主人との時間、主人との会話
どちらも減ってきているように思う。
1日にどれくらい話したか
ストップウォッチでも使ってみたら
それこそ驚くくらい少ないかもしれない。
なんだかんだ言いながら
相変わらず家族の時間よりもひとりでPC。
私がリビングにいれば
寝室に行って携帯でインターネット。
私が寝室へ行けば
自分はリビングへ。
同じ空間にいる事さえ減ってしまったんだね。
私は
主人を見つめる事さえ躊躇するようになった。
私の視線は「疑い」の視線となってしまっているかもしれないから。
そうやってどんどん距離が出来ていくような気がする。
それでも
どうにか修復できないか考えてみる。
だけど修復なんて
お互いが思わなければできないだろうし
こんな状況になっても
それでも毎日
Taggedにログインしている主人。
知らん顔しておこうと思っても
知らん顔イコール主人に対して知らん顔
の態度になってしまい
本当にため息。
新生児の出てるコマーシャルを見て
子供に「ほら、赤ちゃんだよ」
なんて話しかける主人。
私がどんな気持ちで新生児を見ているか
そんな事ちっともわからないんだろう。
どちらも減ってきているように思う。
1日にどれくらい話したか
ストップウォッチでも使ってみたら
それこそ驚くくらい少ないかもしれない。
なんだかんだ言いながら
相変わらず家族の時間よりもひとりでPC。
私がリビングにいれば
寝室に行って携帯でインターネット。
私が寝室へ行けば
自分はリビングへ。
同じ空間にいる事さえ減ってしまったんだね。
私は
主人を見つめる事さえ躊躇するようになった。
私の視線は「疑い」の視線となってしまっているかもしれないから。
そうやってどんどん距離が出来ていくような気がする。
それでも
どうにか修復できないか考えてみる。
だけど修復なんて
お互いが思わなければできないだろうし
こんな状況になっても
それでも毎日
Taggedにログインしている主人。
知らん顔しておこうと思っても
知らん顔イコール主人に対して知らん顔
の態度になってしまい
本当にため息。
新生児の出てるコマーシャルを見て
子供に「ほら、赤ちゃんだよ」
なんて話しかける主人。
私がどんな気持ちで新生児を見ているか
そんな事ちっともわからないんだろう。