『ゾンビランドサガ』
アイドルというのは自分の代わりに憧れの輝いている誰かを応援することによって自分自身も生きる元気を貰う、そんな文化だ。
今日本でアイドル文化が流行しているのは「生きる意味」を持つことができない人が増えているからだ。
自分の人生に意味はないけど、代わりにアイドルが輝いてくれれば──そんな想いでファンはアイドルを応援している。
そんな死んでいながら生きている状態のアイドルファンとは、つまり「ゾンビ」のようなものなのではないか?
一見ぶっ飛んだ設定をしている『ゾンビランドサガ』の物語に共感することができるのはそういう理由だ。
そのことは8~9話の話を観てもよくわかる。
息子を亡くした父親、暴走族を引退した母親──どちらももう既に「終わってしまった物語」だ。
そんな喪失を抱えた人間のために、アイドルは唄う。
11~12話では「ダメな自分=視聴者自身」の姿を思い出すことになる。
アイドルアニメというのは不思議な存在だ。
アイドルとはつまりファンの「代わり」となる存在なのだが、アイドルアニメの物語というのはアイドルの物語でありながらファンの物語でもあるのだ。
このことがアイドルでも、或いは他のアニメでも代替出来ないアイドルアニメの魅力になっているのだと思う。
しかし、最近死語になりつつある『覇権アニメ』と呼ばれた最後のアニメだったような気もするが、そのことがアニメ業界自体が「ゾンビ」と化していることを表している感もある。
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『あそびあそばせ』
岸誠二監督と言えば『瀬戸の花嫁』だと思ってる人間からすると、最近の岸監督は合わない作品ばかりやらされているなぁと思っていたのでこのアニメは久しぶりに岸監督の勢いのあるギャグ演出が観れたので良かった。
これからももっとコメディアニメの監督をやって欲しい。
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『さらざんまい』
生原邦彦監督の『輪るピングドラム』以降の作風がようやく完成してきたように感じた。
基本的に間にバンクシームを挟む一話完結型の話なのだが、回を追うごとに謎が明らかになり世界観が深まっていく脚本は見事だ。
今作は生原監督作品の中では一番分かりやすいストーリーになっているが、しかし同時に「説明の省略」も過去一番にされている。
それにより『輪るピングドラム』や『ユリ熊嵐』で感じた演出過多で冗長な部分が薄れ、より感覚的に楽しめる作品になったと思う。
今回はBL描写が多くノイタミナ枠での放送といういわゆる「女性向け」を意識した作品になっているが、女性向け作品というのは元々ぶっ飛んだ演出の作品が多い。
女性オタクはキャラクターのカップリングが絡んでいれば設定を妄想するのも得意だ。
そのため生原監督作品を受け入れる下地があったのかなと思う。
そもそも生原監督は元々『美少女戦士セーラームーン』という女性向け作品の監督をやっていた人だし、女性向け作品を作る方が合っているのかもしれない。