干潟 1 から読む
電話は母からだった。
「door、お正月どうするの、何日に来る?」
「逆に何日に行けば都合が良い?そっちの予定は?」
「3日だとみんなが集まるかも」
「じゃその日に」
帰っておいでとは決して言われない。いつからだろう、多分結婚してから。私が帰る所はどこにもない。
小さい時に引っ越しが多かったせいか私には常に今いる所は仮の宿、という感覚がある。こころはいつもここじゃないどこかを求めて旅人のようにさすらって、まだ見ぬどこかを求めている。自分が幸せで安心して居られる場所は、心の置きどころはいったいどこにあるのだろうか。人間は結局のところ一人だ。せっかく家庭を築いても日々努力して繋ぎ合わせて行かなければ崩れてしまう。たかしとの関係もそんな延長線上にあるような気がするのだ。彼とほんとうに幸せになれるのか、二人の関係がおかしくなったらどこにも行き場所がない。単に住まいや仕事の問題だけでなく、私は心の置き場をどこかに、固定することができない。だから自分の本拠地をここにおいて、彼との暮らしをいつかの幸せと夢見ているだけの方が気分的に楽なのかも知れなかった。なんだかんだと言いながら、いつも確定した場所でこれからを生きる覚悟が出来ないのかも知れない。要するに根無し草、どこまでも大地に根を張ることが難しいのだ。
確かに恋は天から降ってくるのかもしれない。けれどたぶん幸せは大地を耕して肥料を与え世話をして実らせるものだ。天から落ちて来た恋と言う名の種を地面に埋めて家庭と言う幸せを育てる。途中で枯れてしまうかも知れない、雨が降らないかも知れない。そんな不安を抱えながら幸せを育てて行く。根無し草の自分にはいつかどこかでの幸せを夢見ることしか出来ないのではないだろうか。種のまま持ち運んで埋めてしまいたくない。固定したくない。多分私の人生で彼との恋愛が最後の出合いだろう。もう夢見ることは許されないのに長年の思考のくせからどうしても抜けだせない。どうすればそんな覚悟ができるの。どうしたらここで最後と思うことができるようになるの。
9時過ぎにたかしは帰って来た。
「door大丈夫?」
「うん、病気じゃないから。食事は?残り物で良かったら用意できるけど」
「doorは喰ったの?」
「食べたくないから」
食事の用意をしているとたかしはごそごそ間取り図を引っぱりだして私に見せた。
「この物件、思ったより奇麗だった」
2DKの物件を携帯で撮って来たらしい。画像を私に見せて
「二人で住むには少し狭いかな」といった。
参考記事: grounding / いわゆる認識の相対性
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