私は、自作の絵本の中で
人生(肉体を得て地球で生きること)は
地球という人気遊園地を体験すること
 

よりスリリングな遊具に乗りたいというのは
山あり谷ありのドラマチックな人生を体験したいということだ
と描きました。

 

私が昨年のブログでおすすめした本で
雲黒斎さんの『あの世に聞いたこの世の仕組み』では
人生をゲームのようなものと言っていました。

 

仮想世界のゲームにのめり込んでしまって
それが現実だと勘違いしている状態が
今の地球の人間の状態だ… 

という話でした。

 

 

では、別の表現をしてみます。

『人生は、映画に役者として出演すること同じ』

 

生まれるというのは、この世に肉体を得ること。
(映画の出演権を得て人生という名の映画がスタートすること)

 

死ぬということは、この世での肉体を失うこと。
(人生という名の映画がエンディングを迎えて終了すること)

 

〇〇さんの出演する映画のタイトルは、『〇〇の人生』です。
全ての人が、自分の映画の主人公であり
他の人の映画にとっては、助演者だったりエキストラだったりします。

映画のストーリーなので、苦しく大変な人生だったとしても
努力をおしまず多くの人を幸せにした人生だったとしても
あなたに対して プロデューサーは
「大変な人生をよく頑張りましたね」とか
「立派な人生でしたね」とは言いません。

 

「この映画出演は良い経験でしたか?」あなたが良い役者だったら
「また一緒に映画を作りませんか?」
と言うでしょう。

 

つまり、神様が死後に問うのは
「お前は、人生をどれだけ楽しんだか?

再転生したいか?」なのです。



「誰もが映画の主人公」というのは
とてもロマンチックな話をしているようですが
スピリチュアル界では、これが世界の真実だと言っています
※スピ世界にもいろいろな見解があり、全てではありません。

 

ドラマだから、映画でどんなに残酷なことが起きても
(全能神・創造主・ワンネス・宇宙のシステム…)
は介入しないのです。

 

死んで、肉体を失い魂だけの存在になったら
人生が映画ドラマだったことに気がつきます。

 

全く同じ人生は存在しません。
誰もが、その映画出演の体験を
唯一無二の得難い体験だった知るのです。

 

映画のストーリー・人生の全てが、この世界に必要だったこと。
自分がそれを役者として生きて、まっとうすることができたことは
どんな配役であったとしても、尊く素晴らしいことだったと知るのです。

 

「あぁ、物語はドラマチックで完璧だった。
 あの苦しみも痛みも…全てが何もかもが
 物語に必要で尊いものだった。

  
何物にも代えがたい体験だった」
 

 ・・・と、そう思うのです。

 

それは、この上なく幸せなことだと
私は思います。

 

この映画は、一人で作ることは出来ません。
本当に多くの人や物に支えられて出来ているということを
実感する時


ただただ感謝の気持ちが沸き上がってきます。

 

 

苦しみが、物語に必要なものだったと知って
その苦しみは、自分が背負う必要のないもの

だと気づきます。

背負っていた 苦しみ・責任感・後悔 が多いほど
苦しみが昇華した解放感は、この上無い大きな喜びになります。

 

 

そして、あふれる涙が止まらないのです。



それが、神の愛であり、宇宙のシステムなのだと
私は信じます。



・・・信じることは「祈り」です。

 

 



PS. バックミュージックは
さだまさし さんの『主人公』
さだファン人気1位 殿堂入りの曲です。

 

 ♪♪~ ~
「あるいは」「もしも」だなんて あなたは嫌ったけど
 時を遡るチケットがあれば 欲しくなる時がある
 あそこの分かれ道で 選びなおせるならって…
 もちろん 今の私を悲しむつもりはない
 確かに自分で選んだ以上 精一杯生きる
 そうでなきゃ あなたに とてもとても 恥ずかしいから

 あなたは教えてくれた 小さな物語でも
 自分の人生の中では だれもがみな主人公


 時折思い出の中で あなたは支えてください
 私の人生の中では 私が主人公だと ~♪

 

だれもが、主人公であることを本当は知っているけれど
確証が無くて、そう言って支えて欲しいのだと思います。

 

あえて言おう! 真実であると!
「全人類の だれもが主人公」であることは
何人にも否定できないと

私は断言する!!

 

・・・調子に乗って
ギレン・ザビ様(ガンダムの登場人物)の
演説風になってしまいました♪
ゴメンナサイ (>ω<)

 

 

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