全能神とは、どういう存在なのでしょうか?


宇宙そのものであり、宇宙の法則でもあり
全てをつかさどる存在だと考えてみます。

そのようなもの(全能神)が
人間を救うとか人を幸せにするという意思を持つのでしょうか?
全能神は、宇宙のシステムであり、大きな愛であり
個別の事案で人を救ったりしないというのが、私のイメージです。

「個別の事案で人を救わない」というのは言い方を変えると
「善悪を判断しない」ということです。
何が悪いことで、何が良いことかを、決めない。

 

一見悪いことでも、見方を変えれば良いことともいえる。
悪いことが起こっても、それがあったから良いことが起こった
ということもあるなど。

 

例えば、まず最悪の人生をイメージします。
次に、それよりさらに最低最悪の人生も考えればイメージできます。
最悪の人生は、最低最悪の人生よりは良かったと言えます。


結論的には、最悪とは主観的なもので、客観的に一律の基準で測れません。

 


私が絵本で描いた世界観では
世界は神様も含めて一つにつながったものであり
神は愛そのものであり
人の命(肉体を持った魂)はこの世界(地球)を楽しむためのものだとしています。

 

この現在の地球が、あまりに多くの苦しみに満ちているのは
人々が世界とのつながりを、元は一つであることを忘れてしまったためだと描いています。

 

しかし、人々がこのつながりを忘れて苦しむことも
全能である神からすれば、予定外の事では無く折り込み済みのもののはずです。

 

その苦しみも、神が与えたものだとしたら
そして神が愛の存在だとしたら・・・


『人はやがて
(死んだ後かも知れないけれど)
 その苦しみの多い人生を
  愛せることを知っている』


・・・のだと思います。

 

私は、人生を楽しむこと、人生を愛することが
命をあたえられてこの地球に生まれた
人間の使命のようなむものだろうと思っています。

 

全能神は人間に対して
苦しみ多い人生だった人に対しても
楽な人生だった人に対しても、同じく単純に
『お前は人生をどれだけ楽しむことが出来たか?』
と問うのだろうと私は思っています。

 

 

楽な人生の人が、苦しみ多い人生の人より
自身の人生を愛せるとは限りません。

 

世界は、耐え難い苦しみに満ちています。
その苦しみを、私は想像ができても、実感して知ることは決してできません。
だから、どんな苦しみの中でも人生を愛せるはずとは言えません。
憎しみや苦しみをもったまま、人生を終えることも
ひとつの有り様であり、間違ったことではありません。

 

ただ、私は祈るのです。
苦しみの中にるい人が、せめて最後の時は
苦しさから解放ざれて、自身の人生を許して愛して
心穏やかに逝くことができますようにと。※

 


もしかしたら、私がそう祈るまでも無いのかもしれません。


全ての魂が、地球での人生を終えた後には

どんな人生であっても
「自分の人生は素晴らしかった
  得難い体験だった」
と思うことができる。


… それが、宇宙のシステム
  神の愛なのだと私は信じます。

 信じることは、『祈り』なので。

 


実は、この原稿を当初書いた時、下記の文を冒頭に入れました。

「もし、神があらゆる人間の感情を知りたい・
体験したい存在だとすれば
幸せや愛だけでは無く、耐え難い苦しみや憎しみもまた
神はあえて人間に与えるということになります」

 

・・・これを書いた直後
机が突然『バシィッ!!』と大きな音を立てました。
机を定規で強くたたいたような音です。

 

私はこの時、不思議とびっくりもせず
恐いとも何故とも思いませんでした。


「あっ…これ、ダメなんだ。わかりました神様。とにかく違うってことですね。」

 

こんな体験は初めでですが
これは神様に繋がっているってことなのでしょうか?

・・・繋がっているとかじゃなくて
 単に『怒られた』ってことですね。
(=_=)

 


※魔法少女マンガ界の最高傑作「まどか☆マギカ」
 のラストシーンのイメージのままです。

 『目覚ましテレビ』の三宅アナウンサーも
 朝番で傑作だって言ってましたよ♪

 もう、本当にこのアニメ好き。
 少女がみんな、けなげで愛おしいです。
 アニメ見た人みんながそう思ったはず。

   

 

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