京都と花と文学と

京都と花と文学と

京都洛北賀茂川周辺で撮影した四季折々の花の写真を,それぞれ花にまつわる文学や音楽、映画などの話を交えながら紹介します。

Amebaでブログを始めよう!

 

 

**********************************************

 

 

     花は我が世界にして

 

              は我が命なり              

          

           正岡子規「写生帖」より

 

**********************************************

 

前回の更新から2か月半ほど間が空いてしまいました。

この間、季節の花はモクレン、桜、花水木、ボケ、水仙、牡丹、芍薬、菖蒲と

続き、今はバラの花が盛りを迎えていてます。

 

というわけで、府立植物園のバラ園の花を紹介したいのですが、

桜の花がアップされてないのは、やはり寂しいので、いささか時節外れになりますが、

八瀬の里山に咲く山桜の画像を見ていただきます。

 

毎年、春4月の初め、桜が咲きそろう頃、東京から友人や知人が花見にやってくるので、

桜の名所として知られる市内の寺や神社を案内して回るのですが、皆さん、一様に

「ああ綺麗!」と賛嘆の声を漏らすのが、車で八瀬まで出向き、里山に咲く山桜を

見せてあげた時です。

 

満開に咲く桜の花の魅力という点では、京都の桜は、東京の上野公園や

小金井公園、荒川の土手などに咲く桜の見事さにはかなわないようです。

ですが、京都の里山のふもとに咲く山桜の美しさは、東京にはないものです。

 

 今回撮影に使用したカメラはシグマのDP2 Merrillというモデルで、

今年の3月の初めに購入したこのカメラで桜を撮影するのは初めてのことですが、

撮った画像をモニターに大きく再生して、編集を加え出来上がった画像を見て驚いたのは、

細部の描写の精密さもさることながら、空間表現が実に広くて、奥行きが深く、

空気の感触まで伝わってきて、さながら山水画のような幽玄の趣というか、

気韻のようなものまでが表現されていることでした。

 

ちなみに、同じような構図の画像で、色調が違っているのは、上空を流れる風の具合で、

太陽の光が変化するためです。

 

21世紀の山水画ということで、画像から伝わってくる自然の気韻というようなものを

感じ取っていただければ幸いです

 

 

**********************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

**********************************************

 

 

     花は我が世界にして

 

              は我が命なり              

 

              正岡子規「写生帖」より
 

 

**********************************************

 

最初にお断りを一つ。ブログのタイトルを、元の「京都と花と文学と」に戻すことにしました。

 

今年の一月から、もう少し画像の更新を頻繁にしようと、「一日一花―京都花暦」とブログのタイトルを変えたのですが、

3か月ほどたって、どうも自分の性分として、あわただしく追われるようにして、画像を変えるのは合ってない気がしてきており、

事実、本業の方で締め切りに追われたりすると、2週間、3週間と更新を怠ってしまうので、これまで通り「京都と花と文学」の

タイトルに戻し、ゆっくりと落ちついて、四季花折々、花々の移ろいゆく姿を愛でていくことにしたいと思ったからです。花の方も、

その方が喜んでくれると思いますので……。

 

さて、お彼岸を前にして、今年の一月に亡くなった従姉の49日の法要が、北九州豊前市の従妹の家で行われるので、

ワイフ共々、4日ほど従姉の家に滞在し、法要を済ませてきました。

 

法要と納骨が済んで、時間に余裕ができたので、二日ほどかけて、豊前市西方の求菩提山から流れ出て、豊前市を貫流し周防灘に流れ込む岩岳川の崖の上(時代劇の名俳優、大河内伝次郎がこの近くで生まれています)や、隣町の築上町椎田の綱敷天満宮境内に咲く梅の花、さらには山あいの斜面に広がる菜の花畑、河津さくら、隣町の築上町内の蔵内家(炭鉱開発で財を成した蔵内次郎作が、明治36年に建てた大邸宅)の旧邸で展示されているひな人形などを撮影してきました。

 

