6月最後の週末手前の金曜の朝、東京駅近くの大通り。

スーツ姿のサラリーマンたちが、忙しなく足早に駅へ向かっていく。
その流れに逆らうように、俺はピチピチのサイクルジャージ姿で立っていた。

普段なら恥ずかしくてできない格好。
でもこの日だけは、**「俺たちはこれから旅に出る」**っていう、
ちょっとした誇りと高揚感があった。

隣には同じく40代の友人。
2人で、誰にも気づかれないような、小さなガッツポーズを交わしてスタートした。




朝の浅草を抜けて、スカイツリーを横目に見ながら、江戸川サイクリングロードへ。

夏の日差しはまだ優しかった。
川沿いの風は心地よくて、ペダルも軽い。

「こういうの、いいな」
「これぞ、大人の夏休みって感じ」

軽口を叩きながら、竹林カフェでコーヒーを飲む。

静かな竹林の中で、自転車を並べて休むこの時間。
それだけで、もう今日の旅は成功だったんじゃないか…そんな気さえした。




でも、そんな余裕は昼にはもうなくなる。

栃木県に入った頃には、
体温は上がりっぱなし、脚は鉛のように重く、
呼吸は浅くなり、ペダルを回すたびに頭がぼーっとしてくる。

コンビニで買ったざるそばも、数口で箸が止まった。

いつもならガツガツ食べるくせに、
この日は何をどうしても喉を通らない。

スポーツドリンクだけが、唯一、体に入るものだった。




心のどこかで分かってた。


「今日は最後までは行けないかもしれない」って。

でも、引き返すのは悔しい。
このまま熱中症で倒れるのもバカみたいだ。

そんな矛盾した感情が頭の中をぐるぐるして、
それでも友達と顔を見合わせて、
「もう、今日は…ここまでにしよう」
って、静かに決めた。

新栃木駅で、自転車を輪行袋に詰める。
タイヤを外して、フレームを畳むこの作業が、
なぜかものすごく悲しかった。


電車に揺られながら、窓の外をぼんやり見る。

遠ざかっていく道、通り過ぎる景色。
あそこで、もう少し頑張れたんじゃないか。
でも、あのまま走ってたら倒れてたかも。
そんなことを、ずっと考えていた。


日光に着いた頃には、もう夕方。

涼しい風が、顔にあたる。
でも、ここで旅は終わりじゃなかった。

ホテルまで、最後の坂道が待っていた。

短い距離なのに、ペダルが踏めない。
ギアを軽くしてもダメ。
脚がいうことをきかない。

最後は、自転車を押して歩いた。

情けない、と一瞬思った。
でも、不思議とそれよりも
「ここまで来れたんだ」っていう気持ちの方が大きかった。




ホテルに着いて、部屋でシャワーを浴びて、


缶ビールをプシュッと開けた瞬間。

泡が、グラスに立つ。
冷たい液体が喉を通り抜ける。

その瞬間、全身に電気が走った。

うまい、うますぎる。
今まで飲んだどのビールより、今日のこの一杯がうまい。


40代。
体力は若い頃より落ちたし、無理もきかなくなってきた。
でも、だからこそ、こういう日がたまらなく愛おしい。

途中で止まってしまったことも、
心が折れかけたことも、
最後は自転車を押して歩いたことも、
全部ひっくるめて、今日という1日。


またいつか、リベンジしよう。

今度は、自分の脚で、ちゃんと日光まで。

その時もきっと、ビールは最高にうまいはずだから。