今年は4月に入ってから、一日も欠かさず、賀茂川にかかる西賀茂橋から
東岸の河堤に連なる桜並木を定点撮影してきました。それで、初めて発見したのは、
桜は満開の頂点を迎えると、重力から解き放たれて、フワリと空中に浮き上がり、
真っ白な光を樹木全体から放つということです。
満開を迎えるまでは、つぼみのピンクの色合いが表層に浮かび出ているため、
全体的な印象はやや重い感じがして、重力の磁場に囚われている。
それが、満開になると、白い花弁が一斉にはじけるように開くので、
全体が真っ白で、軽快な印象を与え、それで重力から離れて、
空中に浮かびあがった感じがするのでしょう。
ところが、その状態は一日か二日しか続きません。風が吹いたり、
雨が降ったりすると、瞬く間に白い花弁は散り、萼と若葉の赤紫の色合いが浮き出てきて、
重たい印象を与えます。つまり、重力に囚われたということになります。
梶井基次郎は『桜の木の下には」で、満開の桜がまき散らすオーラを「一種神秘な雰囲気」とし、
「回転する独楽にたとえ、その花の下には「屍体が埋まっている」と書きました。
ですが、私には、満開になって地上から浮き上がった桜の花は、地球の重力、
いえ死者たちの呪縛からも解き放たれて、いかにも軽やかにつかの間の自由を
謳歌しているように見えます。
梶井基次郎は、日本近代文学史上不朽の傑作短編小説を書いた時、
胸を病んでいました。つまり、彼は、地球の重力だけでなく、
自らの身体を内側から侵蝕する肺結核という重力にもがんじがらめに囚われていた。
それゆえに梶井は、重力から解放され、空中に浮かびあがった満開の桜は見ようとしなかった。
いや、見るのが怖かった。だが、見ようとしなかったことによって、梶井のまなざしは、
花の下に埋められた「屍体』を透視することができたのではないか。
名作「桜の花の下には」が書かれたゆえんが、ここにあると思うのですが。
さて、ここでは、4月の5日ごろの8分先から真っ白に咲きそろい、
空中に浮かびあがった感じの満開の桜、そして満開を過ぎて、花が散りはじめ、
再び重力の支配下に置かれるようになるまで、花が演じて見せてくれた解放と拘禁、
飛翔と失墜のドラマを紹介したく思います。
京都の今年の桜は、昨夜来の雨で大方散ってしまいました。来年のこの時期、
再び花が空中に浮かびあがる春寒をカメラに収めたいと思っています。
賀茂川河堤の桜(1)
賀茂川河堤の桜(2)
賀茂川河堤の桜(3)
賀茂川河堤の桜(4)
4月11日、花が散り始め、全体が淡くピンクがかり、
賀茂川河堤の桜(4)




