加減な経過を書くなっ!
素人はそれで誤魔化せても、ワシらは知っとるんど!
盧溝橋事件から第二次上海事変の間に、どれだけ無辜の日本人(一般人)が無残な殺され方をしたと思うちょるんなら!?
それに対して日本の世論が激昂した事も書けい!・・・ホンマに!