どれもとても素敵な画像が撮れたので、順次、紹介していきたく、最初は、綱敷天満宮の梅花で、早春の真っ青な空を背景に、光る宝石のように咲く梅の花を、下から見上げて撮ったものです。

 

話は変わりますが、堀口大学の詩に「小学生」という詩があります。

 

    先生

    植物学は嘘ですね

    樹木もやはり笑うのです

    梅が一輪さきました

 

この詩を知ったとき、私は、「ああ、堀口大学もまた、花が笑ったり、喜んだり、悲しんだりすることを知っていたのだな」と思い、とても嬉しく、救われたような気持になりました。なぜなら、私自身もまた、花の写真を撮ることを通して、花が笑い、喜び、悲しむことを知っていたからです。

 

そうなのです、花たちは、私がカメラを向けると喜んでくれるのです。特に、普段あまり人が目を向けようとしない花とか、日陰になっているところに咲く花は喜んでくれます。そして、「私を、美しく撮って!」とポーズをとり、カメラのレンズのなかで精いっぱい、美しく変身してくれるのです。

 

ところで、堀口大学は、昭和9年「婦人公論」の2月号に寄せたエッセイ「梅の花と近代性」のなかで、梅の花の「近代性」について以下のように記しています。

 

   やがてまた、梅の花咲く三月が来る。梅は、昔から、歌にも読まれ、詩に歌われ、吾等日本人の生活に、極めて密接な位置にあった

   花の一つだ。その香気、その姿、いづれも吾等日本人に」愛されるに十分なものがある。その上、衆木に先だって花を開く。吾等の祖

   先の優越感が、この花に彼等のサンボオルを見たこともさこそとうなづかれる。

  

   梅見酒、梅法師、梅花笠、梅暦、梅壺、梅染、梅がさね、梅が香、梅が枝、梅見等々々の言葉は、どれも千年このかた日本人が、こ

   の花に捧げた愛情の形見であらう。

 

堀口大学は、このように、梅の花が、日本人の千年来の美意識のなかで、欠かすことのできない伝統的、象徴的位置を占めていることについて、書き起こしたうえで、さて、現実に目の前に咲く梅の花をしみじみと見入ったものの、これらの梅に関わる伝統的言葉がどれも、自分のために歌ってくれないことに気付いたという。つまり、こうした言葉は、「あまりに古典的であり」、あまりに堀口自身から遠いところにある「過去の美であり、昔の美であ」ることで、堀口が眺めている眼前の梅の花から直接受ける感じとは遠いというのです。

 

だがしかし、目の前に咲く梅の花は、「溌溂とした生気があり、永遠の若々しさがあって、強く」、堀口の心に呼び掛けてくるのはなぜなのか。堀口大学は、そう考えてきて、「古いのは梅の花ではなく、その美を表したこれらの言葉に相違ない」と気づく。そして、堀口はそうした認識に立って、梅の花の「近代性」について、以下のように記す。

 

   近代性。それは必ずしも、ラヂオや、ネオンサインのやうな、新しいものに許(バカ)りあるのではなくて、古くからあるものに向けられ

     る。吾等の視覚のうちにもある。つまり近代性は、吾等の感覚の中にある。近代人が、正しく確実にものを見る時、そこには近代性以

   外の何物もあり得ない筈だ。近代性、それは過去の人々が感じなかつた美を発見することではないだろらうか?(下線、引用者)

 

堀口大学は、このように梅の美をめぐって思念の道をたどり来たったうえで、眼前に匂う梅の花から受ける「私の美」を、詩に表現しようとして、上に掲げた「小学生」の詩を得たというのです。

 

「近代性、それは過去の人々が感じなかつた美を発見することではないだろらうか?」……堀口大学が生きた時代は「近代」であったが、私たち生きる時代は「現代」、それも21世紀の「現代」である。であればこそ、私は、21世紀に咲く梅の花の「美」を、21世紀を生きる人間の「目」で受け止め、写真という優れて「現代」的なメディアを通して表現していることになるわけです。

 

そうなのです、私は、21世紀の花鳥風月、山川草木を写し撮っているのかもしれません。21世紀の最先端の科学技術を駆使して作り上げられたカメラという、人工の「目」を通して……。

