http://www.barks.jp/news/?id=1000068440
「今夜会場を出る前にみんなにお願いがあります。湯川れい子さんと日本の有名なみなさんが集まってくれて(被災者のみなさんのために)募金活動を行ないます。ひとりひとりがちょっとずつでもいいので、ぜひご協力お願いします。ひとりひとりの力は小さいかもしれないけど、それが集まると大きな力になるので。この曲「トゥルー・カラーズ」はヒーリング・ソング(癒しの歌)。みんなで歌って元気を出しましょう。一緒に頑張りましょう」
http://www.barks.jp/news/?id=1000068445
この日も奇跡が起こった。「Time After Time」が終わった後、前のほうの一人のオーディエンスが「Cyn!」と声をかけ、何か手紙とプレゼントのようなものを。それを読んだシンディはその贈り物を広げる。それはなんと日の丸の国旗だった。シンディはおもむろに日の丸を羽織り、場内は大歓声、「ありがとう!」の声も飛び交った。
彼女は、阪神大震災の時にもチャリティーコンサートを行い、多くの義援金も被災者のために送っています。
最近では、3月4日にアルゼンチンのブエノスアイレス空港で、フライト遅延や欠航が続出し空港側に抗議が殺到する中、たまたまその場に居たシンディが空港アナウンス用マイクで「Girls Just Wanna Have Fun」を即興で歌い、乗客の怒りを収めて大喜びさせるというエピソードが起きた。
http://www.youtube.com/watch?v=4PrBnG9E4I4&feature=player_embedded
彼女が親日家であることは有名です。
1989年、日本の番組に出演した際にニューヨークの『ミホ』というジャパニーズレストランで働いていたことがあったと話した。いきさつは定職もなくブラブラしていた時にそのレストランを経営している鈴木サクエという日本人女性と出会い、「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と誘ってもらったとのこと。鈴木はシンディに限らず、シンディのバンド仲間やまだ活躍していない色んなアーティスト達を助けていた。鈴木は常にシンディに「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と激励をしていたという。この鈴木との出会いがシンディを超親日家とも言えるほどの日本贔屓にさせる切っ掛けとなった。番組では内緒で鈴木を探し出し、シンディの来日とは関係なくたまたま偶然に諸事情で日本に帰ってきていた鈴木とシンディはスタジオで再会を果たした。シンディは感激のあまり歌う前に涙ぐんでしまった。
オノ・ヨーコと親交がある。
上述のとおりデビュー前の下積み時代、ニューヨークのジャパニーズレストランでウェイトレスのアルバイトをしていた。「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」が初めて覚えた日本語である。
そのほか「お父さん・はい・少し」や「おしぼり・寿司・さしみ」など、レストランで使われる言葉や、簡単な日本語も喋れる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC
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