今日の江戸は風があり寒いぞ
暖かい昨日坊ちゃんデイトハートをしてよかった

さてさて
今日が坊ちゃんが家にいる最終日となった

昨夜は、ばばぁバテバテに疲れ果てたが…中々眠る事が出来なかった
4人の子供達を1人ずつ考えてしまった

坊ちゃんは怪我により1歳過ぎに生死をさ迷い
生還した時には、障害児として生きることになってしまった

母子通園という
幼稚園みたいな施設に週5日
親子で朝9寺から2寺まで通い、リハビリや定期的に病院に通い

養護学校に入ってからは、父母会と言うものがあり、親も生徒の1人と同じに〇〇部とかあり進路部は通所施設見学などし会報にまとめて配るとか
要請行動と言う
もっとこーしてくれよ!と各政治家事務所や役所に署名を届けたり
おちおち家の事をしたり仕事なんかする時間がない
今は、かなり変わって仕事する人が増えたようだが…

障害も様々だが、誰かが何かをしてくれないと窓の外を眺める事も喉が乾いたから水を飲む事もできない

ほとんどの障害児の親は子供と二人三脚で生活している

しかし
病気じゃなくても、親は子供より先に死ぬ

いずれは障害児は施設で暮らさないとならない
障害の程度はあるだろう
施設じゃなくてもグループホームやお仕事ができるなら車椅子が入れるアパートで1人暮らしなど

その道筋をきちんとすることが障害児の親の役目だとワシは思う

きょうだいがいるから、そんな事考えたくないから…
確かに、いつまでも小さな子供みたいだから側に置いておきたい気持ちはわかる

しかし、介護もキツくなる
親は段々身体がキツくなるのだ…歳をとり年寄りになるのだ

もし親が死んでしまったら、障害児はどうなるんだろ?
きょうだいだって自分の家庭があるかもしれないし、自分の仕事や生活があるかもしれない

何も準備ができてなきゃ
全て、きょうだいに負担がかかる
役所は、自分からアクションを起こさないと何もしてくれないのだ

まして
親が死んだ後、施設入所することになったら
全国の施設から空きがある所を探して、いい、悪い別にして置いてこられる

ワシは、自分の目で施設を見て施設の考えを聞いて、楽しめるか
坊ちゃんに合うかを見極めた
ここなら大丈夫だろうと長野を決めた

抗がん剤副作用の熱を解熱剤で下げ、自分で往復何百キロを運転して探した
きょうだいを信用していないワケでも無いが
障害児を育てる親として子供の道筋を立てたのだ

坊ちゃんは、明日から新しい環境で自立する

けど
坊ちゃんには理解する能力はない
多分、いつものショートステイで、たまたま新しい所なんだろうな
くらいの理解だろう…

日が経つにつれ迎えが来ない…どうして?
と思ってくるだろう
自分で電話もかけられず…見たことも無い職員さんがたくさんいて
初めて会う仲間がいる

優しくしてもらえるけど…不安はつのっていくはずだ

普通の人でも新しい職場になれるのにストレスは溜まるのに…
そんな事を昨夜はずっと考えていた

ワシは乳がん再発転移の末期ガン患者である
肺水が溜まり癒着術をしたが、前のようには長い時間歩くと息が切れ、抗がん剤も半年せずに体制ができ、すでにかなりの抗がん剤を止めては新しいものと治療している
年から月で体力が落ち、出来てたことができなくなっている
いつまで車ぶっ飛ばし、あっちこっちいけるかもわからない

長野も群馬の県境だから、往復400キロちょいだが、死ぬ前には多分行けなくなってしまうだろう

少しでも車ぶっ飛ばせる内に入所ができた事は坊ちゃんにもワシにも幸せな事ではある

子供の自立
子離れ親離れ…ちょいと普通とは感覚が違う障害児を育てる親

いつまで生きられるだろう
いつまで会いに行けるだろう

けど…
障害児を育てる親として、最後の仕事が完璧にできた事をワシは誇りに思う
子供を残して死ぬ親とは、世間からは計り知れない思いと不安がある事を少し知って欲しい

ブログを書く若くしてガンで治療するママ達、パパ達の気持ち
ワシは、痛いほどわかる


怪我をする数日前の坊ちゃんだ
両手が使えて自分の脚で立っている…

障害児になっていなければ…どんな大人に育っていたんだろなぁ