 

**********************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

使用カメラ:シグマDP2x  +  シグマDP3 Quattro

 

**********************************************

 

 

     花は我が世界にして

 

              は我が命なり              

 

              正岡子規「写生帖」より
 

 

**********************************************

 

集英社のウェブ・マガジンで連載中の『慶應義塾大学部文学科教授・永井荷風』の第11章の原稿をようやく書き上げて、残すは最終章のみ。一昨年の秋、11月の末に、慶應大学で、「永井荷風と慶應モダニズム」というテーマで講演を行って以来、一年と3か月あまり、この連載の原稿書きに没頭してきたわけですが、ようやく11章まで書き上げ、現在は、最終章「永井荷風が慶應義塾と『三田文学」に残したもの」を書き進めているところです。

11章では、、永井荷風の教え子で、三田山上のヴィッカーズ・ホールという教室で荷風の教えを受け、「三田文学」に小説や詩が掲載されたことで、小説家や詩人として立つ契機をつかみ取った、久保田万太郎とか水上瀧太郎、佐藤春夫、堀口大学について、記述を進めました。そして、最終章を書き上げると、一応脱稿ということになります。ですが、本が今年の夏に新書版で刊行されることになっているので、600枚を優に超える原稿を半分以下の250枚に圧縮しなければならず、これがまた死ぬほど苦しい作業なのですが、とにもかくにも気合を入れなおして乗り切るしかありません。、

性狷介、無類のエゴイストで、かつ人嫌いな吝嗇家、日和下駄を履いて、雨傘を杖代わりに曳いて、隅田川下流域の下町を歩き回った反時代的、反社会的な風来人で、稀代の好色爺さん……といったこれまでの荷風に対する一般的イメージはまるで違った、社会的存在としての永井荷風の「もう一つの知られざる素顔」が書き込まれてこまれているはずです。

以下に、これまで集英社のウェブ・マガジンに掲載された連載記事のURLを張り付けておきますので、興味のある方は、読んでみてください。

 

   http://shinsho.shueisha.co.jp/column/nagaikafu/

さて、話を花の画像の方に戻すとして、
臘梅の花が町のそこここに咲き始め、そこだけそっと明るく、ほのぼのと黄色く、春の気配が漂っているよでうで、寒さで凍えた心を和ませてくれます。

 

臘梅の花と言えば、永井荷風は、毎年この時期に咲く臘梅の花をこよなく愛した人でした。       から     まででの間、毎年正月の2日、乃至、3日、4日には、雑司が谷の霊園に眠る父親、久一郎の墓を詣で、墓域に咲く蠟梅の花と香りを愛で、「臘梅の香り馥郁たり…・・」と、『断腸亭日乗」に記しています。

 

この永井家の墓に咲く蠟梅は、父親の久一郎が日本郵船の上海支店長だったころ、中国の文人と詩文の交わりがあり、贈られた雲南蠟梅を日本に持ち帰り、    の自邸「来青閣」に庭に植えたもので、その死去に伴い、墓に移し植えられたものなのだそうです。


ところで、臘梅の花は、夏に咲く百日紅の花同様に、カメラで撮りにくい花で、これこれ10年以上、京都に住んでいて、真冬のこの時期、ほぼ毎日のように近所の家々の庭先に咲く臘梅を撮影してきていますが、いまだに満足のいく画像が撮れないので、苦労しています。

臘梅の画像が思うように撮れない理由は、花の柄が小さいのと、独特の臘質の照りのある黄色い花びらが、太陽の光を反射して白化してしまう、それと一応キレイに撮れても、あの独特の粘りのある黄色い花びらが、どうしても鈍く、濁った感じにしか写し撮れず、真冬の厳しい寒さの中、凛然とさく花姿の美しさが表現できない……。

 

それと、民家の庭先に咲いているので、周囲の庭の植木やガラス窓、エアコン、屋根など雑多なものが写り込んで、画面の統一感を妨げる。それと、冬なので、臘梅そのものの葉が落ちてしまい、また周囲の庭木の葉も枯れて落ちてしまっているので、臘梅の周囲と背景に緑色が欠けるため、色調が茶色っぽくなって、潤いに欠ける……などなどが臘梅の撮影を難しくしている理由だろうと思います。

