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ありがとうございます。

小学生女子二人の

日々の記録です。

 

本日は読書メモを。image

梅雨時、小さな草花も

しっとり濡れてきれいですね。

 

雨降りだと家にこもりがちですが

ちょっと外に目を向けてみたいと思います。

デモ コノジキ  アレガ デルカラ、ヤダナー。

マイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイガーン

 

 

本日はこちらの本の

感想を書いてみたいと思います

 

 

 

遊びと学び。

一見相反することですが

遊びの中に学びは内包されているし

子どもが心から楽しんでいると

大きな気づきがあるんです。

それは、民族に関係ないのです。

 

なぜなら、人間の

成長の仕組みが共通だから。

 

子どもはお互いの刺激により

成長していきます。

子どもの社会でそれなりの役割を果たし

認め合うことで

成長していきます。

その過程で、自分で

自分の力をコントロールする力を

つけていきます。

 

それは、今の日本では

ちょっと難しいことではあるのですが

不可能なことではないと思っています。

 

 

また、学校について、

その教育システムについての

歴史なども載っていました。

 

学校としては、それぞれ

長い歴史があるのですが

今のように、ある程度の年齢の子を

一緒に教育するシステムが出来上がったのは

ずいぶん後からになります。

 

欧米に関しては、

1642年、マサチューセッツあたりでの記録が

あるようです。

 

日本はこの時代、

一般庶民はまだ、

義務教育という観念はなかったと思います。

(調べてないです。すみません)

 

また、一定年齢の子どもが

一か所に集められて

みな同じ内容の話を聞く、という

タイプの学びではなかったように感じています。

 

 

また、日本の欧米との大きな違いは

その宗教観でしょう。

初期の普通教育に熱心だったのは

プロテスタントでした。

理由は

「清教徒としての教育」で

一種の

洗脳に近いものではなかったかと

思います。少なくとも、そこには

「人間としての教育」という

観点はなかったように思いました。

私はこの感覚に違和感を感じてしまうので

自分のことを

「日本人だなあ」と思ってしまうのですけど。

 

 

19世紀になると

この役割を国家が担うことになります。

これは、国の政治形態が

18世紀を通じて大きく変わりつつあったこと、

国家が愛国主義を持つ国民を

必要としていたことがあげられると思います

 

これに熱心だったのは

ドイツ帝国です。

日本はこの時期のドイツも参考にしていたと思うので、

当時のドイツに学校制度も

学んでいたと思うのですね。

そのまま対して変化もせずに(やばっガーン

教育制度は

今に至るまで

引き継がれていると思うのですけど・・・

言いすぎかなーえー

 

 

このような背景をもって

学校制度ができているので

現状では

学びと遊びは両立しにくいのですね。

 

傍証ですが、遊びは大事だということを

書いてみたいと思います。

 

遊びと生活が密接に

関連している暮らしだと

遊びのような仕事

仕事のような遊び、という

範囲の仕事が出てきます。

仕事でありながら

遊び的感覚を内包するものです。

そうすると、子どもに限らず大人でも

仕事が苦痛でなくなり

個人の能力も発揮できることが増えるのです。

それは、遊びの中で、またよく似た状況の中で

自分の能力を

ギリギリまでコントロールして

出せるから、だと思っています。

 

またこの場合の遊びで

大事なのは

異年齢の集団であること

体の感覚を大事にしたものであること、

その2点だと思っています。

 

 

 

体の感覚を研ぎ澄ますと

出てくる何かがあります。

これは、人類の歴史の中で

必要な感覚だったと思いますし

これがなければ、狩猟時代、

人間が生き残ることはできなかったと思います。

 

今はその超感覚と言えるものは

必要ないかもしれませんが

自分の感覚に基づいて

自分が判断を下すという

体の仕組みは変わらないので

遊びで自分の体の感覚を養うのは

大切なことだと思うのです。

 

自分の感覚を研ぎ澄ますには

スポーツも有効ですが、

遊びだと、自分たちのルールに従って

自分たちが満足するまで

満足できるように終われますが

スポーツは勝負事。

全員が満足するように終わるのは

難しい側面があります。

この「満足感」、ということは

とても大きなポイントだと思います。

 

遊びだと、年長者の意見は

多少、重視されますが、絶対ではないのです。

この緩さ加減がまた

いい結果を生むことに

つながると思っています。

大人(年長者)対子どもでは

対立軸が生まれ

何らかの軋轢を生むと思いますので。

 

 

 

 

ガーベラガーベラガーベラ 赤薔薇赤薔薇赤薔薇 ガーベラガーベラガーベラ

ここまで書いて

やっぱり長女が一言。

 

「かーちゃん、書いたねえー」

「いやなことあったから

書いてすっきりしてるでしょ」

 

ぎくっ。あせる

 

そこへ次女が一言。

「どんぐり問題の6mx間違えたからって

あたし、かーちゃんのこと

 

ばか!

 

だなんて、思ってないから!ハリネズミ

 

 

…その顔は・・・どーなのよー!

長女なら間違えないって

おもってない???

 

 

次女は笑っているだけ。

 

 

 

 

子どもに遊びは必要不可欠だけど

それが守れるように、

これからも頑張っていくからさー

よろしくね!

 

 

オマケ

 

手元にあるこの本に

何枚付箋が張られているんだか。

 

数えたら…16枚でした。

(´□`。)

こんなに貼ってたのか。

貼ったけど、今のままでは

消化しきれてない感があります。

再度チャレンジ、ですね。