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1月のお弁当

1月のお弁当まとめ















豊臣兄弟の時代(1)



 豊臣秀吉の弟・羽柴秀長を主人公にした大河ドラマ『豊臣兄弟!』。30年前に『秀吉』が放送され秀長を知ったとき、その人生に感銘を受けた私にとっては昨年の『べらぼう』で田沼時代が描かれたことに続いて二年連続で気持ちが高ぶっているため、今年も大河ドラマに関わる話が多くなることをお許し願いたい。

 

 豊臣秀吉と言えば、尾張国(愛知県西部)の中村で誕生し織田信長に仕えて手柄を重ね、小谷城攻めののちに長浜城を築城し本能寺の変の直後まで長浜城が秀吉の居城であったことから近江との縁が深い人物として親しまれている。しかし秀吉が長浜城を築城するよりも早い時期から近江と関りがあったとの伝承が残っている。秀吉近江生誕説である。

 

 姉川の源流である草野川沿いに長浜市鍛冶屋町があり、ここに鎮座する草野神社には御祭神である草野姫命・伊弉諾命以外に配祀神(主祭神の他に祀られる神)として豊臣秀吉が記されている。この地に残る伝承によれば、秀吉は近くの生まれであり織田信長に仕えるまでの間に、草野川近くの鍛冶屋で働いていた時期があるとされているのです。平安時代から鍛冶に力を入れていて、戦国時代には「草野槍」という武具まで生産し「鍛治屋町」の地名を残しているが、残念ながら現在は鍛冶屋があった遺構を残すのみである。秀吉が信長に仕えて頭角を現すまでの出来事は物語で語られる空想の世界でしかなく、鍛冶屋町に残る話も歴史に絡めて実証することは不可能である。しかし後世に流布する数々の『太閤記』などで秀吉の前半生を見たときに針の行商を行っていたと語られることが多い。針は小さく多くを持ち運ぶことができるために針の商売を思い立ったと言われているが、もし秀吉が鍛冶に関わっていたのならば針の行商には別の一面が見えてきて面白い。また羽柴秀長が秀吉の同母弟であることは間違いないので秀吉が湖北地域で誕生したならば秀長も同所で誕生して育ったこととなるという夢が膨らんでしまう。

 

 ここまで盛り上げていて申し訳ないが、真剣に検証したときに秀吉と秀長の近江生誕説はあり得ないと考えている。この兄弟の前半生が史料に残っていないならば僅かながらの可能性も持ちたいのだが、秀吉にはどれ程地位が上がっても正室である北政所(ねね)との会話は尾張の方言で、これを聞いた侍女が夫婦喧嘩をしているのではないかと思ったという逸話が残っているからである。

 では、なぜ秀吉近江生誕説が語られるようになったのであろうか? 一つの可能性として考えられるのは秀吉の父とされている木下弥右衛門の家系が近江からやってきたというのである、しかもその先祖は鍛冶の仕事を行っていたそうだ。もちろんこの伝承は秀吉の伝承以上に眉唾ではあるが、秀吉と近江と鍛冶の繋がりは、正史には記されない何かがあるのかもしれない。

 

草野神社(長浜市鍛冶屋町)


『豊臣兄弟!』の話(4)桶狭間の戦い

桶狭間の戦いについて16年前に書いたものです。

あの頃は新説を取り入れて紹介した形でしたが、今は当たり前になっていたり、すでに古い考えもありますね。


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