身近な人に死に逢う、


命の儚さに愕然とする。


(*´・ω・)(・ω・`*)



コスモス



自分の身近な人の大切な仲間が亡くなった。

それを聞いたとき、幾つものシーンが瞬時に甦った。

ひとつは恩師の死。

ひとつは曾祖母の死。

ひとつは兄の死。


兄の死に記憶はほとんどなく、兄の分まで生きようと想った。

曾祖母の死は実感がなく、大往生した立派な人生に賛美の気持ちが大きかった。

恩師の死は一番最初の記憶。突然、あっけなく、降りかかる。それが死だと知った。


「なんであの人が・・・」などとそれぞれ当時には思うこともできず、ただ悲しみのまま。

溢れるままに涙を流したり、心が消えたように涙が出なかったり。


身近な人の死に遭遇して、言えることなど僕には何もない。

「悲しいね」と言葉で表してしまうと、そんなものかともっと悲しくなる。

「だから笑って歩こうね」と言われると、彼/彼女の死は何だったのかと激昂する。

「がんばれ」なんて言えるわけもなく、「泣かないで」なんて言えるわけもない。


ただ流し続ける、溢れるままに泣き続ける。言葉は、いらない。

僕は、それしかできないんだなと、痛切に自分の不甲斐なさを感じた。


彼/彼女らのために何ができるだろうと思いを巡らせ、出た答えは、

「忘れないこと」と「想い出すこと」、そして「祝福すること」だけだった。


”残されたものにできるのは後片付けだけ。

人は忘れたいのでも忘れないのでもなく、忘れていくもんだ。生きていくために。”


無力な自分に突き刺さる。…だが。


彼らを忘れない。忘れたとしても、必ず想い出す。

失くすことの痛みを知り、前を向いて生きる。

想い続けることで、彼女らは僕らの心に生きるのだと。


そう信じて、僕は前を見る。


彼らと共に生きる。


一緒に見た空を忘れても、一緒にいたことは忘れない。



共に生きよう。