第三章


私は、テレビを見ながら、受験勉強のつかの間の休憩をしていた。

すると姉が言った。



「今日雄太が来るのよ。お父さんとお母さん札幌の佐伯さんの家に遊びにいってるから、


 家に泊まるからね。勉強の邪魔はしないから、安心して。」



できるわけないじゃない、と思いながら私は今夜のあてを考えた。


村岡雄太は姉の恋人だ。同じ大学の同級生で、姉の一目ぼれだった。


今では、呆れるほどのべたつきようだけど、以前は彼にその気がなかったらしく、


姉にはとてもつらく当たっていた。


それがなぜ今こうなったのか、私はいささか疑問に思っていたのだ。


しかし姉は、異常な程に彼を求めていた。



私が彼と出会ったのは、まだ肌寒さが残る春の事だ。


私は、大学説明会に姉の通うT大へ赴いた。


しかし当日、あろう事か寝坊をしてしまい、約束していた友達と一緒に行けず


一人で大学へ向かうバスに乗っていた。


窓から見える景色は、今にも落っこちてきそうな、やはり鉛色の空だった。


しかしそれは、冬のような絶望的な、どうしようもなく寂しい感じではなく、


命の神秘さを称えるようなもの、全ての源であるかのような世界の始まりがあった。


私はその時、のん気に窓の外を見ながら、これから始まる明るい季節、花々が息づき、


沢山の生命が誕生する素敵な日本の四季を思っていた。



次で降りなければと、私は財布を探した。その時、私は全身から血の気が引いて


ゆくのを肌で感じる事ができた。



「財布がない…」



どうしようもない。


あまりの情けなさに涙が出そうだった。


そんな私に気づいたのか、親切な隣の乗客が声をかけてくれた。



「どうしたんですか?具合でも悪い?」



「いえ、あの・・・財布忘れてきちゃったんです。」



私は、恥ずかしさを押さえて正直に事情を説明した。


その親切な隣の乗客がお金を貸してくれ、しかも大学まで案内してくれたのだ。


世の中も捨てたものじゃないなぁと感謝しながら私は、説明会が行われている講堂へ急いだ。


私が驚いたのが、その日のランチの時だ。


せっかくだからと、姉と一緒に大学のカフェで食事をする事になったのだ。


制服姿の私が言われた場所で遅れてくる姉を心もとない気持ちで待っていた。


やはり空は鉛色。


私は退屈な理事長の話や教授の態度に何の感慨も覚えなかった。


そして無気力極まりなく、どうしよもなく不機嫌だった。



「春!遅れてごめんね!」



姉の声がエントランスに大きく響いた。


振り向くとそこにははちきれんばかりの姉の笑顔とあの“親切な隣の乗客”が立っていた。


私は驚くのを忘れ、呆気に取られてしまった。


なんて世界は狭いのか。


その時私はこの世で一番偉い王様になった気分だった。




                             1999.12 作