「また逢いたい」の言葉は何を意味するのだろう。

昨夜呼びつけたセフレから連絡があり、珍しいこともあるもんだ、と思いながらまた逢った。

セフレの話を要約すると、昨日は私の要求に応えてただ抱いただけで、自分が私にしてあげたいマッサージが出来てなかったから今日はその番だ、ということだった。

自分の中のルーティンを守りたいタイプなのだろうかと冷めた思いで、だけど「ありがとう」と服を脱いでセフレにマッサージをしてもらった。

いつも不思議だったのだが、「してあげたい」とわざわざ言えるこの技術は一体どこで習得してきたのだろう。

だけど所詮セフレだしな、と思い聞きはしなかったが、眠るには至らない眠たさの中で私は今の環境に幸せを感じた。

哀しいほどに愛してくれる彼と、長々とマッサージをしてくれるセフレ。とりあえず喫緊には潰れそうにない勤め先とそれなりの家族。これ以上望んだらバチが当たりそうだ。

そんなことを思ってウトウトしていると、いつのまにかセフレの指はマッサージのそれではなく、私達が本来望むモノへと変貌を遂げていた。

今日も思考が定まらなくなった私をイかせ、体位やプレイの指示を出し、また私をイかせる。セフレは朦朧とした私をイかせるのが好きなようだ。セックスの主導権を完全に握って私に微塵も渡してくれる気はないらしい。

私の「都合の良い男」は、きっとセックスの中では従順な女が好きなのだろう。だったらそう見えるようにしてあげる。セフレのマッサージとセックスが、私を虜にしている限り。