hideさんの音楽日記 -22ページ目

メーザーハウスJAZZLABライブの感想(grooveについて)

おつかれさまです。今回のメーザーハウスJAZZLABライブを見て感じたことがいくつかあったので、報告したいと思います。

まずはじめはgroove(グルーヴ)についてです。ぼくがこの言葉を初めて知ったのは19歳ぐらいのころ、何かの音楽雑誌でのディスクレビューみたいな記事で、「このCDのもつgrooveははんぱではない!」というのを読んだときでした。その記事を読んで、grooveは何かリズムに関係するものであることはわかったのですが、普段聴いている音楽でそれを感じたことはなかったし、その記事を読んだあとに曲を聴いてみても結果は同じでした。grooveは、感受性が豊な人たちだけが知り得るような、あるいはわかる人にはわかるようなものなのかと思い、残念な気持ちになったのを覚えています。

次にこの言葉に出会ったのは、大学二年生のときに、POPS系の軽音サークルでB'zのコピーバンドのベースをやっていたころのことです。そのバンドでギターをやっているリーダーが、スタジオで練習している最中にgrooveについて語り始めました。昔のことなのでよく覚えてはいませんが、バンドにはリズム隊というものがあって、それはドラムとベースであるということ、また裏拍裏拍と言っていて、これがとても難しいといっていました。

三回目にgrooveという言葉に出会ったのは、大学三年生のときにヘビメタ、ハードロック系の軽音サークルの打ち上げで、すごく上手なドラムの人と話をしていたときでした。ドラムは誰が好きなの?という話になって、ぼくは沼澤尚と答えました。すると彼は「あーそういうgroove系のドラマーはねぇ」といって語り始めました。このとき驚いたのが、ドラムはドラムでも種類があって、groove系とかロック系とか何かに分類されてしまうことでした。その人にgrooveってよくきくけど何なんですか?とたずねると「じゃあさぁ、DTMとかやってみなよ。ハイハットとかスネアの位置を少しずらすだけで全然ノリがかわってくるから」と言っていました。このとき、grooveとは感受性うんぬんの問題以外に、DTMのタイムラインの位置として、それを目でもはっきりと認識できるらしいことを知りました。

この話を聞いて以来、grooveとは何かを考える必要性があると感じました。目で見ることはできないが、感じることのできる何か。こんな曖昧なものが音楽のなかで当たり前のように語られていることが信じられませんでした。相変わらずPOPSのキーボードなどをバンドでやっていたのですが、grooveなんてものは問題ではありませんでした。むしろ、タイミングを外さずに間違わず弾くことのほうがぼくにとってよっぽども重要でした。

その後、以前からはまっていたジャジーなサウンドを好む傾向がとても強くなってきて、ロックやPOPSにはみられない、このかっこよさはどこから出てくるのかをどうしても追求したくなり、メーザーハウスでJAZZピアノを習うことを決心しました。
先生に、曲が音頭になっていると言われました。楽譜に書いてある音符のいくつかにアクセントのマークを書き込んで、そこを強く弾くように指導を受けました。はじめは、とにかく間違えずに弾くことが最優先と考えてそのアクセントをおろそかにしていたのですが、そのたんびに注意されました。そのアクセントはほとんどが自分のやりやすい感覚とは違う位置、裏の拍につけられていました。これを意識しながらやると、曲が一気に難しくなりました。何しろ自分の感覚とアクセントの位置が見事にちぐはぐにずれていたので。先生は、このようにアクセントをつけることでノリ、grooveが出ると言いました。そこで、裏に対するアクセントも意識して練習することにしました。このとき初めて、自分の中で裏拍やノリという問題に直面しました。クラシックピアノを習っていたときも、軽音サークルでロックやPOPSをやっていたときでも、こんなことは意識したことはありません。grooveはJAZZ、ブラックミュージックをやれば嫌でも直面するものであったことを知りました。

