目黒川
白く小柄な染井吉野は、たいそう可憐なのだが、最近降り続いた雨のせいで、あっけなく地面にぴたと張り付いていた。
桜の花びらでぐちゃぐちゃになった径。
その横に並ぶお店は居酒屋も美容院も、窓が大きく、どこか開放的。
桜を観るために大きくしているのだろうか。
こじんまりとしたお店の中からは、しっぽりと飲む会社員の姿や、雨模様を吹き飛ばすような女子大生の高らかな声が聞こえてくる。
春は過ぎてしまったのかな
ものうい春の、もやが少しかかったような空気。
それを消しさすような雨。
春にしては寒すぎる。
空気をいっぱい吸い込むと、鼻の奥がすーんとした
不慣れなかかとの高い靴
窮屈なスーツ
襟の痒いワイシャツ
なんかよりも、
ぺたんこの靴
楽ちんなワンピース
襟周りがすかすかのシャツでこの舗装が十分でない道を歩きたかった。
だけど、説明会帰りに急いでいかなくてはいけない理由が私にはあった。
お花見をしていなかったのだ。
もう次の週から雨だし、それ以降だとお花見日和でない。
だから、しょうがなくかっちりした格好で来てしまった。
ゴツゴツのアスファルトの道はかかとの高い靴だとバランスを崩しやすく、ふらついてしまう。
地面に気を取られてるうちに、目的のカフェをあっさり通り過ぎてしまった。
川沿いを行ったり来たり。
頭を垂れ下げるように枝を伸ばす桜に向かい合うように、そのカフェはあった。
Huit (目黒)
ユイットは去年から行きたいと思っていたカフェだ。
桜カフェのメッカだそうな。
雑誌の写真だと、窓ガラスいっぱいに
桜が咲き誇る
だとか
咲き乱れるといった光景であったが
花盛りも過ぎたこの時期。
やっぱり、花はほとんどなく、
ぱらぱらぱら
というように散り散りに桜は咲いていた。
また、遅れたか。
アンティークに囲まれた店内と、そこから見える風景は外国の家の屋根裏部屋にいるようで、ほっとした。
説明会帰りで、いつにも増して頭がぼうっとしていた私は、外を見ながらただコーヒーを啜っていた。
そのとたん、
今日は会社帰りなんですか。
いきなりの質問であった。
咄嗟に、説明会帰りで一応会社に訪問したので、
は、はい。
と答えて、すぐさま
いえ、就職の説明会帰りに寄ったもんで。
と訂正した。
色々質問されたのちに、切り出すことにした。
桜、散っちゃったんでしょうか。
店員さんは、はははと笑いながら、
これ、八重桜なんだよ。
時期はまだまだで、見頃は4月中旬から下旬。今は二分咲きかな。
ほら、染井吉野と違って、色は濃くて、フリフリとレースみたいになってるでしょ。
これが八重桜。
なるほど、では私は早すぎたということなのですね。
そ、だから満開が見たいならまた来るしかないね。
いつもなら、遅れをとって無念なことが多い私であるが、今回に限ってはまだチャンスがあるってことなのか。
それだけでだいぶまし。
と慰める。
八重桜満開になると、豪奢な感じなのかな。なんせふりふりしてるし。
こっくりと夜が更けてきて、濃紺の空にくっきりと映えるピンク色の桜。
月明かりが優しく春の外気を包む。
BGMにはMoon River
とても相応しい。
聞きながら、これは誰が歌ってるんだろ。
あとで聞いてみよう。
と考えていた。
考えながら、うとうとした。
うとうとしながら、呆気なく終わりを迎えようとしている私の春休みを思った。
大学最後の春休み。
毎日一生懸命だったけど、なんだかな。
もうコーヒーカップの中は虚しくなっていたけれど、桜を見て思いあぐねていた。
私には高校3年の時、目にかけていた1年生の桜ちゃんという子がいた。
その名の通り、桜ちゃんは桜の如き女の子で種類で言えば染井吉野のような、か弱く
華奢な感じ。もっと悪く(?)言えば、今にも骨が折れちゃいそうな感じ。
私は桜ちゃんが入った時、可愛くて仕方なくて桜ちゃんを見ては、しつこく話しかけた。いつの間にか、部活はやめちゃったけど、元気かな。
てか、何桜ちゃんだっけ。苗字が思い出せない。
うずうずしてるうちに、いつの間にか夜桜を見に来るお客で店内はいっぱいになっていた。
そろそろ出よう。
外に出る頃にはMoon riverの歌手の名前を聞くのをすっかり忘れていた。
もう一度、満開の八重桜を見て、歌手名を聞くために来よ
顔を上げると、夜空の下に濃い桃色のふりふりした桜が広がっていた。
枝の間からは遥か遠くに月が見えた。
月明かりに照らされた目黒川
ゆらゆら煌めく川面に、桜の花びらが落ちてゆく光景は言い知れぬ切なさのようなも
のがあった。
ほんのりさみしい春の夜。
ぷかぷかと浮いてきてはぷちぷちと消えていかない不安。
頭はスポンジみたいだった。中身の無い不安でいっぱいの。
まぁ、気長に行きましょっか。
春の夜風には程遠い引き締まった空気。
Moon riverを口ずさみながら、月夜にさらりと流るる目黒川を横目にとぼとぼ駅まで歩いていった
最後に。
今までになく長い文章になってしまいました。読んで下さいました皆様、お付き合い頂きましてありがとうございました。