これらの障碍を克服して、臘梅の花を美しく、あの馥郁たる香りのように気品のある画像に写し撮ろうと毎年苦労してきたわけですが、これまでにさんざん試行錯誤を重ねてきて、ようやく分かってきたことは、とにもかくにも、臘梅の背景が暗く、逆光の位置に立てるところを選び、逆光の光を生かして、花弁の透明感を浮き立たせるようにして撮ること。

 

それと、これは今年初めて見つけた手法ですが、シャッター速度を500分の1とか600分の1、場合によっては1000~1200分の1……と、高めに設定し、露出をマイナス10~30と、思いっきり暗く設定して撮る方法です。

というわけで、今回と次回は、私が見つけた最新の手法を駆使して撮影した臘梅の画像を、2回に分けて見ていただきたく思います。最初は、花からやや離れて撮った画像で、無数の蠟梅の花が、黄金色に光る星座のように暗闇に光輝いている画像です。2回目は、花をアップして撮った画像で、蠟梅の花が、一つ、二つと闇を照らしています。画像を見ながら、ほのかな温かみを感じ取り、あわせてあの馥郁たる香りを想い起こしていただければ幸いです。

ちなみに、撮影した場所は、北大路・烏丸のスターバックスに行く途中、道路から10メートルほど奥に入ったところに立つ民家のガレージの奥で、逆光の位置に立つと、臘梅の背景が隣の民家の家の壁になり、臘梅を撮影するには最高の条件を備えたところです。

使用したカメラは、蠟梅の花から少し引いて、2~4メートルの距離から撮影したものはシグマのDP2xで、接近して撮ったものはシグマのDP3 Quattroです。>

 

**********************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

使用カメラ: シグマDP2x

 

**********************************************

 

 

     花は我が世界にして

 

              草花は我が命なり              

 

              正岡子規「写生帖」より
 

 

**********************************************

 

家の近所の民家の玄関脇の植え込みに、毎年真冬のこの時期、白薔薇が花を咲かせます。

 

今年もまた、寒さのせいでつぼみが半分開いた感じで、花弁の先端に淡いピンク色をにじませ、

白い花が咲いています。

 

氷雨に濡れ、寒さのせいでどの花もうなだれて、それでも凛として咲く白薔薇に、心が洗われる思いです。

 

**********************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年1月19日/京都府立植物園のバラ園にて/使用カメラ:シグマDP3 Quattro

 

**********************************************

 

 

     花は我が世界にして

 

              草花は我が命なり              

 

              正岡子規「草花写生帖」より
 

 

**********************************************

 

集英社のウェブ・マガジンで連載中の『慶應義塾大学部文学科教授・永井荷風』の第11章の原稿書きに没頭していて

更新を怠り、申し訳ありません。、

 

去年の正月休暇明けから一年間、この原稿書きに追われてきたわけですが、ようやく10章まで書き上げ、

現在第11章「三田文学から飛び立った荷風の門下生たち」というタイトルで、永井荷風の教え子で、三田山上の

ヴィッカーズ・ホールという教室で荷風の教えを受け、「三田文学」に小説が掲載されたことで小説家として立つ契機を

つかみ取った、久保田万太郎とか水上瀧太郎、佐藤春夫、堀口大学について、喜寿を進めています。

 

あと、残すところ12章で脱稿になりますが、原稿の量がトータルで600枚を超えるはずで、これを新書用に25枚に圧縮して、

今年の夏、集英社の新書として刊行される予定です。

 

下に、連載のURLを入りつけておきますので、興味のある方は読んでみてください。性狷介、無類の人嫌いで、吝嗇家、

日和下駄を履いて、雨傘を杖代わりに曳いて、隅田川下流域の下町を歩き回った風来人で、好色爺さん……といった

これまでの荷風の一般的イメージはまるで違った荷風の「もう一つの知られざる素顔」が江買いこまれているはずです。

 

いかに連載のURLを張り付けておきますので、興味のある方は、読んでみてください。

 

   http://shinsho.shueisha.co.jp/column/nagaikafu/

 

さて、千葉に住む友人が、内房総の鋸南町に行ってきて、海と花の写真を送ってくれました。 房総はもう春ですね。

 
溢れるような太陽の光が羨ましい!
 
