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先日の鞍ヶ池プレパ、とても楽しかったのだが、

残念なことが一つ。

 

 

雨女を自称している私だが、

やっぱり、当日も雨が降った、ということ。

 

梅雨時なので、雨が降ってもおかしくないのだが、

季節関係なく どこか移動するたびに

雨に降られると、ちょっとへこむ。

 

 

子どもたちは、もう、慣れっこになっていて

「ま、しゃあないじゃん!

おかあちゃんだもの」

なんていうが、それって、褒めてるのか、けなしてるのか。

(^◇^;)

 

「だって、ほんとのことだもん!」

とは、次女・イモ美の言葉。

・・・当たっているだけに、言い返せない。

(#`-_ゝ-)ピキ

 

 

 

 

うちには普段から、子どもたちに言っている言葉がある。

 

☆学校は必須ではないこと

学ぶ権利、というのは、学校に行く義務ではないこと。

ただし、公教育を利用すると、比較的安い費用で

いろいろ体験できるので、

使えるものは使いたい方針であること。

学校から得られるものは大きいが、

そうでない世界から得られるものも

あるということ。

脳の思考回路の臨界期は12歳。

女子なので、少し早く来るかもしれない。

それを考えて、すべきことを選択する。

 

 

 

☆教育を受けさせる義務は親の側の義務あること

学校に行っていろいろなことを体験したり、

新しいことを知ったりするのは、

自分で選択することであること。

学校に行かなくても 小学校の内容は

おおむね体験できる。

唯一、体験しにくいのは体育であるが、

これも習い事などを併用すれば可能なので、

学校に行く必要は必ずしもない。

もし行くなら、

集団生活のルールを守ること。

特に、時間のルールと

交通ルールは守ること。

時間のルールは守らないとほかの子どもの非難を浴びるし、

交通ルールは守らないと死に直結する。

そのうえで、家庭学習の内容は親が決める。

 

 

 

 

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

 

書いていて、なんともはや、

キッツイ言葉。

 

 

 

もともと、自分の体験から、

・遊べない子は伸びない。

・プレッシャーをかけると、人間はゆがむ。

・小学生の内容は 家庭でも体験できる。

・人間は体験したことをもとに成長していく

・育てられたようにしか育たないし、他人も育てられない。

 

ということを実感しているので、

子どもには、遠慮なしに言うようにしている。

 

ま、はたから見たら、

毒母  鉄母  イッチャッテル母

だろうけどね。

 

 

習い事も昔はしていたものの、

今はやめているし、

その分が 子どものお菓子(どんぐり用)に

変わったり、

遊びに行く費用に変わったり、

しているはずなんだけど、…なんだろう?

使途不明金が・・・( °д°)

 

 

子どもは時々のプレパと

お菓子と、

毎日の外遊びを楽しみに生きているので、

いいんじゃないかと思うこともある。

 

少し前、よそのおうちの子どもさんから

「この間、イモコちゃんと イモミちゃん、

かおりちゃんのこと

『クソババー』

ていってたよ」

と聞いたので、まあ、普通に育っているかと。

若干、反抗期は怖いけれども、

今まで何をしてきたか考えると

おつりがくるので、それもありかもしれない。

 

 

長女イモコ、5年生。

もう、だいぶ大人の話が分かるようになってきたので、

「ぶっちゃけ話」

も、できるようになってきた。

面白いなあ、と思う。

 

 

次女イモ美、2年生。

こちらはまだまだ。

甘ったれで、何でもしてもらいたがるし、

お調子者なんで、こちらは私にとっては大変だ。

旦那も甘やかすしね・・・(/_;)/

 

 イメージ的には、こんな感じ。IMG_3705.JPG

撫でているのが私たちなのか、

撫でられているのが、私たちなのか。

 

・・どっちかっていうと、

わたしたちが

イモ美に撫でられているような気が、する。

 

 

 

 こんな感じではあるが、

「幼く 賢く たくましく」の

どんぐり俱楽部の理念には ほど遠いが

頑張っていこうと思う。

 

 

と書いてるそばから、帰宅した娘たちに

「イモ子!イモ美!

ランドセルは床に置かないで、って

言ってるでしょ!!!」

なんて、愚痴を言っちゃうんだろうなあ。

 

 

…反省。(でも続かない。)