腹が減っては戦はできぬ。武士は食わねど高楊枝。私は前者です。カミゴリです。

 

いかがお過ごしでしょうか。東日本大震災からもう13年が経過したのかと思うと、『若干二十歳のワタクシ』でさえ、時の流れの早さを感じます。そして、人生が変わってしまった皆さんの御冥福、そして心の復活をお祈りしています。

 

さて、今日も今日とてグルメの話題です。

私が日本にいた数ヶ月前のことです。私の母がまた一つ年を取り、『検閲済』歳になりました。おめでとうございます。私は足首を鍛えるスリッパを贈りました。

 

そして誕生日会当日、その日はメチャクチャ良いレストランでディナーでした。周りは『父娘ほどに年の離れた男女組(オミズと思われ)』『品の良い老夫婦』『まだケツが真っ青なクセにとてつもなく上品に振る舞う砂利とその両親祖父母』『成人祝と思われる娘家族』など、普段は茹で太郎とラーメン二郎ともつ次郎しかいかない私にとっては『上っっっ品』な空間だったということです。

 

そして運ばれてくる料理の品々。あれは大麻をやってでもいない限り思いつかないメニューの数々でしたね。鯉のお刺身が煮凝りか何かと一緒にお皿に乗っていたときは流石にたまげました。しかもそれが美味しいんです。まあ茹で次郎ならひと月ぶんくらいはするディナーでしたからそこんじょそこらの沼の泥臭い鯉なぞが出てこないのは当然っちゃ当然なんですが、しっかし美味しい。しかも鯉✕煮凝りに『✕イタリアン』をしても、『OISHI』んですから、プロの腕前ってのは恐ろしいもんです。

 

そんな度肝を抜く料理が何皿もあり、最後のパスタに。ポモドーロという、トマトソースと野菜をただひたすらに火にかけたものとスパゲッティをあわせる料理があるんですが。

恥ずかしながら、初めてヴィーガン料理で美味しいと思いました。そうなんです、このパスタ実は具が『トマトソースと野菜』だけで、野菜の甘み、深み、旨味と塩のみで味が構成されています。煮詰めて、それでいて煮詰め過ぎずにコントロールするとこんなにも味が出るのか。正直野菜は『出されりゃ食う』程度ですが、今回のパスタに関しては参りました。

まあとはいえヴィーガンの事は見直しませんが。

 

最近、美味しい御飯にありつけていません。二郎系は行きましたけど、それは『旨い』んです。美味しくはないんです。とはいえNYで『美味しい』ものにありつこうとしたら、50ドルはくだらないでしょう。そこに心づけも必要ですし、グラスワインに留めたとしても70くらいはいっちゃうかもしれません。

しかし例え金があろうと、このままだとそういった良いお店に一人か汗臭い男共と行かなければならないという大問題がありますが。

 

彼女、募集中です…タイプは、ニューヨークにいらっしゃって、グルメで、お金あって(奢れるほどの稼ぎはありません、かといって奢ってもらわんでも結構です(奢ってくれてもいいですよ))、女性で、日本語話者で、話を聞くのも喋るのも苦手でない人です。最早見てくれも性格も、なりふり構っちゃおれますまい。

 

カミゴリ