そしてFunkなどのライブを見に行くようになってから、勝手に腰が動きだすようになったり、テンションが上がって思わず叫んでしまうようなときがたまにあって、自分でも驚くことがありました。特に印象に残っているのはKool&The Gangのライブで、バンド全員が一体になって奏でる音がうねりになって、自分に襲いかかってくるような経験です。このときは周りのお客さんも全員立ち上がって踊っていました。今ぼくの中でgrooveとは、お客さんの腰を揺らせる音だという結論に至っています。

grooveを考えるのにこれだけ時間がかかっているのに、まだよくわかっていません。そう思うと、あまり簡単にgrooveという言葉を使うべきではないと感じました。ぼくがライブを見に行くとき期待することは、バンドのやばい演奏に踊りだすほどテンションがあがって最高の気分になることです。だとすれば演奏者はお客さんをgrooveさせること、これこそが最終目標となるのでしょうか。

しかし、メーザーハウスJAZZLABのライブを見て、必ずしもすべてのプレイヤーがgrooveを生み出すことを最終目標としないということを知りました。ベースやギターやピアノが、ものすごい早さでスケールのあちらこちらをいったりきたりする超絶技巧なプレイをするバンドがありました。あまりの指の早さに圧倒されて思わず見入ってしまいました。あのように不規則で俊速に音が変化していったら、見ている側としては腰をゆらすこと、ましてや踊ることは無理なのでgrooveを出そうとしていないことは確かです。そう考えると、彼らの演奏する目的はいかに超絶技巧なプレーをして見せて、観客をわかせるかということであると思います。なるほど確かに、この方法ならgrooveと同じようにお客さんを興奮させることができます。例えばサッカーだと、美しい連携のパスサッカーを見たときでも、あるいはドリブラーの超絶なまたぎフェイントでディフェンダーをぬきさったときでも見ている側はテンションがあがります。

ぼくは今のところ、プレイヤーがお客さんをgrooveさせて最高の気分になってもらう方が、超絶技巧なプレーでお客さんを興奮させるより質が高いと考えています。これはちょうど、フィギュアスケートに例えられると思います。前回、オリンピックの男子フィギュアスケートで4回転をすべて成功させた選手が銀メダルで、4回転はすべてとんでいないのにその他もろもろの演技がすばらしかったため金メダルになった選手がいました。銀メダルの選手は、4回転という大技をすべて成功させたという前人未到の演技をしたのに金メダルでないなら、オリンピックはもうでないと抗議しました。一方金メダルの選手は、4回転をとぶことがフィギュアスケートのすべてじゃない。その他すべての演技の流れ、表現があるからこそフィギュアスケートはすばらしい。そんなに4回転がやりたいなら連続で4回転を何回とべるかコンテストでもやって優勝したらいいと反論しました。ぼくは俄然後者の方に賛成派です。バックで打ち込みを鳴らして、それに合わせて一人ずつ各々の超絶技巧プレーを披露して、誰が一番すごかったかを競う大会を開く。これで十分なのではないでしょうか。曲の構成や流れ、サビでの盛り上がりといった表現も必要ありません。でも、それでは芸術性というか、クリエイティブをすることの楽しみ、せっかくの音楽のもっている可能性を狭めている気がしてしまいます。

音楽でもフィギュアスケートでもそうですが、人によってそれらを全体として捉えるか、個別としてとらえるかの違いがあるのではないかと思います。ぼくはバンドで今鍵盤を担当していますが、曲全体がかっこよくなるのならば、自分は簡単なフレーズを繰り返すだけで十分満足です。例えばちょっとした音の隙間にclavinetの一音をならすほうが、やたらと和音をならすより断然かっこいいことがあったりします。曲全体としてのかっこよさや説得力のために、必要な音を必要なだけ鳴らす。あくまで一曲の完成度に徹するわけです。しかし超絶技巧を好むプレイヤーであれば、簡単なフレーズをずっと繰り返すことや、ましてや音の隙間に一音を入れていくだけの演奏は我慢ならないでしょう。ソロ(個別)になったときに自分のプレーを如何に見せるかが大切であり、曲全体のまとまりとしてはさほど重視していないように思えます。