それに引き換え、京都は、このところ曇った日ばかりが続いていて、寒くて、陰気で、本当に気の滅入る冬です。
 
蠟梅の花がそろそろ咲きだしたので、空が晴れたら、北野天満宮に撮影に行ってこようと思っています。
 
ところで、昨日の午後1時過ぎ、北大路・烏丸のスターバックスで、前の晩に書き上げた原稿のチェックと加筆の仕事を終えて、
自転車で家に帰ろうと、地下の駐輪場から表に出たら、空が少し晴れていたので、府立植物園に行って、バラ園のバラを撮ってきました。
 
真冬のこの時期、バラはほとんど枝が切り落とされ、満足に咲いている花は全くないのですが、それでもつぼ みとか、
半開きの花が、寒気に凍え、小さくかじかんだ感じで、花弁の表面がセラミックに陶質化し、独特の癖のある赤とかピンク、オレンジ色に
変色していました。
 
その色合いが、なんとなく陶磁、あるいは宝石で作った造花をイメージさせ、何とも言えずに美しく輝いていたので、カメラに収めてきました。
 
花の女王といわれるバラの花の豪華で、気品にあるれるイメージとは全く違うイメージですが、誰も訪れる人のいな真冬の昼下がりのバラ園……
それでも自らを装うことを忘れない、バラの花のけなげな心意気を愛でてあげてください。

 

なお、画像は2回に分けてアップします。一回目の今回は、赤系統の色合いのつぼみの画像です。

 

**********************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

War is
 over
 
    War Is Over !
 
      If You Wont It
 
           By John & Yoko

 

***********************************
 
を愛し、平和を願う皆様へ
 
明けましておめでとうございます。
 
新しい年を迎えるにあたって、今年こそ、戦争や貧困、差別による不幸が減ったと
実感できる年であるように、切に切に願っております。
 
ジョンとヨーコ、そしてアメリカはバージニア州で活躍する若手ロック・グループ、
Atlas Rhoadsの「 MERRY X'MAS, WAR IS OVER !  IF YOU WANT IT」を聴きながら、
平和への祈りと希望を、花を愛し、平和を願う世界の人々と共有したく思います。

 

2018年1月元旦

末延芳晴

 

************************************

 
 John & Yoko
 
 
  Atlas Rhoads
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 Atlas Rhoads
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-12-15日午後3時半/使用カメラ:シグマDP3 QUATTRO

 

**********************************************

 

 

     花は我が世界にして

 

              草花は我が命なり              

 

              正岡子規「草花写生帖」より
 

 

**********************************************

 

10日ほど前、犬の散歩がてらに、カメラを手に御所の中を歩いていたら、迎賓館の東側の木立の中に、

赤く光るものが目に入ってきたので、近づいてみると、櫨(はぜ)の木の葉が紅葉し、折から傾きかけた

西日の光を受けて、きらきらと赤や黄色、緑に光っていたのでした。

 

御所の中の櫨は珍しく、また今年は一度も櫨の紅葉を撮影していなかったので、これ幸いと

カメラに収めてきました。

 

**********************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-11-29/京都府立植物園蓮池の脇にて撮影/使用カメラ : シグマDP3  Quattro

 

**********************************************

 

 

 

     花は我が世界にして

 

              草花は我が命なり              

 

              正岡子規「草花写生帖」より
 

 

**********************************************

 

紅葉の画像が続いたので、「ふう(楓)」という樹木の黄葉した葉の画像を見ていただきます。

 

「ふう」というのは、タイワイン原産の樹木で、漢字で「楓」と書くので、「カエデ」の一種と思われがちですが、

植物学的には別の種で、「マンサク」科に属する樹木なのだそうです。

 

