四條畷の小楠公史跡訪問 | よしのおもちゃ箱

四條畷の小楠公史跡訪問

令和最初の日は、本当にいろんな時代の史跡を訪れました。
南北朝時代の史跡では特に南朝を意識して四條畷も初訪問。

まずは楠木正成の息子正行の墓所の一つでもある小楠公墓地。
四條畷の戦いで高師直軍と戦った正行ですが、その勢力は高軍(北朝)6万、楠木軍(南朝)3千とも伝わるくらいの差がありました。
その様な戦いの中で、正行は討死します。
その供養碑が建てられた後に地域の人が楠を植えると立派に育った場所が小楠公墓所です。



明治維新は水戸藩の『大日本史』の影響から南朝が重視されていたために、明治になり南朝の忠臣を顕彰する流れが大きくなり正行を祀る四條畷神社が建立されました。


境内には、
正行と父の離別を描いた桜井の別れ
父の死を受けて自害しようとした正行を止めた母との物語
を表した像もありました。

その近くには正行の従兄弟で同じくこの戦いで討死した和田賢秀の墓もあります。



首になってなお敵に噛み付いたために「歯嚙様」と呼ばれ、「歯神様」となって信仰されたとのことでした。