DON哲学(?)『基礎と応用』 | DON's Diary

DON哲学(?)『基礎と応用』

とある本で読んだのだが、



『今本当に新しいモノ・発見・発明はほとんど無い。過去からの応用である。』



との言葉があった。





何事も掘り尽くされた現代には、厳密に言えば新しいモノは無い…と言う事だろう。





言い方を変えれば、ゼロから生まれるモノ・基礎の発見は無く応用ばかりと言う事だ。





なんとなく納得してしまう。





だが、よくよく考えて見ると昔から(それこそ太古から)その繰り返しな気がする。





今ある事柄ほとんどが何かの応用では無いのかな?





めっちゃくちゃ遡ると、たとえば音楽だって本当のルーツを辿れば鼓膜。



いわば耳から聞こえる音を応用して違う風に聞かせてるワケだ(すげぇ遡り方だけどww)。





家電だって元をたどれば、木や鉄・プラスチックの応用で、わかんないけどプラスチックだって人工的なモノだから何か自然なモノからの応用だ。





仕事は人間が住みやすい世界にするタメの応用だしね。





全ての事は事細かにルーツをたどれば自然(人間の体も含む)に行き着くが、それすらも進化という応用を経ていまに至るわけだ。





脳だって最初は無だ。





アメーバ(単一の細胞)に脳は無い。





わかんないけど細胞も何かから応用したのかな?





オレが言いたいのは、いつしかその繰り返された応用がある程度安定した時にそれは基礎と呼ばれ、またその基礎から応用が生まれまた安定して…の繰り返しなんじゃないか、という事。





だから本当の意味でのルーツは人間が生み出していないはず。





今のオレの解釈が正しいとすれば、



『今本当に新しいモノ・発見・発明はほとんど無い。過去からの応用である。』

というのは的外れなのだ。





新しいモノは常に応用であり、ゼロから生まれるモノなど存在しないのかもしれない。





ただ、今はその応用が生み出しにくく変化も小さいだけであって、確実に新しいモノは生産されているワケで、そこに何も悲観的なモノは無いんじゃあないかな。





応用が基礎を生み、基礎が応用を生む。



それを進化と呼び、それは常にあるモノで、それは人間にとって決して切り離せないサイクル。





なぜ切り離せないサイクルなのかは分からないが、社会に『新』(安易な所で新製品・新曲)という単語が存在するかぎり、似通ってても多少なりとも変化があるかぎりそれは確実に新しいモノで切り離せないのかな?





その大小で、天才か凡人か・有意義か無意義か・極端な話良いか悪いかを区別するじゃあないかな?





でもそうすると始まりって何?





水分すらも地球にしか存在しないし地球による応用なんじゃない?





土?





宇宙には最初から土があったワケなの?





わからんねぇ~。





生きる事かね?





何もかも生きる事の応用と言えばそうだね。





ずいぶん重く、そして長くなりましたが、要は皆様どう思いますか??……みたいな感じ…で書きました。