体感震度は4くらいだと思ったが、揺れてる時間の長さが不気味だった。
激しく揺れた後ややゆっくりになり、また激しく揺れた。
テレビの画面を見ると東日本の太平洋沿岸がすべて赤く縁取られていた。
2度目の揺れもとても長く感じた。
2日前の3月9日、やはり三陸沖を震源とする地震があり、津波注意報が出された。
到達した津波は大船渡で60cm、仙台港で30cmだった。
2日前のその事実が人々の危機感を妨げたかもしれない。
大津波警報が出ても「港が冠水するかしないか」程度のイメージしかなかった。
しかし仙台空港が飲み込まれ、津波は仙台東部道路にまで達している。
多少は現地の地理感覚があったので戦慄を覚えた。
犠牲者の大半は津波によるもので、建物の倒壊などで亡くなった人はごく僅かだ。
多くは数十分後の津波で亡くなっているのだ。
あの日、あの時点では生存していたのだと思うと今でもたまらなくなる。
テレビでは復興の遅さが論じられているが、
近親者を亡くされた人の心は一生元には戻らない。
せめて、そういう人達の心の痛みを想っていたい。