薄れる戦後 | 乳癌なんて、飛んでいけ~!

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戦争の事について、両親も含め高齢者は、あまり話したがらないので、よくわかりませんでした。


終戦記念日が近ずくにつれ、やっと、今こそ話さなければという方々が出てきたようです。


シベリア抑留者となった叔父。

4人の子供を連れ、満州から引き揚げてきた叔母は、姑から「シベリアに息子を残して、よくも自分達だけで引き揚げてきたもんだ」と、家の中に入れてもらえず、親子5人馬小屋で暮らしたそうです。

運良く叔父は4年後、帰国。


広島・長崎の被爆者の方々も、分けのわからない理由で、被爆者と認められず、保障どころか治療費も支給されてない方が沢山います。


軍人には、恩給があるのに、同じ戦争で軍の指示に従っていた、空襲の被害者に対しては、障害を負ったにも関わらず、保障はありません。


日本国内の方は、土地はあるでしょうが、私の両親は、満州で築きあげた財産は、すべて無くなりました。


知人の軍人だった人は終戦前に、飛行機で日本に逃げてきてました。


敗戦をいち早く察知した上部の軍人は、国民を見放し、終戦前に外地から帰国するなど、目に余るものがあります。


戦犯にあたる人達が、戦後の日本を牛耳ってきたのも、あきれるばかりです。


今こそ高齢者の方々の話に、耳を傾けておかないと、と思います。