葉の形状は、掌形で三つの切れ込みがあり、それぞれの葉の縁にはギザギザが入っています。

 

また樹高は20~30メートルに達し、原産地の台湾では50メートルを超える木も珍しくないとか。この点でも

日本の「カエデ」とは別種であることが分かります。

 

ただ、両方とも、秋の終わり近く、11月の末から12月の初めにかけて、「カエデ」は真赤に紅葉し、

「ふう」は黄色からサーモンピンク系の色に黄葉し、装いというか綿棒を一変させることでは共通しています。

 

さて、「ふう」の木が一本、府立植物園の蓮池の岸辺に立っていることは以前から知っていました。ただ、

植物園の紅葉は、これまで撮影したことがなかったため、「ふう」の木が11月の末に黄葉することは知りませんでした。

 

それが、今年は、晩秋のバラ園と蓮池の敗荷(枯れて破れた蓮の葉のこと)を撮影に行って、初めて30メートルは優に

あるかと思われる「ふう」の樹木全体が、やや茶色がかったサーモン・ピンク色に黄葉し、折からの晩秋の日差しを浴びて、

燃え上がるように輝いているのを発見、思わず、「ああ!」と賛嘆の声を上げた次第。

 

ただ、樹木全体をカメラに収めとしても、あまりにも樹高が高すぎて、画面に入りきらない。それと、茶色がかったサーモン・ピンクの色合いも、

カメラのレンズを通すと、今一つ綺麗に映えてこないので、今回は、葉の画像、それも散り落ちて、蓮池に流れ込むせせらぎの清流に落ち込んで、

浅い瀬に沈んだ黄葉の画像を見ていただきます。

 

秋の終わりの日差しを受けて、きらきらと輝く清冽な水の流れと、黄葉した「ふう」の木の葉が織り上げる、鮮やかな色模様を楽しんでください。

 

**********************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-11-29午前11時ころ撮影/使用カメラ:シグマDP3  Quattro

 

 

       花は我が世界にして

 

                   草花は我が命なり              

 

                正岡子規「草花写生帖」より
 

**********************************************

 

京都洛北の西の方に連なる鷹が峰という峰は、光悦寺や源光庵などのある峰と

その西側、金閣寺裏手に立ち、「大文字焼」の「大」の字が焼かれる峰と二つあるそうです。

 

その二つの谷あいの渓谷を流れるのが紙屋川で、険しく、高い岩盤の上に将山リゾートが広がっています。

 

3、4日前のお昼前、この将山リゾートで、神屋川を蔽うようにして枝葉を伸ばしている山紅葉の

紅葉を撮影していたら、「千寿閣」という京懐石の料亭の玄関の手前に、大きな葉の楓が、燃え上がる炎のように

真っ赤に紅葉しているのを発見、カメラに収めてきました。

 

**********************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-11-24日午後3時ころ撮影:使用カメラ:シグマDP3 Quattro

 

*******************************************

 

 

      花は我が世界にして

 

                   草花は我が命なり              

 

                      正岡子規

 

*******************************************

 

5日ほどまえの日曜日、奈良の白毫寺を50数年ぶりに訪れ、紅葉や本堂の裏手に咲く寒桜、山茶花などを撮影してきました。

 

この寺は、学生時代に春休みを利用して京都、奈良旅行をした折に訪れたもので、やたら寒かったことを覚えています。

 

バスに乗って行ったのですが、停留所で降りて、丘の上に奈良の市街を見晴らす形で建つ寺まで歩いていく道すがら広がる風景は、

まさに小津安二郎監督の名作『麦秋』のフィナーレで、熟れた麦の穂がかすかに風に揺れる彼方に白壁の家が見えるなか、花嫁行列が

ゆっくりと進むシーンに見るような、まさに日本の故郷ともいべき美しく、しずかな、まほろばの風景は完全に失われ、新建材で建てられた住宅が建ち並ぶ、日本中どこに行っても見られる殺風景な風景ばかりで、がっかりさせられました。

 

それでも、本堂の裏手に回ったところ、寒桜が咲いていて、心が少し慰められた気がしました。

 

*******************************************