花水木の葉(2)-奇妙な形で | 京都と花と文学と

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京都洛北賀茂川周辺で撮影した四季折々の花の写真を,それぞれ花にまつわる文学や音楽、映画などの話を交えながら紹介します。


奇妙な形をした花水木の葉(1)。

インドネシアの剪紙芝居に出てくる妖怪の顔のようですね。
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2011年11月17日午後4時半頃、京都国際会館にて/リコーCX-2で撮影



11月も末を迎え、木の葉が色づき、萎れ、枯れ落ちる時節を迎えました。



楓は言うまでもないとして、花水木や柿、桜、公孫樹、錦木・・・・・・。どれも、独特の色合いと、姿、形で目を楽しませてくれます。



楓の紅葉はもう十年近く、毎年この時期、あまり人の訪れることのない小さな寺を巡って、撮り続けていますが、花水木や柿の葉などを意識的に撮りだしたのは、去年の秋からです。



西賀茂の神光院は、そんなに大きな寺ではありませんが、楓の種類が多く、11月の半ばあたりから、12月の末近くまで、楓の種類や、日当たりの加減で順番に色づいて行くので、ほぼ一カ月半くらい、いつ行っても色づいた葉を撮影することができます。



それで、去年の12月のある日の夕方、夕日を背景に紅葉を撮影しておこうと思って、西日が沈みかけるころ自転車で行って、200枚くらい撮影してきました。どんな写真が撮れているだろうか・・・・・家の書斎のデスクの上のパソコンの画面に再生して、いい写真を選んでいる内に、意識しないで撮った萎れたり、枯れたりして葉先が縮んだまま枝に残っている葉っぱの写真が、夕方の暗い空を背景に、シルエットになって写っていて、それが踊っていたり、人間の百面相の顔に似ていたり、動物や怪獣の顔や姿態に似ていたり、なかには宇宙人や未確認飛行物体をイメージさせたり・・・・・・と大変面白い。



これはと思って、一週間ほど集中的に撮りだめして、友人のカメラマンの後藤さん(「きちがいカメラ」という大変ユニークな写真のブログをもう6、7年続けているので、ぜひ見てみてください)に見せたところ、「これは面白い! こんな写真は見たことがない!」ということで、以来、色々な木の葉のシルエット写真を撮るようになりました。なかでも、表情があって、面白いのは、楓と花水木ですね。



撮影の時期は、12月の半ばくらい、大方の葉が散り落ちて、一枝に5枚とか6枚残っていて、空が透けて見える頃、夕方の空に明るさが残っている時分に、空からの光を逆光にして撮ると、葉が黒くシルエットになって写ります。露出は、-1から-2くらいまで落とすといいでしょう。パソコンのモニターに再生して色が残っていたら、好みの色具合に修正すること、それとトリミングして不必要な部分をカットすると、画面が見違えるように生き生きしてきます。


というわけで、今回は、楓の枯れた葉のシルエット写真には少し早いので、一週間ほど前、岩倉の国際会館の脇を走る道路に街路樹として植えられている花水木の葉のシルエット写真を紹介します。夕方より少しまえに撮影し、空に明るさが残っていたため、色合いが微かに残っていますが、これはこれで味わいがあると思います。




奇妙な形をした花水木の葉(2)
京都と花と文学と

2011年11月17日午後4時半頃、京都国際会館にて/リコーCX-2で撮影




木の葉を撮影してきて教えられたことは、色彩が消えたことで、線とか形とかの面白さが出てくる。つまり、何かを捨てることで、別の美の価値が生まれてくるということです。



たとえば、小津安次郎の戦後の映画を、『彼岸花』から始まり『秋刀魚の味』に至るまでのカラー映画と、それ以前の『晩春』『麦秋』『東京物語』などのモノクロ映画と見比べて見ると、映画芸術的表現の高さでは、明らかにモノクロ映画の方がはるかに高いレベルを行っています。つまり、小津映画は、色彩を獲得したことの代償として芸術的表現力を失ったことになります。



何かを獲得すると何かを失う・・・・・これは小津の映画だけでなく、すべて芸術文化から私たちの生活文化まで当てはまる哲理なのです。にもかかわらず、私たちの生活を支えている現代の文明と文化は、便利さと快適さを「獲得」するためにここまで作り上げられてきた。ところが、それがいかにもろく、壊れやすいものであるかは、今回の東日本大地震と福島原発事故が教えてくれた最大の教訓であったわけです。



しかし、「何かを得ることが何かを失うことになる」というのが哲理であると同時に、「何かを失うことは何かを得ることである」というのも、もう一つの哲理でもあります。一般的に言って、物質的に何かを失う時、人は精神的な何かを獲得するものです。今回の自然大震災と人為的大災害で、私たちが失ったものは余りに大きい。しかし、そのことは逆に、戦後一貫して無視、軽視されてきた人間の精神性、精神的世界の大きさ、大切さを見直し、獲得し直す絶好の契機を与えてくれていることにもなります。



そうなのです。「何かを失うことは、何かを得ることになる」のです。花や木の葉の写真を撮っていると、こんな哲学的なことまで考えさせられ、心が豊かになった感じがします。





奇妙な形をした花水木の葉(3)
京都と花と文学と 2011年11月17日午後4時半頃、京都国際会館にて/リコーCX-2で撮影




奇妙な形をした花水木の葉(4)
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2011年11月17日午後4時半頃、京都国際会館にて/リコーCX-2で撮影





午後の3時頃撮影した画像。

ダリの絵を思わせるような奇妙にねじれた姿態と生々しい原色が魅力的ですね。
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2011年11月17日午後3時頃、京都国際会館にて/リコーCX-2で撮影